埴生の宿(作詞:里見義) 1889
埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
文読む窓も わが窓
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ
たのしとも たのもしや
里見義(1824−1886)作詞の「埴生の宿」は、里見の死後『中等唱歌集』(1889)に載りました。以後わが国で1世紀以上にわたって愛唱されてきた外国曲のひとつです。当時の日本では、外国曲に原詞から離れた日本語独自の歌詞をつけるのが通例でしたから、上の歌詞は原詞の意味も相当伝えているという点では例外的な少数派でした。原曲は、アメリカの劇作家J. H. ペイン(1792−1852)が書いたオペラの脚本「ミラノの乙女、クラリ」(Clari: or, The Maid of Milan)の中でヒロインのクラリが歌う望郷の歌に、イギリス人のH. R. ビショップ(1786−1855)が曲をつけました。もとのオペラはほとんど忘れ去られましたが、この歌だけが独り歩きし、現在では広くイギリス民謡と考えられています。
昔見た「ビルマの竪琴」という映画の中にこんなシーンがありましたね。第二次世界大戦の最大の激戦地のひとつであったビルマ(現ミヤンマー)で日本兵たちがイギリス軍に包囲されていました。隊長は兵士たちの士気を鼓舞するためみんなで合唱することを命令します。ひとりの兵士が奏でる竪琴の音にあわせて彼らが歌い始めたのが、この「埴生の宿」でした。するとどうでしょう。周りから同じ曲が聞こえてくるではありませんか。イギリス兵たちが英語で歌っていたのです。実は、これにはヒントになった出来事が第一次世界大戦中にありました。詳しくは、本サイトにアップしているO Christmas Treeの解説をご覧ください。
'Mid=Amid「…の中を」、pleasures and palaces「快楽と宮殿」、roam「さまよう、ぶらつく」、Be it ever so humble=Even if it is ever so humble「たとえどんなに貧しくとも」、譲歩表現です。there's no place like home「我が家にまさる場所はない」、likeの用法に注意してください。余談ですが、余りにも有名な文句であるため、時にはふざけて、「我が家ほどひどいところはない」の意で使われることもあるそうです。hallow「神聖なものとして清める」、seek thro' the world「世界中探しても」、elsewhere「他の場所では」、複合語です。cf: anyone elseのときは離します。exile「追放(された)者」、from home「故郷から」、splendour dazzles「輝きがまぶしく光る」とは、人生で成功し贅沢な暮らしをすること。in vain
「無駄に、虚しく」、