メイン

2009年07月08日

The Bluebells of Scotland2(duet)
スコットランドの釣鐘草その2(デュエット)

「うつくしき」 (作詞:稲垣千頴・スコットランド民謡)


うつくしき わが子やいずこ 
うつくしき わが長の子は
弓とりて 君のみさきに
勇みたちて 別れゆきにけり


うつくしき わが子やいずこ
うつくしき わが中の子は
太刀帯(は)きて 君のみもとに
勇みたちて 別れゆきにけり


うつくしき わが子やいずこ
うつくしき わが末の子は
ほこ執りて 君のみあとに
勇みたちて 別れゆきにけり


「蛍の光」(Auld Lang Syne)「才女」(Annie Laurie) と並んで日本に初めて入ってきたスコットランド民謡です。明治14年(1881)にわが国で最初の音楽教科書『小学唱歌集』第1編に載りました。この唱歌集全3巻の計91曲中、賛美歌やアメリカのスクールソングが多い中で、一割近い9曲もがスコットランドの歌なのです。その理由のひとつは、「ヨナ抜き」といって4番目と7番目の音階、つまり半音の「ファ」と「シ」が抜けていることが、日本人に歌いやすかったことかも知れませんね。しかし、いずれも歌詞の内容はすっかり別のものになっています。これも元の歌詞は、戦地に赴いた恋人の安否を気遣いその無事を願う少女の心情を歌ったものですが、日本では3人のわが子を防人として戦地に送った母親の思いを歌ったものになりました。「うつくしき」とは、「可愛い」ないし「大切な」という意味ですから現在とはかなり違いますね。原詩は次のような意味です。
 

「スコットランドの釣鐘草」 (訳:三宅忠明)


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が行った先を、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が行った先を。
彼は、軍旗たなびかせ、気高き戦さの行われるところに行きました、
おお、私は彼の無事な帰りを心より祈るのみです。
彼は、軍旗たなびかせ、気高き戦さの行われるところに行きました。
おお、私は彼の無事な帰りを心より祈るのみです。


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が住んでいたところを、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が住んでいたところを。
彼は、綺麗な釣鐘草の咲く、麗しきスコットランドに住んでいました、
おお、私は彼を心から愛しているのです。
彼は、綺麗な釣鐘草の咲く、麗しきスコットランドに住んでいました、
おお、私は彼を心から愛しているのです。


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が身につけていたものを、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が身につけていたものを。
鳥の羽根そびえるボンネット帽かぶり、胸には長い肩掛けを、
おお、私は心からあのハイランドの若者を愛しているのです。
鳥の羽根そびえるボンネット帽かぶり、胸には長い肩掛けを、
おお、私は心からあのハイランドの若者を愛しているのです。


 スコットランド・アクセントについてひとこと説明しておきます。Highland, heart, home の発音はそれぞれHeeland(ヒーランド), haret(へァルト), hame(ヘイム)のようになります。スコットランドの雰囲気を出すためにこのアクセントで歌ってみました。また、laddie, bonny, bonnet, plaid, はスコットランド独自の語彙で、それぞれ「若者」「美しい」「(スコットランドの兵士の冠る)ボンネット帽」「(スコットランド独特の長い)肩掛け」という意味です。

続きを読む "The Bluebells of Scotland2(duet)
スコットランドの釣鐘草その2(デュエット)" »

2008年05月01日

Twinkle Twinkle Little Star
きらきら星

メロディーは前に覚えたABC の歌と同じですからすぐにでも歌えますね。全世界で親しまれてきた、あまりにも有名な童謡です。おなじみの『マザーグースの唄』にも載っています。ところが、この歌の起源がフランスであることは余り知られていません。歌詞は以下のとおりです。


Ah! vous dirai-je,maman


Ah! vous dirai-je, maman,
Ce qui cause mon tourment!
Depuis que j’ai vu Silvandre,
Me regarder d’un oeil tender,
Mon coeur dit a chaque instant:
Peut-on vivre sans amant?


L’autre jour dans un bosquet,
De fleurs il fit un bouquet:
Il en para ma houlette.
Me disant belle brunette,
Flore est moins belle que toi:
Lamour moins tendre que moi.


ああ、母さん、聞いてほしいの


ああ、母さん、聞いてほしいの、
わたしの悩みの原因を。
わたしがシルヴァンドレに会い、
あの優しい瞳で見つめられたときから、
ずっとわたしは思うの、
恋人なしで生きて行けるだろうかって。


あの日森の中で、
彼は花束を作り、
わたしの頭にかけながら、
きれいなブルネットだねって言ったのよ。
花の女神フローラよりきれいだねって。
そしてだれよりも君が好きだよって。


 このような恋歌の歌詞を替えることによって、関心を天空に向けたという点が、この歌のすごいところだと思います。単純そうに見える歌詞の内容もじつに深いものを含んでいるのです。夜空の星を眺めながら、あの正体はいったい何だろう、と不思議に思う気持ちこそ学問研究の第一歩ではありませんか。前にも言いましたが、アインシュタインの相対性理論も、そこから発見されました。彼は、幼児の頃抱いた天空への驚き夢を成人するまで持ち続けたことが、この世紀の大発見につながったと言っています。西暦1905年のことですから、もう100年以上も前のことです。
 また、英語のリズムには、アイアンビック(Iambic)と呼ばれる弱強調と、トロケイック(trochaic)という強弱調のふたつがあります。この歌は、その強弱調のリズムを備えた典型的なものですから、英語学習の第一歩として朗読し、歌うのに最適でしょう。かつての中学英語教科書には低学年のものに必ず載っていました。
How I wonder what you are!「あなたが何物か、私はどんなに不思議に思うことでしょう!」が、この歌のキーワードですが、これは感嘆文といって、意味を強めるときに用いる表現です。How I like English! 「どんなに英語が好きなことでしょう!⇒英語が大、大、大好きです」How pretty this flower is! 「この花はなんてきれいなのでしょう!」のように使います。感嘆文はこれから何度もでてきますから、そのうちに自分のものになるようにしましょうね。

続きを読む "Twinkle Twinkle Little Star
きらきら星" »

2008年04月25日

ABC Song
ABCの歌

ある人とこんな話をしました 。

「近所にイギリス人の宣教師が越してきたので、英語を教えてくれと頼んだら、いいよというので出かけて行ったのですよ。
ところがですね、いきなりABCからやろうというじゃあありませんか 。冗談じゃないでしょ、ABCからなんて 。
じゃあ、いいですといって帰ってきましたよ」

「あなた、ABCの歌、歌えますか」

「歌えますとも 。中学のときよく歌いました 。今でもちゃんと覚えてますよ」

「じゃあ、歌ってみてください 。英語でですよ」

エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、エッチ、アイ、ゼー、ケー、エル、エム、エン、オー、ピー、キュー、アール、エス、ティー、ユー、ブイ、ダブリュー、エックス、ワイ、ジー、 ・ ・ ・

「あなたね、その牧師さんは最高の先生だったかも知れませんよ 。惜しいことをしましたね」

そのひとは、とてもけげんそうな顔をしています 。みなさんは、私の言ったことばの意味が分かりますね 。


英語音を日本語のカタカナで正確に表すことは出来ませんが、このひとの発音は、
GZも「ジー」なのです。


それより前に最初のAを「エー」と発音するのを聞いたとたんに、このひとが発音に無頓着なことが分かりました。
英語ではe〕の音が、音引き(長音)になることは、絶対にないのです。
だから、KJも「ケー」や「ゼー」ではありません。
これらは、二重母音といって、「エィ」「ケィ」「ジェィ」を一音として発音するのです。
同様に、「メール」「エース」「テーブル」なども、英語音としてはとても変に聞こえます。
どちらかといえば「メィル」「エィス」「ティブル」に近いですね 。ではシェークスピアはどうなりますか? そう、シェイクスピアですね。
Cは「シー」ではなく「スィー」です。
それが濁ったのがZですから、「ズイー」くらいになります。Gとはずいぶん違いますね。
もっともこれはアメリカ音でイギリスでは「ズエッド」に近い発音をします。
これ以外にも、J,L,R,V,などは日本語にない音ですから、注意を要しますよ 。

では、まず発音練習してから、元気よくみんなで歌ってみましょう!

A-Zまでの歌い方はふたつありますが、日本では(1)(3)が、英米では(2)が一般的のようです。
みなさんはどちらが好きですか。
Zまで歌ったら、(1)、(2)、(3)の後半のどれかを付け加えて終わりにしましょう 。
(3)の happy shall we be は、we shall be happy の語順が入れ換わったものです 。
意味を強めるための倒置法といって高等学校レベルの表現ですが、みなさんは覚えられますね 。

続きを読む "ABC Song
ABCの歌" »

2008年03月03日

Aloha Oe
アロハ・オエ

訳詞:徳山たまき


優しく 奏ずるは
ゆかし ウクレレよ
ハワイの波静か
夢を乗せて揺るる


アロハ・オエ アロハ・オエ
こだまする あの調べよ
アロハ・オエ アロハ・オエ
さらば ハワイよ


おとめの 掻き鳴らす
うれし ギターレよ
果てなき海越えて
遠く遠く響け


アロハ・オエ アロハ・オエ
こだまする あの調べよ
アロハ・オエ アロハ・オエ
さらば ハワイよ


ハワイ王朝最後の女王リリウォカラニ(1838−1917)の作詞・作曲と伝えられていますが、この英訳者(一部原作者)は不詳です。リリウォカラニはその高い教養と博識のために多くの住民の信望を集め、1898年にハワイがアメリカ合衆国に併合されたあとも、生涯女王として慕われ続けました。そして、その死後もこの歌は多くの人に歌い継がれ、今日では広くハワイを代表する民謡と考えられています。「アロハ・オエ」とは、現地語で「さようなら」を意味しますが、反乱者として捕らえられた200名の命と引き換えにイオラニ宮殿を明け渡した女王の、前王であった亡き兄、国民、そして国に対する、万感の思いが込められているように思えます。もっとも、女王が霊感を受けたのは1870年代のある日、別れを惜しんで接吻を交わす恋人同士の姿を見て、とされていますから、上の解釈はその後のハワイの歴史を反映したものです。
日本語の歌詞はたくさんありますが、上の訳詞は戦時中から藤山一郎たちと並んで人気を博した徳山たまき(1903−1942)によるものです。これ以外では堀内敬三、伊庭孝のものがよく歌われるようです。

liko「リコ」、ハワイ特有の山花、数枚の肉厚の緑の葉の中に小さな白い花をつける。ahihilehua「アヒヒレフア」、ハワイの渓谷に見られる潅木。Aloha Oe、英訳ではFarewell to thee「さらば、きみ」となっていますが、ここではあえて馴染みの深い「アロハ・オエ」と歌ってみました。bowers「木陰」、One fond embrace「心を込めた抱擁をもう一度」、embrace、恋人同士の接吻を伴う抱擁。肉親や友人との抱擁は、hug。hug and kissとはよく言いますが、embrace and kissとは言いません。thou art mine own=you are mine(my) own。I have seen and watched your loveliness, The sweet rose of Maunawili「マウナウィリのバラ」と「きみ」をかけました。'tis there=it is there that…(強調構文です)。

続きを読む "Aloha Oe
アロハ・オエ" »

2008年02月21日

School Days
小学校時代

 1950年代、平川唯一先生のあとを継いだ松本亨先生担当のNHKラジオ英語会話番組のテーマソングでした。最初のころしばらくの間、合唱の曲が流れたあと、松本先生が歌詞を何度か朗読し、解説されたのを、高校生になったばかりだった私は、今でもはっきりと覚えています。‘Golden Rule'とは「黄金律」といい、このサイトでも以前に紹介していますが、同名のスクール・ソング(または賛美歌)があります。日本では「旅泊」ないし「灯台守」として知られています。参考にしてみてください。「自分にしてほしいことを他人に対してしなさい」との教えで、人間が平和で幸せな生活を送る上でもっとも崇高な掟なのです。次の行の「読み、書き、算術」は、洋の東西を問わず、勉学の基本ですね。先生がヒッコリーの鞭を振りながら楽しそうに授業をされている様子が目に浮かびます。もっとも、いたずらっ子や怠慢な生徒にとっては、一転して体罰の道具にかわるヒッコリーの鞭は恐怖の対象でもあったようですが。
 さて歌のほうは、「はだしのはにかみやだったぼくにとって、キャラコの服を着た女王様」だったきみがぼくの石版に「大好きよ」と書いてくれた、幼いカップルだった頃のなつかしい思い出で締めくくられます。まだノートもエンピツもない時代、こどもたちは各自石版を持って学校に通い、その上に蝋石で文字や絵を書いていました。そんな時代から、こどもどうしが “I love you”などと言い合う、アメリカってすごい国だなあ、と思ったものです。
 お断りしておきますが、実はこの歌には、

Nothing to do, Nellie Darling,
Nothing to do you say,
Let's take a trip on memory's ship,
Back to the bygone days.
Sail to the old village school house,
Anchor outside the school door,
Look in and see,
There's you and there's me,
A couple of kids once more.
【大意】することがないなら、ネリーちゃん、思い出の舟(タイムマシン)に乗って、あの村の小学校時代に帰ってみようよ。校舎の入り口の外に錨をおろし、教室をのぞいてみるんだ。ほら、きみがいる、ぼくもいる。もう一度こどものカップルに戻れたね。

 という余り歌われない本体があるのですが、ここでは多くの人に特に人気のあった繰り返し(または、コーラス)部分のみを紹介しました。
to the tune of「…の調子を合わせて」、前置詞to「…に合わせて」に注意。a hickory stick「ヒッコリー(北米産のクルミ材の一種)の鞭」、昔の先生は鞭を振って調子を取りながら授業をしました。「スズメの学校」の先生も、鞭を振り振りチーパッパ、と授業していましたね。in calico「キャラコ(アメリカでは、きれいな花や鳥の模様のついた綿布、イギリスでは白い無地の服)を着た」、ここではアメリカの歌ですから無論前者です。前置詞in「…を着た、…を身につけた」に注意。beau「ダテ男、(男の)恋人」、発音に注意。slate「石版」、かつては、この上に蝋石で文字や絵をかいていました。“I love you so.”は初版では、“I love you Joe.”となっていました。

続きを読む "School Days
小学校時代" »

2008年02月08日

Mollie Darling
冬の星座

 「木枯らし途絶えて、冴ゆる空より、地上に降りしく、奇(くす)しき光りよ、ものみないこえるしじまの中に、きらめき揺れつつ、星座は巡る」(堀内敬三)と歌われる「冬の星座」(『中等音楽』(一)、1947)の元歌です。原曲は、「故郷の廃家」(My Dear Old Sunny Home)と同じへイズ(William Shakespeare Hays, 1837-1907)が1872年に作詞・作曲しました。そして、印刷した楽譜が発売されるや、空前の売れ行きを示し、その総数はなんと300万部にも達したそうです。現代ならさしずめシングルのCDが何千万枚も売れたことに匹敵する大ヒットとなったのです。詩人であったヘイズはフォスター(Stephen C. Foster, 1826-1864)より9歳年下でしたが、早世したフォスターと入れ替わるように、1860年代から作曲を始め、生涯で300曲余りを世に出しました。その中でもっとも人気のあったこのMollie Darlingは代表作中の代表作と言えるでしょう。日本にも明治期から導入されていましたが、最初に歌われたのは、次のような歌詞でだったそうです。


他郷の月  ヘイズ 1872  作詞:中村秋香 1911


よくと悦ぶ父母の君
あれ姉上と駈け来る妹
恋しき我家に嬉しや今
帰ると見しは夢なりけり


宵の時雨は跡なく晴れて
傾く月に雁鳴き渡る
あはれあの雁もまたわがごと
別れや来つるその故郷
(金田一春彦・安西愛子・編『日本の唱歌』(中)、講談社、1977、320)


 さて、原詞ですが、内容は上のいずれとも関係ありません。愛する喜びだけを歌った、とても単純な恋歌です。「ぼく以外は誰も愛さないで」とか「君はこの世のすべて」だとか、「きみの小さな手を握らせてくれ」などと、出だしでは特別な思いはそれほど語られません。2番に入って、星や花や月が登場し、やっと少し詩的な雰囲気が出てきます。3番の最初に、「心は痛むけど、きみと別れなければならない」(I must leave you…Tho' the parting gives me pain;)という言葉が出てきますから、あるいは失恋の歌かと思ったら、次に続く文句で近いうちにまた会える状態にあることがわかります。昔、「今夜はこれでさようなら…明日の晩も会えるじゃないか」と歌う演歌があったのを思い出しました。それにしても、このような恋歌に、オリオンやスバル、北斗の針、を登場させる堀内敬三さんの感性、想像力はすごいと思いませんか?もっとも、私には、このサイトでもすでに紹介した杉谷代水の「星の界(よ)」(What a Friend We Have in Jesus)にヒントないし刺激を受けているように思えてなりません。なお、原曲には少し節の変わるコーラス部分が繰り返されますが、上の日本語歌詞ではいずれもこの部分は省かれています。原曲どおりに歌われるのは、ことによったら、このサイトが日本で初めてかも知れませんね。
語句の解説はほとんど必要ないでしょう。none else but me=no other men except me、all the world=everything、mine=my hands、thine=your heart、Let you answer be a kiss.以前に、英語が平易だからというので中学の教材にしょうとしたら、kissという単語があるから、教育的でないとのチェックが入ったことがあるそうです。Thro' the mystic vail of night=Through the mystic veil of night、Luna= the moon、Happy may you ever be=May you ever be happy「君がいつも幸せでいますように」(祈りの表現)

続きを読む "Mollie Darling
冬の星座" »

2008年01月28日

My Dear Old Sunny Home
故郷の廃家

故郷の廃家  作詞・作曲 ヘイズ 1871 訳詞:犬童球渓 1907


幾年ふるさと、来てみれば、
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変わらねど、
荒れたる我が家に、
住む人絶えてなく。


昔を語るか、そよぐ風、
昔をうつすか、澄める水、
朝夕かたみに、手をとりて、
遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
さびしき故郷や、
さびしき我が家や。
(『中等教育唱歌集』、1907)


原曲を作詞・作曲したウィリアム・シェイクスピア・ヘイズ(William Shakespeare Hays, 1837-1907)は、本名を名乗るのが気恥ずかしかったのか、いつも「ヘイズ」の方を名乗っていたそうです。なお、日本では「ヘイス」と呼ばれることが多いようですが、正確には「ヘイズ」と最後のは濁ります。日本語の作詞者は、「旅愁」(Dreaming of Home and Mother)と同じ犬童球渓(1879−1943)です。「旅愁」の解説のところでも述べました生徒たちによる反乱という犬童の体験がこの曲にも反映されているような気がします。当時、新潟の女学校にあって、遠く離れた故郷熊本の我家を想像したものでしょう。以下は語句の解説です。
mocking bird「モノマネドリ」、歌詞に登場する鳥のなかでは恐らくベスト3に入るでしょう。magnolia「マグノリア、木蓮」、Mississippi州のことをthe Magnolia Stateと呼ぶことがあります。E'er=Ever、to以下を強調します。cottage「田舎の家、農家」、Sing, alas, no more.「ああ、悲しい、もう二度と歌わない」、Since I cross'd the foam「大洋を渡って以来」、the foam=the ocean、Other forms=Other persons、Brings to mem'ry thoughts of loved ones「懐かしい人々を思い出させる」。

続きを読む "My Dear Old Sunny Home
故郷の廃家" »

2007年12月20日

Aura Lee
オーラ・リー

半世紀ほど前にエルビス・プレスリーが、'Love me tender, love me sweet, never let me go'と歌う「ラブ・ミー・テンダー」が世界的に大ヒットしましたね。まだテレビはそれほど普及していませんでしたから、私たちの記憶では、ラジオから流れてくる彼の歌声だけでしたが、それこそラジオをつけさえすれば聞こえてくるといった感じでした。最近になってこれには元歌があったことを知りました。19世紀半ばにやはりアメリカでヒットしたこの「オーラ・リー」です。南北戦争の頃、兵士たちのあいだで盛んに歌われていたそうです。オーラ・リーは19世紀はじめに実在した女性で、学校の教師だったという説がありますが、兵士たちは故郷に残してきた恋人を彼女に重ね合わせたのかも知れませんね。
以下は語句の解説です。blackbird「ムクドリモドキ」(米)、'neath=beneath、willow tree「ヤナギの木」(失恋の象徴とされることがあります)、pip'd=piped、pipe「(鳥が)甲高い声でさえずる」、Aura Lee「オーラ・リー」女性の名前、の音の練習に都合がいいですね。along with…「…とともに」、thee=you(目的格)、'twas=it was、spake=spoke、with sudden splendor break「ぱっと明るく輝いた」。

続きを読む "Aura Lee
オーラ・リー" »

2007年12月14日

Rocked in the Cradle of the Deep
たゆとう小舟

たゆとう小舟 1909


訳詞:近藤朔風


たゆとう小舟に 霊能(みちから)たよりて
波の上(え)うらうら 入らばや眠りに
み恵みあまねし まもらせ給(たま)わめ
安らかに眠らな たゆとう小舟に
安らかに眠らな たゆとう小舟に


夜嵐吹くとも 知らずよ愁いは
荒波逆巻き この身は沈むも
久遠(とわ)なる生命は 神こそ給わね
安らかに眠らな たゆとう小舟に
安らかに眠らな たゆとう小舟に


近藤朔風の「たゆとう小舟」は、明治42(1909)年に『名曲新集』に載りました。私は中学の音楽で習いましたが、難しい歌だなという印象でした。原詞を書いたのはアメリカ人の教師で学校経営者のエマ・ハート・ウィラード(Emma Hart Willard、1787−1870)という女性ですが、1831年、ヨーロッパからアメリカに帰国の途中、大西洋上で書いたといわれています。当時のことですから、木造の帆船ですね。台風やハリケーン(大西洋)の発生状況も進路も分らぬ時代ですから、船客にとって暴風に出会うということは、大変な衝撃と不安にさいなまれる出来事でした。当然死を覚悟しなければならなかったでしょう。すがるものといえば、神のみです。以前に紹介した「アメージング・グレース」(Amazing Grace)を作詞したジョン・ニュートンも奴隷船の船長をしていたとき、難船し神に祈りました。祈りが通じて救われたと思った彼は、回心して聖職者になりましたね。この主人公もきっと神に祈りながら、この詩を書いたことでしょう。
朔風の訳詞は大分雰囲気こそ違いますが、作者の思いは十分伝わってきます。語学の天才であった朔風の面目躍如といったところです。曲をつけたのはイギリス人のジョセフ・P. ナイト(Joseph P. Knight,1812-1887)ですが、歌詞が書かれた数年後のことです。これが機縁となって、ナイトはしばらくウィラード女史の経営する学校で音楽教師を勤めたそうです。以下は語句の解説です。
Rocked in the cradle of the deep「海原に浮かぶ揺りかごに揺られて」、神にとっては大きな船も小さな揺りかごも同じ、というわけです。I lay me down=I lie down、lie(自動詞)とlay(他動詞)それぞれの用法と活用に注意。なお、I lay me down in peace to sleepは聖書(旧約)からの引用です。Secure「安心して」、slight「軽んじる、ないがしろにする」、call「(救いを求めて)呼ぶ声」、mark「気に留める」、in the dead of night「真夜中に」、trackless「境目のない」、The star-bespangled heavenly scroll「星を散りばめた天の絵巻き物」、I feel thy wondrous power to save From perils of the stormy wave「嵐の海の危険から救う驚くべき神の力を感じる」とは、航海中に嵐に遭っても、神を信じてこの身を委ねようと言っているわけです。such the trust that still is mine「私はなおも固く信じている」、the tempest's fie'ry breath「嵐の猛威」、 Rouse me from sleep to wreck and death「眠りから覚まし、難船と死に導く」、In ocean cave「大洋の祠(ほこら)、片隅」、The germ of immortality「不滅の兆し」。

続きを読む "Rocked in the Cradle of the Deep
たゆとう小舟" »

2007年10月25日

Her Bright Smile Haunts Me Still
暗路、ホトトギス

暗路(やみじ)、または、ホトトギス  1909


作詞:近藤朔風(1880−1915)


おぐらき夜半(よわ)を ひとり行けば
雲よりしばし 月はもれて


ひと声いずこ 鳴くホトトギス
見かえるひまに 姿は消えぬ


夢かとばかり なおも行けば
またも行く手に 暗(やみ)はおりぬ


秋夜懐友  1914


作詞:犬童球渓(1879−1943)


たなれのおごと ともにかきなで
すみゆく月を めでしも今は
夢とすぎつつ 友また遠く
われのみひとり 淋しき窓に
変わらぬ月を 眺めぞあかす
とわたるカリよ 思いを運べ


はしいの夕べ 手をとりかわし
行く末までも 今宵のままと
誓いしものを その友今は
海山遠き かなたの里に
なきゆくカリを いかにか聞ける
み空の月よ 俤(おもかげ)うつせ


 「暗路(やみじ)、または、ホトトギス」という題で小6(1950)の音楽で習いました。「おぐらきよわを」って何のことだろう、などとは思いもしないで歌っていましたね。大柄で赤ら顔のテングというあだ名の先生がまず歌ってきかせました。そのときの先生の表情、仕草、大声、を60年近くたった今でも覚えています。それだけではありません。級友たちの席順、動作、ざわめきなども目に浮かぶのです。音楽には確かにこのような効果がありますね。愛唱歌に出会ったときの記憶、印象は生涯消えません。それを取り巻く環境も覚えていますから、大げさではなく、日記にも勝る人生の記録といえるでしょう。
 原曲は、イギリス人のライトン(W. T. Wrighton,1816−1880)作曲、カーペンター(S. E. Carpenter)作詞の恋歌というか、亡くなった恋人の姿が、その明るい笑顔が、どこにいても、四六時中ぼくに取り付いて離れないと歌う失恋の歌です。1857年頃の作と伝えられていますが、わが国では近藤朔風(1880−1915)の「暗路(やみじ)または、ホトトギス」が1909年に『女声唱歌』に、犬童球渓(1879−1943)の「秋夜懐友(しゅうやかいゆう)」が1914年に『尋常小学唱歌(6)』に載りました。先に述べましたように朔風の「暗路」は少なくとも20世紀後半までは日本中の学校で歌われていました。朔風は語学に堪能で、原詞の意味を出来るだけ伝えようとした、いわゆる翻訳歌詞の草分けと考えられていますが、ここではいずれの歌詞ももとの恋歌とは関係ありません。では少し原詞の解説をしておきましょう。
  'Tis years since last we met=It is (many) years since we met last「最後に会ってから何年も過ぎた」、may not=can not、struggled to…「…しょうと苦労する、もがく」、was in vain「無駄だった」、spirit「面影、姿」、もとの意味は「亡霊」ですが、恋歌には余りなじみませんね。at will「思いのままに」、haunts「離れない」、もとの意味は「つきまとう」で前のspirit「亡霊」に対応しています。first sweet dawn of light「夜明けの淡い薄明かり」、the deep「大海原」、Her form still greets my sight「彼女の姿が私の視界に出会う」とは、「彼女の姿が見える=目に浮かぶ」、the stars their vigils keep=the stars keep their vigils「星たちが寝ずの番をしている」とは、「…まだ消えないで空に残っている」こと。aching eyes「痛む目」、Sweet dreams my senses fill=Sweet dreams fill my senses「甘い夢がぼくの五感を満たす」、‘neath alien skies=beneath foreign skies「外国の空の下を」、trod、tread「歩む」の過去および過去分詞。the desert path「砂漠の細い道」、I’ve seen the storm arise「嵐が起こるのを見た」、ariseは原型(toのつかない)不定詞です。Like a giant in his wrath「怒り狂った巨人のように」、ヴァージョンによってはa giantan oceanになっています。a reckless life「捨て鉢な、無鉄砲な人生」、her presence is not flown「彼女の姿は消えない」、presenceは前述のspiritとほぼ同義。flownfly「吹き飛ばす」の過去分詞です。ヴァージョンによってはflownknownになっています。

続きを読む "Her Bright Smile Haunts Me Still
暗路、ホトトギス" »

2007年10月05日

Home! Sweet Home!
埴生の宿

埴生の宿(作詞:里見義) 1889

埴生の宿も わが宿 
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春の空 
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ 
たのしとも たのもしや

文読む窓も わが窓 
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半 
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ 
たのしとも たのもしや

 里見義(1824−1886)作詞の「埴生の宿」は、里見の死後『中等唱歌集』(1889)に載りました。以後わが国で1世紀以上にわたって愛唱されてきた外国曲のひとつです。当時の日本では、外国曲に原詞から離れた日本語独自の歌詞をつけるのが通例でしたから、上の歌詞は原詞の意味も相当伝えているという点では例外的な少数派でした。原曲は、アメリカの劇作家J. H. ペイン(1792−1852)が書いたオペラの脚本「ミラノの乙女、クラリ」(Clari: or, The Maid of Milan)の中でヒロインのクラリが歌う望郷の歌に、イギリス人のH. R. ビショップ(1786−1855)が曲をつけました。もとのオペラはほとんど忘れ去られましたが、この歌だけが独り歩きし、現在では広くイギリス民謡と考えられています。
昔見た「ビルマの竪琴」という映画の中にこんなシーンがありましたね。第二次世界大戦の最大の激戦地のひとつであったビルマ(現ミヤンマー)で日本兵たちがイギリス軍に包囲されていました。隊長は兵士たちの士気を鼓舞するためみんなで合唱することを命令します。ひとりの兵士が奏でる竪琴の音にあわせて彼らが歌い始めたのが、この「埴生の宿」でした。するとどうでしょう。周りから同じ曲が聞こえてくるではありませんか。イギリス兵たちが英語で歌っていたのです。実は、これにはヒントになった出来事が第一次世界大戦中にありました。詳しくは、本サイトにアップしているO Christmas Treeの解説をご覧ください。
'Mid=Amid「…の中を」、pleasures and palaces「快楽と宮殿」、roam「さまよう、ぶらつく」、Be it ever so humble=Even if it is ever so humble「たとえどんなに貧しくとも」、譲歩表現です。there's no place like home「我が家にまさる場所はない」、likeの用法に注意してください。余談ですが、余りにも有名な文句であるため、時にはふざけて、「我が家ほどひどいところはない」の意で使われることもあるそうです。hallow「神聖なものとして清める」、seek thro' the world「世界中探しても」、elsewhere「他の場所では」、複合語です。cf: anyone elseのときは離します。exile「追放(された)者」、from home「故郷から」、splendour dazzles「輝きがまぶしく光る」とは、人生で成功し贅沢な暮らしをすること。in vain「無駄に、虚しく」、lowly「みすぼらしい」、thatch'd cottage「(粗末な)藁葺きの小屋」、at my call「私の呼び声に答えて」、themは小鳥の歌声。with the peace of mind「心を和ませて」。

続きを読む "Home! Sweet Home!
埴生の宿" »

2007年09月21日

Turkey in the Straw(Oklahoma Mixer)
藁の中の七面鳥、オクラホマ・ミクサー

「藁の中の七面鳥」ないし「オクラホマ・ミクサー」として、メロディーを聞いたことのない人はいないでしょう。あるいは、中学高校時代にもっとも人気のあったフォークダンスの曲と言った方が、分かりやすいかも知れませんね。しかし、歌詞つきで歌われることはあまりないようです。さらに、不思議なのは、アメリカ曲であることに間違いはないようですが、フォークダンスの曲として用いられることはまったくないこと、題名になっているオクラホマ州でさえも誰も知らないということです。従がって、ダンス曲として定着したのはどうも日本だけのようです。外国のものだけど、本家本元にはないものといえば、「ラーメン」みたいなものでしょうか。起源に関する説や歌詞にはさまざまなヴァリアントがあるようです。詳しくは、櫻井雅人「藁の中の七面鳥の系譜」(その1)(その2)『一橋論叢』Vol.126. No.3, 224-241, 2001. Vol.127. No.3, 263-276. 2002. を参照してください。ここに取り上げた歌詞は、数多いヴァージョンの中のひとつですが、他のものと同様、内容は意味があるようでない、いわばナンセンスものです。
では、少しだけ語句の解説をしておきます。a-goin'=going、team「(馬車を引く)一組の馬」、leader「先頭の馬」says=say、day-day「ドウドウ(馬に対する掛け声)」、tongue「舌=前に突き出たもの=馬車の長柄(ここでは馬の一団)」、’em=them、Roll「転がす」、twist「捻じる」、A high tuck a-haw「元気のよい掛け声」、hit 'em up a tune called Turkey in the Straw「藁の中の七面鳥の音楽で元気づけてやれ」、Instead of「…の代わりに」、mother-in-law「義理の母、姑、奥さんのお母さん」。

続きを読む "Turkey in the Straw(Oklahoma Mixer)
藁の中の七面鳥、オクラホマ・ミクサー" »

2007年08月31日

Nobody knows the trouble I've Seen

有名な黒人霊歌のひとつです。「わが悩み知り給う、主こそわが神」で始まる津川主一の訳詞はよく知られていますね。黒人たちにとって、過酷な重労働があるだけの奴隷制度の時代から歌われていた、と考えられていますが、記録が現れるのは1865年、現在よく知られている版は、1874年、Hampton and Its Studentsに収録されたもののようですから、南北戦争以後です。生きている意義も見出せない彼らにとっての救いはまさに聖書だけなのだ、という教えは主に北部の反奴隷制運動家(白人)によって広められたという説もあります。いずれにせよ、この教えに忠実に従がったアフリカ系アメリカ人は、ある意味でもっとも敬虔なクリスチャンかも知れませんね。
Nobody knows the trouble I've seen「私が味わってきた悩みをだれも知らない」、バージョンによってはI've seenがI seeになっています。現在完了を使うと「今までずっと見てきた」と、継続の意味が加わりますから、意味もずっと強くなりますね。but=except「・・・を除いて」、ですから「イエスだけが知っている」の意味です。Glory hallelujah!「万歳!」「栄えあれ!」、祈りのことばです。Sometimes I'm up, sometimes I'm down「時には嬉しく、時には悲しい」、upは「高い」「嬉しい」「強い」、downは「低い」「悲しい」「弱い」、のように、ある種精神的な対照をなしています。Oh, yes, Lord!「そうです、主よ!」、Sometimes I'm almost to the ground「時にはどん底近くに落ちます」、天から見れば地面はどん底です。2行前のI'm downから続きます。

続きを読む "Nobody knows the trouble I've Seen" »

2007年08月03日

Rock-a-bye, Baby
ロッカバイ・ベイビー

イギリス伝承童謡・マザーグースの唄のひとつということになってはいますが、実はアメリカ生まれなのす。唄の歴史はずいぶん古く、1620年のメイフラワー号(The Mayflower)による清教徒の移住時までさかのぼれるそうです。アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の若い母親が赤ん坊を手製の揺りかごに入れて木の枝にぶらさげているのを見た若い清教徒が、この歌詞を地面に書いたのが始まりだといわれています。2番の歌詞からは、本国のイギリスの雰囲気もうかがえますので、移住したとはいえ作者がイギリス人ですから、イギリス伝承童謡に数えられるのかも知れませんね。もちろん、子守唄としても歌われます。私の身近にも、初孫に歌ってやりたいからと、この唄をいっしょうけんめい練習している新米のおばあちゃんがいますよ。
Rock-a-bye「ゆらりゆらり」、以前はHush-a-byeと歌われていた時期がありました。rock「揺れる」、動詞です。bough「大枝」、これに比べて小さな枝はbranchです。down will come baby=baby will come down=fall、倒置表現です。nobleman「貴族」、lady「貴族の夫人」、cf: ‘Ladies and gentlemen'という呼びかけをよく聞きますが、Ladiesは女性だから先にくるのではなく、同じ貴族でもgentlemenよりランクが上だからなのです。Ladiesの男性形はLordsです。wears a gold ring「金の指輪をはめる」、wearは「身につける」の意味ですから、wear a ribbon、wear shoes、おもしろのは、He wears a mustache.「彼は口ヒゲをはやしている」、のように用いられます。drums「ドラム(太鼓)を打つ」、これも動詞です。

続きを読む "Rock-a-bye, Baby
ロッカバイ・ベイビー" »

2007年07月20日

I've Been Working on the Railroad
線路は続くよどこまでも

「線路は続くよどこまでも」(線路工夫の歌)はもう100年以上歌い継がれてきたアメリカの労働歌(民謡の一種)です。19世紀半ばのアメリカは、南北戦争などあり動乱の時代でしたが、西部への開拓がもっとも進んだ時代でもありました。それを象徴する大きな出来事のひとつが、大西洋岸から太平洋岸に達する大陸横断鉄道の建設です。南北戦争後まもない1869年に開通しましたが、この労働に携わったのは主としてアイルランド系の移民であったといわれています。彼らは自国の大飢饉(1845−48)のため大挙して新大陸に移住してきたのですが、情熱的なところと陽気なところを持ち合わせていました。そのせいか、歌詞にもメロディーにもそれがうかがえますね。最近英語教育が導入されたある小学校の低学年でこの歌を歌わせたら生徒たちにとても人気があったそうです。
語句で気をつけたいのは以下のような表現です。I've been working「… 働き続けてきた」、現在完了進行形で、動作の継続を表わします。on、「〜の一員として、〜に従事して」、前置詞にはじつにさまざまな意味があります。この他にも、to、for、of、in、atなど一度辞書で丹念に調べてみたいものです。All the livelong day「一日中」、livelong「うんざりするほど退屈で長い」、Just to pass the time away「ただ時間を過すために」、whistle「汽笛」、captain「親方」、Dinah「ダイナ」、汽車の名前、仲間、親方、はては女友達の名前などと、いろいろな解釈があるようです。下の訳詞は、久し振りに歌えるように訳してみました。英語、日本語、交互に歌ってみてください。

続きを読む "I've Been Working on the Railroad
線路は続くよどこまでも" »

2007年07月13日

Shenandoah
シェナンドー

初出は1882年(W. L, Alden.”Sailor Song”)ですが、曲そのものは船乗りの歌として19世紀初頭から歌われていたようです。西部劇映画「ブラボー砦の脱出」(1959)の挿入歌として歌われ一躍有名になりました。「シェナンドー」とは、河の名前、渓谷の名前、など数種の解釈がありますが、アメリカインディアンの酋長とするものが一般的のようです。その娘に恋した開拓者(商人、船乗り、などとするものもあります)の白人男性の気持ちを歌ったものだと言われています。多くの西部劇を見ると、当時の原住民とヨーロッパ移民はとても仲が悪く、殺伐な殺し合いばかりしていた印象を受けますが、同じ人間ですから、この歌のような恋があっても何の不思議もありません。そういえば、このサイトで紹介した「レッド(赤い)河の谷間」(The Red River Valley)も白人男性に恋したインディアン娘の歌でしたね。なお、ミズーリ河とはミシシッピー河最大の支流で、セントルイスから分かれてロッキー山地に達する大河です。地図で確かめながら、開拓時代のアメリカに思いを馳せてみてください。
語句の解説です。long to「・・・することを切望する」、Away you rolling river「なんじ、とどろく河の向こうで」、we're bound away「我々は別れねばならない」、'Cross the wide Missouri=Across the wide Missouri「広いミズーリ河を渡って」、Farewell my love「さらば、恋人よ」、I'm bound to leave you「お前をおいて行かねばならない、お前と別れなければならない」。

続きを読む "Shenandoah
シェナンドー" »

2007年06月29日

When the Saints Go Marching in
聖者の行進

「聖者の行進」ないし「聖者が町にやってくる」などとしてとてもよく知られた曲ですから、メロディーを聞いたことのないひとはいないでしょう。20世紀最高のジャズの王様と呼ばれた通称サッチモ(Satchmo)こと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901-1971)のトランペット演奏と歌唱で有名になりました。もとは19世紀末に、ニューオーリーンズ(New Orleans)の黒人たちが仲間の葬式のとき歌い始めたらしいと言われますから、アメリカ民謡としましたが、黒人霊歌(Black Spiritual)、ないし賛美歌(Hymn)に数えてもよいかも知れませんね。ただ、教会で歌われることはほとんどないようです。先のサッチモのジャズによる演奏と歌唱は、第2次世界大戦の始まる前の1938年に世に出ました。当初、神聖な宗教歌をジャズにするとは何事か、冒とくするのもはなはだしい、などという批判の声もあったそうですが、そんな声は市民の圧倒的な支持のもとにかき消されてしまいました。もともと黒人の伝統的な葬列では、墓地に向かうときはゆったりしたテンポの、例えばFlee as a Bird(このサイトでも紹介しています)のような曲を、帰りにはこの「聖者の行進」のように軽快な早い曲をブラスバンドが演奏します。「聖者が町にやってくる」という邦題の方もよく知られていますが、原詞には「町、街」は出てきません。わたしが始めてこの歌が英語で歌われるのを聞いたのは、小学生のときだったか中学生になってからだったかよく覚えていませんが、やたらに「マーチーニー(町にー)」が出てくるなと思ったのを覚えています。これを聞いて作詞者も思わず「町に」としてしまったのかなあ、などと想像しています。これは余談でした。
語句・表現については次のようなものに気をつけてください。Saints「聖者、聖人」の他に「死者」の意味があります。go marching in「行進して行く」、cf: go shopping, go fishing、Oh, Lord「おお、神よ」、I wanna be=I want to be、in that number「あの大勢の中に」、number「数、番号、大勢」、cf: a number of=a lot of=many、Up where the streets are paved with gold「上の通りが黄金で舗装されたところ」とは「天国」のこと。crown「王冠を被せる」動詞です。Him Lord of all「神の中の神」、HimLordは同格。

続きを読む "When the Saints Go Marching in
聖者の行進" »

2007年06月15日

Dreaming of Home and Mother
旅愁

旅愁 作詞:犬童球渓


更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ


窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う


 かつて中学音楽の定番であった「旅愁」は、年配の方にはとても懐かしい曲でしょう。日本では、明治40(1907)年に『中等教育唱歌集』に載って以来1世紀にわたって愛唱されてきました。原曲はアメリカの医師オードウェイ(John P. Ordway, 1824-1880)の作詞・作曲になる Dreaming of Home and Mother「故郷と母を夢みて」(1868)です。日本語版は当時新潟の女学校で音楽教師をしていた犬童球渓(いんどう・きゅうけい、1879−1943)が書きました。心情的には共通する部分もありますが、原詩の翻訳ではありません。それどころか、原詩をはるかに超える出来ばえといってよいでしょう。どうしてこの歌詞がこれほどひとの心を打つのか、その理由は球渓の実体験に根ざしているからではないかと思います。新潟へ行く前、球渓は兵庫県の中学の教師をしていました。そこで彼は熱心に西洋音楽を教えようとしました。ところが、ここで思いもよらぬことが起こりました。よろこぶと思った生徒たちが、こともあろうに「軟弱」という理由で欧米の音楽を拒否し、球渓排斥の運動まで起こしたのです。「窓うつ嵐に 夢もやぶれ」はこのときの心境を歌ったものと思われます。傷心の球渓は新潟へ転勤しますが、この出来事は終生彼の心から離れず、ついには自ら命を絶つ結果につながったのかも知れません。「わびしき思いに ひとりなやむ」をはじめとして、全編にその思いが凝縮されています。「恋しやふるさと なつかし父母」は失意の人間が最後に頼るのは、やはり故郷と両親であることを示しています。球渓はもちろんペンネームで、故郷は熊本県人吉市を流れる球磨川の渓谷からとりました。3年後にコンバースの名曲What a Friend We Have in Jesus(このサイトでも紹介しています)に「星の界(よ)」(1910)の名歌詞をつけた杉谷代水がやはり故郷鳥取市を流れる千代川からペンネームを作ったのに似ていますね。
 曲の方も、「旅愁」には、原曲と微妙に異なる箇所があります。2小節ごとに終わりの部分の半拍の音符をひとつ削除しただけですが、曲の雰囲気がずいぶん違ってきます。これによって、曲の方も原曲を超えているような気がしませんか。日本でたゆまず歌い継がれた百年の間にアメリカではすっかり忘れ去られたという事実がこれを物語っています。この改変もたぶん球渓の手によるものでしょう。ここでも、「旅愁」のメロディーで歌うことを考えましたが、そのためには歌詞を幾分変えなければならないし、また聞き比べていただくことに若干の意味もあるだろうし、何よりもここでは「英語の歌」による「英語発音の習得」が目的であるのだからと考えて、あえて原曲で歌うことにしました。総じて無理なく歌え、繰り返しも多く、英語の発音練習にはもってこいの歌ではないでしょうか。
 では、少し語句の解説をしておきましょう。'tis sweet to find=it is sweet to find、itto以下を指します。oft=often、I've been dreaming of home and mother、現在完了の進行形です。「今までずっと―し続けていた」、と継続してきたことを表わします。when we did roam=when we roamed、didは強調です。balmy「(眠りなどが)さわやかな」、Keep me still thinking of mother「に・・・させ続ける」、cf: I'm sorry to have kept you waiting so long.「ながらくお待たせしてすみませんでした」、Hark!「聞け!」「おや!」、I seem to hear.「聞こえたようだ」、soothing me to rest「休むべく慰めに」、目的を表わす分詞構文です。none other「それ以外のものは感じない」、say I shall be blest「私に祝福があれと祈る」、Childhood has come, come again「幼年時代がやって来た=思い出された」、her loved form「彼女(母)のやさしい姿」、brow「ひたい」発音に注意。

続きを読む "Dreaming of Home and Mother
旅愁" »

2007年06月01日

Solomon Grundy
ソロモン・グランディー

 イギリス伝承童謡、マザー・グースの唄のひとつです。まず、ソロモン・グランディというネイミングから考えてみましょう。ソロモンとは古代イスラエルの賢王の名前です。現代でも、「とても賢い」という意味で、He is as wise as (King) Solomon.と言ったりしますね。かたや、グランディはとても庶民的な響きを持っています。What will Mrs Grundy say?は、「グランディおばさんは何と言うだろう」=「世間のひとはどう言うだろう」という意味になります。この対照的な組み合わせが面白いですね。
次に内容ですが、ソロモン・グランディは、月曜日に生まれ、火曜日に洗礼を受け、水曜日に結婚し、木曜日に病気になり、金曜日にそれが悪化し、土曜日に死に、日曜日に埋葬された、といっています。そんな馬鹿な、と思われるかも知れませんが、一週間も100年も悠久の宇宙から見れば大差はありません。人生はそれほど短く、はかないのだと受け取られるようにわざと構成したものですが、実情はそれぞれの曜日の年代がみな違っていたということです。とまれ、どうせ短い命だからと厭世的になったり自暴自棄になったりするひとはありませんね。短いからこそ、一瞬一瞬を大切に、有意義に生きなければならないと考える人が大部分でしょう。
 語句では、金曜日に出てくるworseに注意してください。比較級・最上級は単語のうしろにer、estをつけたり、前にmore、mostをおいて活用するのが普通ですが、badillworse、worstと不規則に活用します。これは、goodwellbetter、bestと活用するのに対応します。
もうひとつ、この唄は幼児に曜日の名前を覚えさせ、同時に正しい発音を教えるという役割りを持っています。dayは普通に発音すると〔dei〕「デイ」ですが、曜日の名前になったときは〔di〕「ディ」、つまりGrundy〔・・・di〕「グランディ」と韻を踏んでいるのです。

続きを読む "Solomon Grundy
ソロモン・グランディー" »

2007年05月25日

Peter, Peter, Pumpkin-Eater
ピーターピーターカボチャ食い

 イギリスの伝承童謡、マザーグースの唄ですが、内容的には恐ろしいというか、大変深刻なものを含んでいます。カボチャの好きなピーターは、おかみさんをkeepすることが出来なくて、カボチャの殻に閉じ込めて、そこでやっとkeepすることが出来た、といっています。さて、このkeepですが、辞書をひくと「保持する」「守る」「飼う」などの意味が出てきます。おおもとの意味は「自分のものとしてとっておく」ということです。30年ほど前にアメリカに滞在したとき、ある中年男性が、半分冗談にですが、「私は少なくとも日に3回は家内にキスするんだよ」I kiss my wife at least three times a day)と言うのを聞きました。続けて、to keep herと言って、片目をつむってみせたのです。ちょうどその年、アメリカで離婚率が5割を超えたというのでずいぶん話題になっていました。数年後、風の便りで、彼も奥さんと別れたと聞きました。夫婦がお互いをkeepするって大変なんだな、と実感したものです。
 次に、カボチャの殻ですが、もちろんことばどおりに取ってはいけません。何を象徴しているか、よく考えてください。ひとつヒントを申しあげますと、かつてスコットランドで気ままな奥さんを殺して壁の中に塗りこむという猟奇事件が起こりました。この唄はそれを歌ったものだという説があります。2番で突如別のおかみさんが登場するのは不自然だという意見もありますが、上に述べた意味から考えると至極当然ですね。アメリカの小説家エドガー・アラン・ポーは、やはりこの事件をヒントに「黒猫」という名作を残しています。
 Peter learned to read and spell. spell=write、次の行のwellと韻を踏むためです。ピーターは読み書きを覚えてから人を愛せるようになります。奥さんに限らず、本当に人を愛するためには教養が不可欠だといっているのです。意味深長です。同時に、人生の真理ですね。

続きを読む "Peter, Peter, Pumpkin-Eater
ピーターピーターカボチャ食い" »

2007年05月18日

The Farmer in the Dell
谷間の農夫

 イギリスの伝承童謡集・マザー・グースの中にある遊び唄ですが、起源はアメリカらしいと言われています。「農夫」は、日本の鬼ごっこやかくれんぼの「鬼」にあたると考えたらよいでしょう。遊び方はいたって簡単です。まず、大きな輪を作り、真ん中に農夫が立って、みんなで1番を唄います。次に2番を唄っているとき、The farmer takes a wife.で、農夫は輪を作っているひとりを奥さんに選び中に連れてきます。今度は奥さんが、The wife takes a child.で子どもを選びます。以下、次々にひとりずつ選んで中に連れてきます。最後に残ったひとりが、次の農夫になります。リズムよく唄い方には何の問題もありません。英語の表現については、takeの意味が要注意です。「手に入れる」でもよいのですが、遊びの中の意味を考えて「連れてくる」としました。また、wife以下最初に出たときにはaが、次に出るときにはtheがついていることに注意してください。冠詞、つまり不定冠詞aと定冠詞theの使い方が、歌っているうちに自然に身につくのです。英語の歌の効用のひとつですね。あるイギリス人教師が、冠詞の用法を覚えるには最適の歌だね、と言っていました。Hi-ho, the derry-oは日本語の「サノヨイヨイ」「アラエッサッサ」「ドッコイショ」などにあたる掛け声みたいなものですから、特に意味はありません。

続きを読む "The Farmer in the Dell
谷間の農夫" »

2007年05月11日

The Last Rose of Summer
庭の千草

庭の千草  作詞:里見義
 
庭の千草も、虫の音も、
かれてさびしく、なりにけり。
ああ白菊、ああ白菊。
ひとりおくれて、さきにけり。
 
露にたわむや、菊の花、
霜におごるや、菊の花。
ああ、あわれあわれ、ああ、白菊。
人のみさおも、かくてこそ。


 おなじみの「庭の千草」は、明治14年から17年にかけて出た日本最初の音楽教科書(『小学唱歌集』第3編、1884)に「菊」として載りました。アイルランドの民謡ですが、日本語の作詞は当時の国文学者・里見義(ただし、1824−1886)が担当しました。うしろに日本語訳を紹介しますが、上の歌詞は原詞とはかなり異なったものになっていますね。歌い方にしても、修飾音符があったりして結構むずかしい歌です。明治の小学生たちはいったいどのように歌ったのだろうか、また歌詞にしても、「人のみさおも、かくてこそ」など、どのように解釈したのだろうかと想像してしまいました。ここにあげた原詞は、このサイトにすでに紹介した'Believe Me, If All Those Endearing Young Charms'(邦題「春の日の花と輝く」)と同様、アイルランド18世紀生まれの詩人トマス・ムーア(Thomas Moore, 1779-1852)の作です。庭に一輪だけ咲き残っているバラの花を見てその心情を推し量り、人間社会とわが身になぞらえました。人間誰しも長生きしたいという願望は持っていますが、長生きすればするほど、友人や家族、特にこれ以上悲しい、辛いことはない、子や孫に先立たれる可能性も増すわけです。誰でも見過ごしてしまいそうなバラ一輪を見てここまで想像するとは、さすがは詩人ですね。以下は語句の解説です。
Left「取り残されて」、beingが省略された過去分詞で分詞構文です。companions「仲間たち」とはもちろん既に散ってしまったバラのことです。her kindred「彼女の親族」とは、これもバラのことです。nigh=near、reflect back her blushes「美しかった姿を思い起こす」、give sigh「ため息をつく」、うしろのfor sighは強調。thou lone one=you lonely onethouoneは同格です。pine on the stem「茎にくっついて嘆いている」、the lovely「美しいもの」、the+形容詞は名詞(複数扱い)。leaves「花びら」、thy=your、Lie scentless and dead「香りも失せ、死んで横たわる」、friendships=friends、decay=die、Love's shining circle「愛の光り輝く輪」とは、家族や親しい友人たちのこと。次のgemsもほぼ同義。drop away=are gone「いなくなる」、lie withered=die、are flownも同義です。Oh! Who would inhabit This bleak world alone?「おお、この寂しい世界に、どうしてひとりで生きられようか」、絶対に生きられはしない、という意味の反語です。inhabitは他動詞です。

続きを読む "The Last Rose of Summer
庭の千草" »

2007年04月27日

Flee as a Bird
追憶

 「星かげやさしくまたたくみそら、あおぎてさまよい木陰を行けば・・・」と歌われる「追憶」は明治生まれの作詞家・古関吉雄の代表作です。20世紀前半から全国の学校や家庭で愛唱されていました。甘美なメロディーとあいまって、当時は特に女学生のあいだで人気があったそうです。どの教科書・歌集をみても、スペイン民謡となっていますが、あまり根拠はないようです。それより歌詞の内容から、メアリ・シンドラー(Mary S. Shindler, 1810-1883)作詞・作曲?の賛美歌ととるのが正しいようです。
 以下は語句の解説です。Flee=Fly、またどちらにも「逃げる」の意味があります。yon「向こうの」、youと間違えないようにしてください。Thou who art weary of sin=You who are weary of sin, flowing「水が流れている」、現在分詞です。Where「そこで」、関係副詞です。th' avenger=the avenger「復讐者、あだ討ちをする人」、thee=you、目的格です。Call, and the Saviour will hear thee, andは前の命令形を受けて「そうすれば」の意。He on His bosom will bear thee=He will bear you on His bosom、falling「流れ落ちている」、現在分詞。He will forsake thee, Oh, never=Oh,He will never forsake you、Sheltered「(雨風から)身を護られて」、Haste then「だから急げ」、Cease from・・・「・・・を止す」、
The Saviour「主、救世主、(大文字で)イエス・キリスト」。

続きを読む "Flee as a Bird
追憶" »

2007年04月20日

Believe Me
春の日の花と輝く

「春の日の花と輝(かがや)く、うるわしきすがたの いつしかに褪(あ)せてうつろう・・・」と歌われる堀内敬三の名訳はよく知られていますね。曲はアイルランド民謡とされていますが、イングランド説(My Lodging Is on the Cold Ground、「我が家は冷たき土の上」)やスコットランド説(I Lo'e Na a Laddie But Ane「我ひとりのみを愛す」)もあります。また、アメリカのハーバード大学の校歌(Fair Harvard、「麗しきハーバード」)も知る人には知られていますね。ここにあげた歌詞はアイルランドの詩人トマス・ムーア(Thomas Moore, 1779-1852)の作です。高校の音楽教科書(1年生)にも扱われましたので、ご存知の方も多いでしょう。それにしても難しい歌詞ですね。若さや美しさはやがて色あせる。それどころか、老齢になると若いときの姿は見る影もなくなるだろう。それでも死ぬまで君を愛し続ける、それを信じてくれ、と言っているのです。すごい歌詞だと思いませんか。当たり前のことだけどだれも言わないようなことを、ズバリと言ってみせる、そこがムーアの詩人たるところでしょう。
以下は語句の解説です。Believe me, if・・・「信じてくれ、たとえ・・・であろうとも」、ifの意味に要注意です。うしろのwereと呼応します。all those endearing young charms「そのひとを惹きつける若き魅力」、Which I gaze on so fondly today「今いとおしく眺めている」、fleet in my arms「腕の中で消え去る」、fairy「妖精」、アイルランドの妖精はさまざまないたずらをします。日本でも狐や狸にだまされてもらった小判が実は木の葉だったというはなしを聞いたことはありませんか。あれによく似ていますね。Thou wouldst still be ador'd as this moment thou art=You would still be adored as this moment you are.「君は今と同じようになおも賞賛の的であるだろう」、Let thy loveliness fade as it will、Let=Ifと考えます。dear ruin「なつかしい廃墟」とは年取った君の姿、entwine itself verdantly still「自分の望み(愛)はなお若草のように青々と茂っていることを(信じてくれ)」と言っているのです。It is not while・・・は3行目のThat the fervor and faith of a soul・・・につながるIt・・・that・・・の強調構文です。unprofaned「汚されない」、thine=thy、ただし母音ownの前ではthineになります。fervor and faith of a soul「魂の情熱と信頼」、but make thee more dear「君へのいとしさが増すのみ」、to the close=end「(人生の)最後まで」、her god=the sun

続きを読む "Believe Me
春の日の花と輝く" »

2007年04月13日

Tom Dooley
トム・ドゥーリー

1868年実際に起こった事件に由来します。この年、南部同盟の若い兵士Tom Dulaが恋人殺しのかどで絞首刑になりました。同情からさまざまな伝説がうまれました。その兵士は無実だったのだとか、恋敵と争っているうち誤って恋人を殺してしまったのだとか、いやいや、彼女は自分自身の恋敵に殺されたのだという説まであります。そして、1958年、キングストン・トリオ(Kingston Trio)のコーラスが世界的に大ヒットし、翌1959には映画化されました(原題:The Legend of Tom Dooley、邦題「拳銃に泣くトム・ドーリー」)。なお、Graysonとは、トムを逮捕した役人だったのが真相のようですが、上の映画では彼の恋敵として登場していました。DooleyDulaの親しみを込めた呼び名だったようです。以下は語句の解説です。
 Hang down your head「首うな垂れる」、 Poor boy「可哀想に(呼びかけ)」、you're bound to die「お前は死なねばならない」、be bound to=must「・・・しなければならない、・・・する運命にある」、また、be bound forとなると、「・・・行き」の意味があります。cf. This is the Nozomi Super Express bound for Hakata.「博多行き特急のぞみ号です」、 This time tomorrow「明日の今頃は」、Reckon where I'll be「どこにいるのだろう」、Reckon「計算する、もくろむ」=Suppose, Imagine。Hanging from・・・「吊り下げられている、絞首刑になっている」、Stabbed her with my knife「自分のナイフで彼女を刺してしまった」。
Had't na been for・・・=Had it not been for・・・=If it had not been for・・・「もし・・・がいなかったなら」、I'd have been in Tennessee=I would have been in Tennessee「テネシーに行っていたものを」、仮定法過去完了といって、過去の事実に反する仮想をする表現です。例えば、If you had not helped me, I would have failed.「もし君が助けてくれていなかったら、ぼくは失敗していただろう」のように、前半の条件節が過去完了(had+過去分詞)、後半の主節が、助動詞の過去形+have+過去分詞となります。
現在の事実に反する仮想は、仮定法過去といい、過去形を用います。
If it were not for water on the earth,=Were it not for water on the earth,=But for (Without) water on the earth, nothing could live.「もし地球上に水がなかったら、何物も生きることは出来ない」のようになります。仮定法ではよくifが省略されますが、そのときの主語と動詞の語順にはくれぐれも気をつけてください。If I were you, =Were I you, I would not do such a thing.「もしぼくが君だったら、そんなことはしないね」

続きを読む "Tom Dooley
トム・ドゥーリー" »

2007年04月06日

Oh, Bury Me Not on the Lone Prairie
寂しい荒野に埋めないでくれ、駅馬車

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の名作映画「駅馬車」(Stagecoach, 1939)の全編を通じて、フォスターの「金髪のジェニー」(栗毛の髪のジーニー、Jeanie with the Light Brown Hair)とともに流れ、それによって一躍有名になったカウボーイソングです。もと船乗りの歌で「深い深い海に葬らないでくれ」(O Bury Me Not in the Deep, Deep Sea)と歌われていたのが、新大陸に渡って「寂しい原野」に変わったのだという説があります。バージョンによっては、「生まれ故郷の教会墓地の、父の墓の側らに葬られたい。そして母に祈ってもらい、妹には涙を流してもらいたい」などと続くものもあります。大航海時代が始まり、新大陸への移住が増してくると、航海中や故郷を遠くはなれて命を落とす人が大勢出てきます。そういった人々の思いが伝わってきますね。これ以外にも、「メキシコへの道」(The Trail to Mexico)など多くのバージョンがあるようです。
語句の説明を少ししておきましょう。bury「埋葬する」、発音〔ベリ〕に注意してください。lone=lonely、kiyotes =coyotes「コヨーテ」、o'er me=over me、rattlesnakes「ガラガラヘビ」、hiss「ヒューヒューと音をたてる」、wind、開拓時代までは、特にカウボーイの間では、〔ワインド〕と発音されたそうです。heeded not=did not heed「無視した」、dying prayer「最後の祈り、願い」、発音〔プレア〕に注意してください。six by three「6フィート×3フィート」(お棺のサイズです)。

続きを読む "Oh, Bury Me Not on the Lone Prairie
寂しい荒野に埋めないでくれ、駅馬車" »

2007年03月23日

Swing Low, Sweet Chariot
スゥィング・ロー

 有名な黒人霊歌のひとつです。19世紀後半、アメリカ初の黒人大学(テネシー州ナッシュビルのフィスク大学、Fisk University、1866年創立)の学生たちが、大学の資金調達のため、9名からなる「ジュビリー・シンガーズ」(Jubilee Singers)というコーラスグループを結成し、北米のみならずヨーロッパ各地を公演してまわったときの持ち歌だったのが始まりといわれています。彼らは黒人霊歌を欧米全土に広めるのに大きく貢献しました。
 この、「いとしい馬車よ、降りてこい」ですが、「我が家」(my home)とはもちろん故郷(ふるさと)つまり、天国のことです。先に行っている仲間たちに、自分も間もなく行くと伝えてくれと、天使たちに頼んでいます。歌のジャンルは異なりますが、このサイトですでにアップロードしている、フォスターの「オールド・ブラック・ジョー」やブランドの「懐かしのバージニア」などと比較してみてください。解釈によると、奴隷としての過酷な労働から解放されて、生まれ故郷のアフリカの我が家に帰りたいとの願いだとするものもありますが、これは白人たちの印象かも知れませんね。
 ともあれ、南北戦争直後のアメリカに黒人大学が出来ていたことといい、先ほどの「ジュビリー・シンガーズ」の公演のことといい、私たちが歴史の授業では学びえない事実もたくさんあるような気がしませんか。先入観でものごとを判断することの危険性を感じますね。
 Swing Low「揺れながら降りてくる」、Sweet Chariot「いとしい馬車」、chariotは映画「ベン・ハー」で一躍勇名になった馬に引かせる二輪戦車がよく知られていますが、ここでは『聖書』からの引用です。ただし、アメリカのプランテーション農場では荷車ないし普通の馬車をchariotと呼ぶこともありました。Coming for to carry me home「私を我が家に運ぶためにやって来る」、分詞構文です。1行目と3行目はソロで、2,4行目に繰り返されるこの行を、合いの手のように全員で歌う歌い方が、call and responseといって黒人霊歌でよく見られます。I looked over Jordan「ヨルダンを見下ろした、とは、ヨルダン上空で下を見た」、「ヨルダン川の向こうに」とする解釈もあります。what did I see?「何が見えたと思いますか」、A band of angels coming after me「天使の一団がついて来るのを」、If you get there before I do「あなたたちが私より先に天国に着いたら」、Tell all my friends I’m coming too「(先に行っている)友達に伝えてくれ、間もなく私も行くと」。

続きを読む "Swing Low, Sweet Chariot
スゥィング・ロー" »

2007年03月16日

Scotland the Brave
勇敢なるスコットランド

 非公式ですが、スコットランドの多くの人々は、この歌を自分たちの国歌だと考えています。事実、式典や公式行事のとき、必ずと言っていいくらい演奏・合唱されます。特に、スコットランドを代表する民族楽器バグパイプの演奏には欠かせません。スコットランドの素晴らしさを讃えつくす内容になっていますので、この歌をしっかり覚え、彼の地へ出かける機会がありましたら、どうぞ彼らの前で歌ってみてあげてください。一躍、人気者となり、彼らとの距離を縮めることは受け合いです。しかし、この曲も歌詞も作られたのはそれほど古いことではありません。19世紀末か20世紀の初頭のようです。最初、劇作家のロバート・ウィルソン(Robert Wilson)がクリフ・ハンリー(Cliff Hanley)に作詞を依 頼したとき、彼は25ポンドで版権を買うつもりでした。ところが、出来上がった詩を一読し、彼は黙ってハンリーに25ポンドを支払ったあと、「版権はずっと君が持っていたまえ。それまで私のものにしたら、君を騙したことになるから」と言ったそうです。心温まる、いいはなしですね。
 一方ユーモリストであったハンリーは、出来る限りスコットランドにまつわるcliché(決まり文句)をこの歌詞に取り入れることを試みました。以下にそれらのいくつかを抜き出しておきます。Brave「勇敢な、素晴らしい」、Hark!「聞け!いざ!」、Loudly and proudly「高らかに誇らしく」Glen.「(スコットランドの)谷、渓谷」、old highland men、oldは親しみを込めた表現、必ずしも年齢とは関係ありません。Towering in gallant fame「雄々しき名をもて聳え立て」、mountain hame「山の故郷」、Standards「軍旗」、 Gloriously wave「神々しくはためく」、misty highlands「霧深き高地」、Out by the purple islands「沖には紫の島々」、staunch「本物の」fair maiden's eyes「美しき乙女の瞳」、Yearning「熱望して」、tropic skies are beaming、一時期スコットランドからカリブ諸島に大勢の人々が移民しました。この歌詞の主人公もそのひとりかも知れませんね。Love sets the heart a-dreaming「愛が心に夢を見せる」、Longing and dreaming for the hameland again「再び帰郷出来ることを切望し夢見る」。
 しかし、この歌詞のハイライトは何と言っても、
Land of my high endeavor,
Land of the shining river,
Land of my heart forever,
Scotland the brave!
の部分でしょう。2行目はともかく、Land of my high endeavorには人間の崇高な行動と精神のすべてを含むようなendeavor「努力、行動、意志」の国、さらに続けて、Land of my heart forever「永遠にわが心のふるさ と」と歌っているのですから。

続きを読む "Scotland the Brave
勇敢なるスコットランド" »

2007年03月09日

Loch Lomond
ロッホ・ローモンド

 Loch LomondLochはスコットランド方言でLakeのことですから、「ロッホローモンド」の意味は、「ローモンド湖」になります。ローモンド湖はスコットランド最大にしてその美しさでも知られる湖です。この歌のお陰で毎年何百万人という観光客を海外からスコットランドに呼び寄せているのです。起源は、18世紀半ばにカローデンの原で敗れ捕虜となってイングランドに連行されたスコットランドの兵士たちが、故郷のローモンド湖と恋人を懐かしんで歌ったのが始まりと言われています。いつ死刑の判決が下るかも知れない不安の中で、それでも何とかして脱出し、故郷に帰りたい、という思いが切々と伝わってきます。コーラス部分の、「君は高い道を行け、ぼくは低い道を行く」が、いろんな意味でこの歌のハイライトです。旋律が変わり、急に晴れやかな響きになります。意味については、さまざまな解釈があるようですが、最近イギリス人の同僚(グラマースクールはエジンバラ、大学はアメリカ、血は半分スコットランド人)から面白い話を聞きました。低い道とは平地の道、高い道とは山岳地帯の尾根、しかも傾斜のゆるやかなペナイン山脈ではなく、ウェールズから湖水地方を経由するルートだそうです。脱走しても行動をともにしていれば、捕まる危険性が増すわけですから、別行動を取ろうといっているのかと思ったら、いやこれは仲間同士意見が割れたのだということです。「ぼくが先に着く」は、死んでしまえば不可能なわけですから、自分は何としても生きて帰るぞ、という決意のほどがうかがえます。しかし、3番の傷心の様子から想像すると、恋人はもうこの世にいないのかも知れませんね。
 以上はやや独断的な見解ですが、一般的には、死刑を宣告されたスコットランドのジャコバイト党の兵士が、収容されたカーライルを訪ねてきた恋人と最後の別れを許され、そのとき交わした会話に基づいていると考えられています。この場合、低い道とは、これから自分が向かおうとしている死者の通う道、という意味です(『スコットランド文化事典』、914、2006)。生きて高い道を帰る彼女より、霊魂となった自分の方がスコットランドへは先に着く、というわけです。先に「晴れやかな」響きと言いましたが、この意味だったら、(恋人に会えた)「よろこびの」、ないし「いさぎよい」と言い換えるべきでしょう。いずれにしても、この歌を1746年のジャコバイトの反乱と結びつける解釈が生まれたのは、19世紀に入ってからのようですから、作られたストーリーかも知れませんね
 以下は語句の説明です。Lochは先に述べましたが、bonnie「(スコットランド方言で)美しい」、braes「(同)険しい小丘」me=I、my true love「心からの恋人」、Were ever want to gae=were always accustomed to go、want=wont、ye'll tak the high road =you will take the high road、 afore ye=before you、'Twas then that we parted=It was then that we parted、thenを強める強調構文です。glen「(スコットランド方言で)渓谷」、Ben Lomond「ローモンド山」BenMt.。ローモンド湖の東北に隣接する山、海抜973メートル。Highland「Highlands はスコットランドの高地地方でグラスゴーより北西地方を指します」、view=see、in the gloaming=in the evening twilight、wee birdie=small bird、waters「湖水」、broken heart「傷心の心」、kens=knows、Nae second Spring=No second Spring「来年の春は・・・ない」、the waeful=woeful「苦しむひとたち」、cease frae・・・=cease from・・・「・・・を止める」。

続きを読む "Loch Lomond
ロッホ・ローモンド" »

2007年03月02日

Jeanie with the Light Brown Hair
金髪のジェニー

「夢に見し我がジェニーは、ブロンドの髪ふさふさと・・・」と歌われる「金髪のジェニー」(津川主一・訳詞)は余りにも有名ですね。アメリカの生んだ大人気作曲家Stephen Foster(1826-1864) の数ある名曲の中で、この歌が日本の教科書・歌集に載るのは意外に遅く、昭和31(1956)年のことでした。彼の曲はこのサイトでも順次紹介してきましたが、これは彼にしては後期のとはいっても、1854年、27歳の時の作品です。すでにこのサイトで紹介しました“Beautiful Dreamer”(2006年11月2日アップロード)と同じく、妻のジェニー(厳密には「ジニー」)を歌ったものです。フォスターの奥さんの本名はJaneで、その愛称がJeanieでした。もうひとつ、せっかく「金髪の」に日本中が慣れ親しんでいるところに水をさすようで悪いのですが、これも正しくありません。Light Brown HairLightに「薄い、淡い」という意味があるとしても、「金髪」にはなりません。Brownだからといって「茶髪」では味気ないですから、下の訳では「栗毛」としてみました。
これ以外の語句の説明を少ししておきましょう。Borne, bear「生む、運ぶ」の過去分詞、like a vaporがありますから「湧き出た」「たなびく」、 trip「身軽に動く、(小)旅行する」、daisies「ヒナギク、(アメリカでは)フランスギク」、Many were the wild notes her merry voice would pour, Many were the blithe birds that warbled them o'er:最後のo'er=over「…のまにまに聞こえる」、つまりジニーの大きな歌声と小鳥たちの元気なさえずりが、見事な二重唱を奏でているのです。long for「…を恋焦がれる」、daydawn smile「夜明けの微笑」、Radiant in gladness「喜びに輝いて」、winning guile「得意そうないたずらっぽさ」。
これ以後、like joys gone by, fond hopes that die,Sighing like the night wind and sobbing like the rain,Wailing for the lost one that comes not again: my heart bows low, Never more to find her where the bright waters flow. などの表現から、まるでジニーがもう亡くなっているのではないかとの印象を与えますが、フォスターの方が妻より先に亡くなっていまるわけですから、そのような事実はありません。彼女がどこか遠くへ行った時期があったのか、もしもこの最愛の妻が亡くなるようなことがあったらとの、想像が作り出した歌詞かもしれませんね。事実、フォスターは1850年にJaneと結婚し翌年娘のMarionが生まれますが、なぜか彼はしばらく妻子と別居しています。3番にもそれを思わすような表現がいくつかありますね。native glade「故郷の木立、(アメリカ南部では)沼地」、nodding wild flowers may wither on the shore「岸辺の首うな垂れた野の花がやがて萎れて行く」、cull「(花などを)摘む」。

続きを読む "Jeanie with the Light Brown Hair
金髪のジェニー" »

2007年02月23日

Go Tell Aunt Rhodie
むすんでひらいて

むすんでひらいて  文部省唱歌、1947


むすんで ひらいて、
てをうって むすんで、
またひらいて てをうって、
そのてを うえに。


むすんで ひらいて、
てをうって むすんで、
またひらいて てをうって、
そのてを したに。


 この遊戯歌を聞いたことのないひとはいないでしょう。昭和22(1947)年に出た最後の文部省唱歌のひとつです。昭和24(1949)年からは民間の出版社が発行する小学校音楽に代わりますが、この歌を採用しない教科書はありませんでした。これ以後の日本人はすべてこの歌を聞いて育ったことになります。最後の、「うえに」を、「したに」「むねに」「ひざに」などと代えて歌えば、どこまでも際限なく歌えましたね。実は、この曲の歴史はこれよりずっとずっと古いのです。多少の異論もありますが、作曲したのは18世紀フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソー(Jean Jacque Rousseau, 1712-1778)だといわれています。「みわたせば」という題で日本の教科書に初めて載ったのは、明治14(1881)年のことでした。


見わたせば 1881 作詞:柴田清煕(きよてる)(1番)、稲垣千頴(ちかい)(2番)
(1番)
見わたせば、青やなぎ、
花桜、こきまぜて、
みやこには、道もせに
春の錦をぞ。
佐保姫の、織りなして、
降る雨に、そめにける。


(2番)
見わたせば、山辺には、
尾上にも、ふもとにも、
うすき濃き、もみじ葉の
秋の錦をぞ。
竜田姫、織りかけて、
つゆ霜に、さらしける。


 このほかにも、行進曲、賛美歌、軍歌、などとしてさまざまな歌詞で歌われました。国外に目を転じますと、さらに多種多様の歌詞が存在します(参考:『むすんでひらいての謎』キングレコード、2003)。ここにあげた「ローディーおばさん」の綴りだけでも、Rhodie, Rhody, などと変化し、ときにはNancyになったりします。アメリカでも、19世紀はじめから、いろいろな歌詞が発表されてきたようです。
 この歌詞を選んだ理由は、当サイトの目的である発音を中心とした英語学習の支援と、人間性の追求・解明に基づいています。各連とも最初の3行は比較的楽に歌えますね。問題は4行目です。他の行より多くの単語と音を含んでいますが、これをタンタン、タンタン、タンタン、の中に収めようとすると、連音、弱音、の発音をよく練習する必要があります。2番のToを普通に長く発音すると歌えません。スムーズに発音出来るまで根気よく舌慣らしをしてください。
 母さんのガチョウが死んだらヒナのガチョウも生きて行けない、おくさんのガチョウが死んだら夫のガチョウが泣いている、とは人間社会と同じ、というより人間性そのものを歌っているのです。このような遊戯歌が、幼児のうちから、人間社会、家族、さらには命の尊厳を考えさせるきっかけとなっているのです。
 英語の表現としては、次のようなものに気をつけてください。Go tell=Go and tell, Go to tell「・・・を伝えに行く」、Her old gray goose is dead.日本語歌詞の2回目の「むーすんで」の中に入れなくてはいけません。繰り返し練習が必要ですね。The one she's been saving「大切にしていたもの(ガチョウ)」、The goose she has been saving,のことです。現在完了の進行形ですね。goslins are dying「ヒナのガチョウが死にかけている」、近未来を表わす進行形に注意してください。Mama's dead=Mama is dead、.The gander is weeping「オスのガチョウが泣いている」、現在進行形、前連のものとは用法が少し違います。

続きを読む "Go Tell Aunt Rhodie
むすんでひらいて" »

2007年02月16日

Eensy Weensy Spider
ちっちゃなクモさん

 「静かな湖畔の森の陰から・・・」と歌われる「カッコーの歌」はご存知ですね。元歌はスイスの民謡のようです。英語の歌詞もいくつかありますが、アメリカを中心に子どもや若いお母さんがたに圧倒的に人気があるのがこの『ちっちゃなクモさん』「Eensy Weensy Spider」だそうです。幼稚園や小学校低学年では遊び歌や輪唱用としてもよく使われます。動作としては、クモが雨どいを登る、どしゃ降りの雨が降る、お日さまが出てきて乾かす、クモがまた雨どいを登る、だけですからイメージがわきやすいですね。
 クモは欧米ではことのほか人気者です。古くは、連戦連敗して意気消沈していたスコットランド王のロバート・ブルースに、何度も失敗を重ねたあと梁(はり)に巣を架けて見せて、勇気づけたはなしは有名ですね。最近では、40年余り前にアメリカのE. B .ホワイトというひとの書いた「シャーロットの贈り物」(E. B. White:Charlotte's Web, 1976)という物語がベストセラーになりました(シャーロットはもちろん主人公のクモの名前です)。多くの害虫を退治してくれる益虫であることに加えて、あのちっちゃなクモが見事に均整の取れた巣を編み出すことはいかにも不思議ですね。今では知らぬ人のいないインターネット用語の「ウェブ」は、もともと「クモの巣」という意味ですよ。これ以外に面白い表現としては、Eensy, Weensy「(幼児ことば)ちっちゃな」、spout「雨どい」、outと韻を踏みます。Down came the rain, Out came the sunはいずれも倒置構文、響きがよく、より詩的な表現になっています。The rain came down, The sun came outとくらべてみてください。

続きを読む "Eensy Weensy Spider
ちっちゃなクモさん" »

2007年02月09日

Greensleeves
グリーン・スリーヴズ

 とても古い英国を代表する歌曲、民謡と言ってもよいかも知れません。最初に文献に現れたのは16世紀末、1584年のことです。このときすでに18連からなる現代知られているものに近い歌詞が出版されていました。そして、シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616) が『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor, 1597)という劇の中で、「グリーンスリーブズの調べに合わせて」(to the tune of Greensleeves) ということばを2度も使っているのです。このことからも、当時いかに広く歌われていたかがうかがえます(参考:櫻井雅人「グリーンスリーヴズについて」『言語文化』14巻14号、一橋大学、1977)。そもそも「グリーンスリーヴズ」とは何者なのでしょうか?もちろん本名ではありません。「緑の袖」という意味ですから、ニックネームまたは呼び名と考えたらよいでしょう。自分を捨てて他の男に走った元の恋人ということは分かりますが、身分の高い貴婦人から娼婦、お妾さんにいたるまでいろいろな解釈があるようです。伝承では「アーサー王物語群」成立の頃(12,3世紀)までさかのぼれるのではないかと考える人もいます。アーサー王の宮廷で、貴婦人たちが緑色の袖を着ける習慣があったから、というわけです。かと思えば、このグリーンスリーヴズなる女は、平気で男をたぶらかす性悪女の代表だ、という人もいます(OED にもそれに近い定義があります)。歌詞の内容は、あれをしてやった、これをしてやった、あれを買ってやった、これを買ってやった、とさんざ恩に着せながら、最後にはぼくのところに帰ってくれ、と未練たっぷりに哀願するわけですから、お世辞にも感動的な詩とはいえませんね。では、どうしてこれほどの人気が出たのでしょうか。内容とは裏腹にとてもリズムのよい歌詞、そしてこの甘美な旋律以外には説明できないような気がします。
 Alas「ああ、(悲しみを表わす)」、you do me wrong「ぼくを酷い目に合わせる」、discourteously!「無作法にも」、in your company「君との付き合いで」、who but my lady greensleeves?「ぼくのグリーンスリーヴズ夫人以外にだれがいようか」(反語)、that you should own・・・!「君が・・・を持っていようとは!」、A heart of wanton vanity「浮気心」、
 meditate「沈思黙考する」、Upon your insincerity「君の不誠実さを」、enrapture「うっとりさせる」、in a world apart「別の世界で」、in captivity「囚われの身となって」。

続きを読む "Greensleeves
グリーン・スリーヴズ" »

2007年02月02日

Did You Ever See a Lassie?
女の子見たかい?

 「おお、わが友、オーガスティンよ」(O du lieber Augustin)と題するドイツ語の原詩が、18世紀末(1778−79)オーストリアで出版され、この旋律にあわせた「女の子見た?」の英語の歌詞がニューヨークで出版されたのも1909年のことですから、もう100年近く前のことですね。親しみやすいメロディーですから、日本にもオルガン用教材として明治期にはもう入っていたそうです。a lassie「(特にスコットランド方言で)女の子」、a laddie「(同)男の子」、see・・・go「・・・が行くのを見る」、感覚(知覚)動詞といわれるsee, hear, feelなどを受ける不定詞は原形(toのない形)になります。this way and that (way)「こちらやあちらに」。
 なお、お気づきの方も多いと思いますが、2006年12月9日にアップしました O Christmas Tree 以後の英語朗読は、私の大学時代からのクラスメートで親友の元岡山県立高校教諭・三宅将之氏に変更しています。

続きを読む "Did You Ever See a Lassie?
女の子見たかい?" »

2007年01月26日

My Bonnie
マイ・ボニー

 「マイ・ボニー」は相当古くから歌われてきたスコットランドの民謡です。「ボニー」(Bonnie)というのはスコットランド方言でBeautifulの意味ですから、海外に去って行った美しい恋人(女性)、あるいはわが子(男子)の帰りを待ちわびる、という解釈もあるようですが、スコットランドの人々の頭にすぐ浮かぶのは、「ボニー・プリンス・チャーリー」として今でも親しまれているPrince Charlie Stuart (1720-1788)のようですね。1707年にすでにスコットランドはイングランドに併合されていましたが、国王はスコットランドのスチュアート家から出したいというのが多くのスコットランド人の願いでした。そこで、正統な王位継承者としてチャーリー王子を擁立したスコットランド軍はイングランドに戦いを挑みます。最初は優勢でしたが、最後はインバネスの東方約10マイルにあるカローデン(Culloden) の原に追い詰められたスコットランド軍は壊滅します。これが、スコットランドの対イングランド最後の戦いとなりました。1746年4月のことです。チャーリーはスカイ島を経由して大陸に逃れます。スコットランドの人々は、「必ず帰ってくる」と言い残した王子の言葉を信じて待ちわびましたが、ついに彼が二度とスコットランドの地を踏むことはありませんでした。
 oceanseaもともに「海」ですが、前者は太平洋、大西洋のような大洋をいうときに使われることが多いようです。コーラス部分で〔b〕の音が繰り返されることに注意してください。前にもお話ししたことがある頭韻ですね。yeyouの古形ですが現代人も結構使います。dreamt〔dremt〕dreamed〔dri:md〕の関係も同じです。歌詞によっては、始めからyou, dreamedとなっています。

続きを読む "My Bonnie
マイ・ボニー" »

2007年01月19日

The Bear Song
森のクマさん

 「森のクマさん」が最も有名ですが『クマの歌』など、いろいろな歌詞があるようです。アメリカでは(日本ででもですが)森の奥によくクマが出没します。だから、キャンプなどのとき、余り山奥に入り込むものじゃあないよ、と注意する意味もあったようですが、なかには少女がクマとユーモラスなやりとりをするものもあります。クマがどこまでも追いかけてくるものだから、なぜかと思ったら、落し物(例えば貝殻の耳飾など)を届けてくれた、などというものです。上の歌詞では、どちらとも言えないですね。どこまで逃げてもクマは真後ろにいるわけですから、考えようによっては怖いはなしです。
 The other day「ある日」、size up「(心の中で)大きさを測る、比べる」、why don't you…?「しなさいよ」、疑問の意味より、何かをすすめる感じです。Cf. Why don't you take your seat?「どうぞお掛けください」。Ain't =haven't, have got=have, that's good idea「そうですね、そのようね」、普通にはthat's a good ideaですが、aが加わると少し歌いにくくなります。C'mon now feet=Come on now, feet「さあ」足に呼びかけています。let's up and flee「一生懸命逃げましょう」、fleefreeの発音に注意してください。right behind me was that bear「私の真後ろにクマがいた」。

続きを読む "The Bear Song
森のクマさん" »

2007年01月12日

Old MacDonald Had a Farm, E-I-E-I-O
愉快な牧場

 イギリスの古典童謡のひとつで、起源は18世紀初めまでさかのぼれそうです。当然多くのヴァージョンがあり、動物の種類ではなく、次々に身体の部分が出てくるものもありますし、新しい動物が登場するたびに、すでに出たものを重ねてゆく歌詞もあります。
 日本では「ゆかいな牧場」としてよく知られていますね。特長は何と言ってもいろんな動物の鳴き声でしょう。ここにはヒヨコ、アヒル、七面鳥、ブタ、め牛、犬、馬の7種類が出ていますが、もちろんこれ以外にも、ヒツジ、ヤギ、猫、などいくらでも増やして行けます。日本語では、ヒヨコはピヨピヨ、アヒルはガーガー、ブタがブーブー、牛はモーモーとなるところですが、下の訳ではわざと英語音に近い表記にしてみました。私事ですが、初めて英語を習い始めた頃、英語で犬の鳴き声はbow-wowというんだと聞いて、本当にアメリカの犬は「バウワウ」と鳴くんですか、と尋ねた同級生がいたのを思い出しました。しかし、英米人の中にはbow-wowを犬の声そっくりに真似る人がいますね。日本で犬といえば「ワンワン」に決まっていますが、本物の犬の鳴き声は決してそうではありません。七面鳥の「ゴブルゴブル」、ブタの「ホィンクホィンク」にしても、英米人が発音すると、人にもよりますが、本当にその鳴き声によく似ていますよ。オンドリの鳴き声は、cock-a-doodle-doo「コッカ・ドゥー・ドゥル・ドゥー」ですが、本当にそっくりに真似る人に会ったことがありますよ。

続きを読む "Old MacDonald Had a Farm, E-I-E-I-O
愉快な牧場" »

2006年12月22日

Grandfather's Clock
おじいさんの時計

 アメリカ人のヘンリー・ワークがイギリスを旅行中、ダラムのあるホテルで聞いた、本当にあったこととして語られた話を基に作詞・作曲しました。1876年のことです。以来世界中で大ヒットし、今日までいたるところで愛唱されてきました。このように床に立てる大時計はそれまでは、Long Case Clock「長箱時計」とかCoffin Clock「お棺時計」などと呼ばれていましたが、この歌がヒットしたお陰で、「おじいさんの時計」と呼ばれるようになりました。チック・タックだけでなく、いたるところに時を刻む感じが散りばめられていますね(特に繰り返し部分)。日本でも戦前から各種の訳が出てますが、東北弁による伊藤秀志作詞の「大きな古時計」などは珍しいところです。
 また、この歌がおじいさんの一生を見事に表わすストーリーになっているのも面白いところですね。振り子が揺れる様子を何時間も飽きずに眺めていた幼少期、そして大人になったある日、とても綺麗な花嫁さんがやって来ます。そして、天寿を全うして子や孫に看取られながら、おじいさんがこの世から旅立ってゆくまで時計は動き続けました。おじいさんが生まれた日に買った時計が、90年後おじいさんが亡くなると同時に止まって二度と動くことはなかった、ということですが、考えてみればこの時計が作られたのは18世紀です。現在のように電気や電子で動く時計はありませんでしたから、当然ぜんまい仕掛けの手で巻く時計でした。しかも、毎日です。当時の時計には、ねじを巻く係りの人が決まっていたそうです。別の人が巻くと、微妙な狂いが生じたのです。だから、この歌の話は奇跡でも不思議でもなく、当然の成り行きでした。つまり、このおじいさんこそ、90年近く、一日も欠かさず、この時計のねじを巻く係りだったのです。でも、いくら修理に出しても動かなかったというのですから、やはり謎は残りますね。はなしのこの部分は後になってつけ加えられたものではないかと、私は思っています。
 語句の説明を少ししておきましょう。too large for the shelf「大きすぎて棚には入らない」、taller by half than…「より半分だけ高かった」とは、1.5倍の高さだったということです。a pennyweight「(旧)1ペニー硬貨の重さ」とは、20分の1オンス、つまり約1.555グラムです。morn=morning、it stopped short never to go again「途中で止まって二度と動かなかった」、野球のショートストップはもとクリケット用語で内野手のことです。外野手をlong stopといいます。to以下は結果を表わす不定詞(副詞用法)です。without slumbering「休みなく」、Tick, tock, tick, tock,「振り子が時を刻む音」、His life seconds numbering,「彼の人生を1秒1秒数えて」、Swing to and fro,「左右に揺れる」 it struck twenty-four「24回打った」必ずしも時刻を表わしません。リズムと次の行のdoorと韻を合わせるためです。昼の12時が12回なら、24回は夜中の0時だとか、婚礼という一生一度の祝い事だから特別に24回鳴らせたのだとか、いろいろな説があるようですが、詳しいことは分かりません。a blooming and beautiful bride.「輝くような美しい花嫁」頭の韻に注意してください。 in the dead of the night,「真夜中に」、pluming his flight,「飛び立つ準備をするのを」、plumeは、鳥が飛び立つ前にクチバシで羽根を整えることをいいます。As we silently stood by his side.頭の韻に注意してください。


おじいさんの時計 三宅忠明・訳


おじいさんの時計、大きすぎて戸棚に入らない、
だから床に立って90年。
背丈はおじいさんの1倍半。
だけど目方はおじいさんとちょうど同じ。
買ったのは、おじいさんの生まれた日の朝。
いつもおじいさんの宝で自慢。
でも、急に停まって二度と動かない、
おじいさんの死んだ日に。


     繰り返し
   90年間休みなく、
   チックタック、チックタック
   おじいさんの人生を刻んで、
   チックタック、チックタック
   でも、急に停まって二度と動かない、
   おじいさんの死んだ日に。


振り子が、右に左に揺れるのを、
何時間も眺めていた子どもの頃、
そして少年から大人になっても、時計は知っていた、
おじいさんの悲しみと喜びを。
そしてちょうど12時を打ったとき、おじいさんが入って来た、
輝くような、きれいな花嫁さん連れて。
でも、急に停まって二度と動かない、
おじいさんの死んだ日に。


     繰り返し
   90年間休みなく、
   チックタック、チックタック
   おじいさんの人生を刻んで、
   チックタック、チックタック
   でも、急に停まって二度と動かない、
   おじいさんの死んだ日に。


目覚ましが鳴ったのは、ちょうど真夜中のこと。
もう何年も鳴ったことはなかったのに、
それで、おじいさんの魂が飛び去ろうとしていることを知った。
つまり、お別れの時が来たことを。
でもまだ時を刻んでいた、かすかなくぐもった音をたてて、
みんなおじいさんの側らに立っていたとき。
でも、急に停まって二度と動かない、
おじいさんの死んだ日に。


     繰り返し
   90年間休みなく、
   チックタック、チックタック
   おじいさんの人生を刻んで、
   チックタック、チックタック
   でも、急に停まって二度と動かない、
   おじいさんの死んだ日に。

続きを読む "Grandfather's Clock
おじいさんの時計" »

2006年12月15日

We Wish You a Merry Christmas
クリスマスおめでとう

かつて、クリスマスのシーズンになると子どもたちが家々をまわり、こんな歌を歌いながら、おやつをもらっていた習慣がありました。日本でもお祭りの時期によくにたようなことをしていましたね。イギリスでは、figgy pudding「イチジクで作ったプディング」がお土産の定番であったようです。We won’t go until we get some「もらうまでは帰りませんよ」などと歌うところは、何とも言えず可愛いですね。発音とは関係ありませんが、おめでとうを言う時のMerry Christmas Happy New Yearはいつも大文字です。


クリスマスおめでとう


クリスマスおめでとう、 
クリスマスおめでとう、 
クリスマスおめでとう、 
そして、新年おめでとう!


 繰り返し
  よい知らせ持って来ましたよ、
  あなたと、ご家族に、
  クリスマスおめでとう、
  そして、新年おめでとう!


イチジクのプディングくださいな、
イチジクのプディングくださいな、
イチジクのプディングくださいな、
今、ここに!


 繰り返し
  よい知らせ持って来ましたよ、
  あなたと、ご家族に、
  クリスマスおめでとう、
  そして、新年おめでとう!


もらうまで帰りませんよ、
もらうまで帰りませんよ、
もらうまで帰りませんよ、
さあ、ここに!


 繰り返し
  よい知らせ持って来ましたよ、
  あなたと、ご家族に、
  クリスマスおめでとう、
  そして、新年おめでとう!


クリスマスおめでとう、 
クリスマスおめでとう、 
クリスマスおめでとう、 
そして、新年おめでとう!


 繰り返し
  よい知らせ持って来ましたよ、
  あなたと、ご家族に、
  クリスマスおめでとう、
  そして、新年おめでとう!

続きを読む "We Wish You a Merry Christmas
クリスマスおめでとう" »

2006年12月09日

O Christmas Tree
もみの木

 ドイツ民謡ですが、日本では中山知子訳詞の『もみの木』がよく歌われます。これ以外にも「赤旗の歌」「メーデーの歌」など多数の替え歌が知られています。この歌にまつわる悲しくも感動的な話をひとつご紹介しましょう。映画にもなった実話です。時は1914年、これは第一次世界大戦が始まった年です。この年の12月24日、フランスの原野でドイツ軍とイギリス軍がそれぞれ数十メートルしか離れていない塹壕で対峙し、激しい銃撃戦を展開していました。そのうちクリスマス・イヴの夜も更け、一瞬の静寂が訪れたときのことです。ふと耳を澄ますと、ドイツ軍の陣地から小さな歌声が聞こえてきます。「シュティレナハット、ハイレゲナハット」(ドイツ語に「よるきよしこのよる」)を誰かが歌っているのです。イギリス軍の兵士のひとりが「サイレントナイト、ホーリーナイト」を英語で歌い始めました。最初はそれぞれひとりずつでしたが、そのうち両軍ともふたり、さんにん、と加わりやがてドイツ語・英語の二重大合唱となりました。この歌が終わり、ドイツ陣営から流れて来たのがこの「もみの木」だったのです。これをきっかけに英独両軍のクリスマスの歌の交歓会になりました。そのうち夜が白み、クリスマスの夜が明けました。すると、両軍の陣地からそれぞれの言葉で「クリスマスおめでとう!」と書かれたプラカードが高々と掲げられました。兵士たちは次々に塹壕を出て、敵軍の陣地に歩み寄ります。もちろん発砲する者などひとりもいません。このとき、両軍の司令官は兵士たちを塹壕に呼び戻します。「諸君は戦争をしに来ているのだ。クリスマスを祝うためにじゃあない!」と。ふたたび銃撃戦が始まりました。その結果両軍の兵士のほとんどが戦死したと伝えられています。悲しいはなしですが、歌のもつ大きな効果を物語るものですね。下の訳を見てくだされば、今回は語句の解説はほとんど不要ですね。ただ、クリスマスツリーを擬人化して、「お前」と呼びかけていることに注意してください。日本語でも時には聞くことがありますが、英語の方がはるかに頻度が高いようです。fade「色あせる」、bloom「光り輝く」、How oft…the sight gives us delight!と続く感嘆文です。at Christmas-tide 「クリスマスの時期に」。

続きを読む "O Christmas Tree
もみの木" »

2006年12月01日

Joy to the World
もろびとこぞりて

もろびとこぞりて 訳(作)詞・小林愛雄


諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり


悪魔のひとやを 打ち砕きて
捕虜(とりこ)をはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり


この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
妙なる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり


萎(しぼ)める心の 花を咲かせ
恵みの露(つゆ)置く 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり


平和の君なる 御子を迎え
救いの主(ぬし)とぞ 誉め称えよ
誉め称えよ 誉め、誉め称えよ

 
 イギリス生まれのアイザック・ウォッツが、旧約聖書詩篇98編「賛歌」をもとに1719年に書いた詩に、1世紀以上経った1836年、アメリカ人のローウェル・メイソンが曲をつけたものです。今では賛美歌(112番)としてももっとも有名なもののひとつですが、クリスチャンでなくても世界中の人々が愛唱していますね。日本語では上にあげた小林愛雄の作詞した「もろびとこぞりて」に人気が集中していますが、厳密にいうとこれは上の詩からの訳ではなく、1735年に出たフィリップ・ドドリッジ(Phillip Doddridge, 1702-1751)という人の「聞け、よろこびのうたを!」(Hark, the Glad Sound!)に基づいた作詞です。以上の3者がうまく合体してセットとなったものと考えられますが、やはり歌われるのはクリスマス・シーズンが圧倒的に多いですね。高低・音節に無理がなく歌えるのも人気の理由のひとつでしょう。では例によって、少し語句の説明をしておきましょう。
 Joy to the World「世界に喜びを」、the Lord is come「主が来られた」、完了形の1種です。Let「…させよ」、使役の助動詞です。prepare Him room「主を入れる余裕を準備する」、their songs employ = employ their songs「彼らの歌をうたう」floods「河川、湖沼」、rocks「岩山、岩石」、sounding joy「轟く喜び」、No more「これ以上…しない」 thorns infest「イバラ、雑草が蔓延る」、Far as =As far as「…する限り」、with truth and grace「真実とやさしさで」、nations「国家、国民」、prove「証明する、正しいことを示す」、righteousness「正しさ」、wonders of His love「主の愛の素晴らしさ」。
 では、最後になるべく原詞に近い訳をしておきましょう。


世界よ、よろこべ(訳:三宅忠明)


世界よ、よろこべ、主が来られた!
この王を迎えよう、
みんなの心に受け入れよう、
天も自然も歌う、
天も自然も歌う、
天も、天も、自然も歌う。


地球よ、よろこべ、救世主が治める!
人々は歌い、
野原、河川、岩山、丘、平原は
響く喜び繰り返せ、
響く喜び繰り返せ、
響く、響く喜び繰り返せ。


罪も悲しみも増やすまい、
茨も土地に蔓延らせまい、
主は祝福をひろめに来られた、
呪いの、あるかぎり、
呪いの、あるかぎり、
呪い、呪いの、あるかぎり。


主は、やさしく真心をもって治められる、
そして国民に証明させる、
主の正義の栄光を、
主の愛の素晴らしさを、
主の愛の素晴らしさを、
主の愛の、主の愛の素晴らしさを。

続きを読む "Joy to the World
もろびとこぞりて" »

2006年11月24日

Jingle Bells
ジングルベル

 「ジングルベル」は年末になると世界中で歌われる、まさにクリスマスにはなくてはならない歌ですね。クリスマスのもうひとつの定番「きよしこの夜」(Holy Night)がもと賛美歌であるのに対し、こちらには宗教色がほとんどありません。作ったのは19世紀アメリカの実業家ジョン・ピアポント(John Pierpont, 1837-1913)です。ピアポントは自分のことを人生の失敗者と呼んだことがあるそうですが、とんでもないはなしですね。なぜなら、彼はこの1曲で歴史に名を残たのですから。作曲家でも、画家でも、小説家でも、詩人でも、同じことが言えると思いませんか?つまり、平凡な作品を1000残すより、超一流、超一級のものを、ひとつ残すことの意味です。歌の内容ですが、中には、サンタ・クロースが子どもたちに袋いっぱいのプレゼントを持って来るときの歌だと思う人もあるようです。実はそれとも関係ありません。ただただ楽しいそり遊びの歌なのです。軽快なメロディーはまるで雪の中をそりが疾走しているようですね。ピアポントはまさかこれほど広く歌われるようになるとは、想像もしていなかったでしょう。日本では、クリスマスが近づくと、ほとんどのレストラン、ホテル、デパート、また街頭でも遊技場でも、いたるところで流れています。
 Dashing through the snow「雪の中を疾走して」、In a one horse open sleigh「一頭立て馬の引く無蓋のそり」、O'er=Over、Laughing all the way「道中ずっと笑いながら」、Bell's on the bobtail「(短い)馬の尻尾についた鈴」、Making spirits bright「気持ちをわくわくさせながら」、以上3つのing形は分詞構文です。What fun it is to ride and sing「走って歌うのは何て楽しいことでしょう」、感嘆文です。A sleighing song「そり(遊び)の歌」。


ジングル・ベル(訳:三宅忠明)


雪の中を疾走する、
一頭立ての無蓋そり、
野を越えて、
終始笑いながら、
尻尾の鈴の音が、
気持ちをわくわくさせる。
駆けながらそりの歌を
歌う楽しさよ!


リンリンリン、リンリンリン、絶え間なく、
おお、一頭立ての無蓋そりで走る楽しさよ!
リンリンリン、リンリンリン、絶え間なく、
おお、一頭立ての無蓋そりで走る楽しさよ!

続きを読む "Jingle Bells
ジングルベル" »

2006年11月17日

Holy Night
きよしこの夜

 賛美歌109番の「きよしこの夜」といえば、「ジングルベル」と並んでクリスマスに欠かせぬ歌ですね。このキリスト生誕を歌った賛美歌は、19世紀始めにオーストリアで作られましたが、多くのことばに訳され、世界中で歌われるようになりました。原題はドイツ語で、Stille Nacht Heil'ge Nachtですから、英語ではSilent Night, Holy Nightです。英語の題名は最初の部分をとってSilent Nightとされることが多いようですが、ここでは日本でおなじみの「きよしこの夜」により近いHoly Nightの方にしてみました。イエス・キリストが生まれた夜という意味です。
 yon 「向こうに」、時々youと間違われますが、これでは意味をなしません。virgin mother「処女母(聖母マリア)」、Holy infant「聖なる子(イエス・キリスト)」、Shepherds「羊飼い」、quake「(感動で)身を震わせる」、at the sight「その光景を見て」、Glories stream from heaven afar「はるか遠い天から光りの輝きが川のように地上まで流れている」、Heavenly hosts「天使」、Alleluja=Hallelujah「祝いの歌」、the Saviour「救世主(大文字になるとイエス・キリスト)」、the dawn(of redeeming grace)「(救いの恵みを告げる)夜明け」、Jesus, Lord, at Thy birth「主イエス、なんじの生誕に」。


聖なる夜(訳:三宅忠明)


静かな夜、聖なる夜、
どこも静かで、明るく輝いている。
ほら向こうに、処女の母と子が、
やさしくおだやかな聖なる子が、
すやすやと眠っている、
すやすやと眠っている。


静かな夜、聖なる夜、
これを見て羊飼いが震えている。
遠い天の彼方から栄光が流れ、
天使たちがお祝いの歌を歌っている。
救世主キリストが生まれたのだ!
救世主キリストが生まれたのだ!


静かな夜、聖なる夜、
神の子、清き愛の光り、
そなたの顔から明るい光りが、
神の恵みの夜明けを告げる、
主イエスの生誕で、
主イエスの生誕で。

続きを読む "Holy Night
きよしこの夜" »

2006年11月09日

Amazing Grace
アメージング・グレース

  「アメージング・グレース」のメロディーには最大の癒し効果があると言われます。賛美歌、スコットランド民謡、アメリカ民謡、等々多くの起源説が入り乱れ、広く愛唱される割に、これほど謎の多い歌も珍しいですね。CMや映画に挿入されることも多く、最近では耳にしない日が珍しいくらいです。かつての日本では時折り教会で歌われていた程度でしたが、俄然有名になったのはつい最近のようです。
 歌詞はジョン・ニュートンの作が現在では圧倒的ですが、どうも曲とは別々に歩んできたようです。かつて奴隷船の船長をしていたジョン・ニュートンがこの詞を書いたのは18世紀のことですが、彼が今知られている曲に合わせて作詞したのではないでしょう。もともと無神論者で神の存在も信じなかったニュートンが、何か致命的な危機に陥ったとき、生まれて初めて神頼みをして救われた体験が、彼を改心させ聖職に就くきっかけにしたと言われています。
 最初に自分のことを「ひとでなし」(wretch)と呼んでいるのは、奴隷船の船長として相当あくどいことをしてきたという自覚があったようです。なお、歌詞によってはwreck「破綻者」となっています。
 少し語句の解説をしておきましょう。Amazing「驚くべき」、grace「神の恵み、祈り」、was lost「(神に)見捨てられた」、blind, see「(心の目で)見えない、見える」、fear「(神を)畏れる」、relieved「開放する(した)」、(The) hour=when、safe thus far「こんなに遠くまで無事に」、home「わが家(天国)」。

続きを読む "Amazing Grace
アメージング・グレース" »

2006年11月02日

Beautiful Dreamer
夢路より

 アメリカの生んだ大人気作曲家、Stephen Foster(1826-1864)の歌曲はこのサイトでも順次紹介してきましたが、これは彼の最晩年の作品です。1864年、この年にフォスターは亡くなっています。37歳でした。この数年前に彼は妻のジェニーを歌った「金髪のジェニー」(Jeanie with the Light Brown Hair)を作っていますが、この曲も彼女のことを歌ったものです。美しい妻の寝顔を眺めながら、起きてくれないかな、と願う一方、いやいやせっかく世の雑事俗事から離れて眠っているのだから、このままにしておいてあげよう、とのフォスターの優しさが伝わってきます。以下は語句の解説です。1行目のwakeと7,8行目のawakeはどちらも「起きる」(自動詞)「起こす」(他動詞)と両方の意味がありますが、後者の頭にaがついているのは、音節をそろえるためです。thee=you、Sounds of the rude world「俗世の雑音」、heard in the day「昼間に聞かれた」、Lull'd by the moonlight have all pass'd a way!「月光に和らげられて、消え去った」、分詞構文。List=Listen、life's busy throng「生活の喧騒」、Mermaids「人魚」、chanting=singing、lorelie「水の精ローレライ(の歌声)」、E'en=Even
 下の訳は直訳に近いもので、歌うためのものではありません。


夢見る美女 三宅忠明・訳


美しき、夢見るひと、我に目覚めよ、
星明り、露の滴がきみを待つ、
昼間聞いた浮世の雑音は、
月明かりで和らぎ、消え去った。
美しき、夢見るひと、我が歌の女王、
優しき我が求愛の歌を聞いてくれ、
俗世間の悩みなく、
美しき、夢見るひと、我に目覚めよ、
美しき、夢見るひと、我に目覚めよ。
 

美しき、夢見るひと、外は海の上、
人魚が優しいローレライの歌をうたっている、
小川にたちこめた霧が、
日の出とともに消えてゆく、
美しき、夢見るひと、我が心の光、
小川にも海にも朝が来て、
悲しみの雲は消え去る、
美しき、夢見るひと、我に目覚めよ、
美しき、夢見るひと、我に目覚めよ。

続きを読む "Beautiful Dreamer
夢路より" »

2006年10月27日

Goin' home
家路、遠き山に陽は落ちて

 学校教科書では「家路」、学校外の愛唱歌集などでは「遠き山に日は落ちて」として載っているようです。大正年間に作られた歌詞のようですが、以来キャンプや遠足の定番歌となって今日にいたっています。聞いたことがない、というひとはおそらくいらっしゃらないでしょう。元歌は、チェコ・スロヴァキア生まれのアントン・ドヴォルザークが1893年、アメリカ滞在中に作曲した有名な交響曲『新世界』の第二楽章に挿入された小曲です。これに、1922年、W. A. フィッシャーというひとが歌詞をつけました。ゆったりとした歌いやすい曲ですから、英語発音習得にももってこいですね。少しだけ語句の解説もしておきましょう。Goin' home=Going home、Quiet-like, some still day「穏やかな一日のように、心安らいで」、jes'=just、close by=near、Through an open door「開いた入り口を通って」、Work all done「すべての仕事を終えて」、care laid by「心配をかたわらに置き、心わずらうものなく」、どちらも分詞構文です。=Work all having been done、=care having been laid by、Gwine to=Going to、 'spectin'=expecting 、folk=folks、単複同形、ここでは複数です。

続きを読む "Goin' home
家路、遠き山に陽は落ちて" »

2006年10月20日

Nelly Bly
ネリー・ブライ

 「ネリー・ブライ」 は1849年、フォスター(Stephen Foster, 1826-1864)、23歳のときの作品です。南部のプランテーション(大農場)もののひとつに数えるのは無理かも知れませんが、thの音がdeになったり、vの音がbになったりしているのは、アフリカ系アメリカ人の特徴です。ネリーのモデルは誰なのかについては諸説あるようです。恋人、気に入った黒人の娘、あるいは早くに亡くなった歌のとてもうまかったお姉さん、等などです。この歌とほとんど同時に、フォスターは「ネリーは貴婦人だった」(Nelly was a Lady)を作詞作曲しています。この曲はペリーの黒船とともに来日し、1854年3月、横浜で開かれた日米交歓会で「草競馬」(The Camptown Race)、このサイトでもすでにアップしている『主人は冷たい土の中』(Massa’s in de Cold, Cold Ground)などと同時に披露されています。
 以下は簡単な語句の解説です。gib de mush a turn=give the mush(トウモロコシの粥)a turn 「―を回す」、lub=love(呼びかけ)、dulcem=dulcet「甘美な」、hab=have(ここではhas)、turtle dove「家鳩」、grobe=grove「木立」、cup of tea、身近なもの、大切なもの、好きなもの、の例えによく使われます。dan=than.

続きを読む "Nelly Bly
ネリー・ブライ" »

2006年10月06日

Home on the Range
峠の我が家

「山なみに雪はあれど・・・」で始まる「峠の我が家」として時に耳にすることがありますね。私の大学時代は、ESSの遠足などでよく英語で歌っていたものです。でも歌詞をよくみると、けっして故郷の我が家を懐かしがる歌ではありませんね。いきなり、give me a home「ぼくに家をくれ」ですから、マイホームに憧れる若者の気持ちだと分かります。続けて、Where seldom is heard a discouraging word「やる気の失せることばがめったに聞こえぬところに」ですから、この若者は毎日毎日親方か誰か上のものから怒鳴られているのです。最終行のthe skies are not cloudy all day「空も終日は曇らぬ」ところ、とは実際の天候というより、彼の心の状態を歌っているのです。前後しますが、題名のrangeには確かに「山並み」というような意味もありますが、ここでは「(広大な)牧草地、牧場」です。従がってこの若者は見習いのカウボーイか何かでしょうね。もうひとつ、buffalo, deer, antelope, はいずれも単数複数同形の名詞ですが、ここではすべて複数形ですよ。ただし、buffaloesだけは可能です。そういえば、先年までBuffaloesというプロ野球チームがありましたね。Carpは今でもありますが、結成されたばかりの頃はCarpsと呼ばれていました。これはおかしい、という声が新聞に載ったのを覚えています。

続きを読む "Home on the Range
峠の我が家" »

2006年09月30日

Danny Boy
ダニー・ボーイ

  「ロンドンデリーの歌」のメロディーに付けられた歌詞は全世界で100を超えるといいましたが、知名度、愛唱される頻度でこの「ダニー・ボーイ」の右にでるものはないでしょう。イギリスの法律家によって作詞されたのは1913年、それ以後ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte, 1927−)をはじめおびただしい数の歌手たちによって歌われてきました。歌詞も歌い手によって相当変化します。例えば、前述のベラフォンテなどは、2番のye(you)Iをすっかり置き換えて歌っています。上の詞では自分が待ち焦がれて死ぬわけですが、逆さまにするとダニー・ボーイの方が戦死することになります。このように解釈が多岐にわたるということは、人々の関心の高さ、つまり人気の証しにもなるのです。しかし、不思議にもというか、当然ながらというか、この中にアイルランドの歌手はほとんどいないそうです。それどころか、元歌の「ロンドンデリーの歌」をしのぐほどになったこの現象を苦々しく思っているアイルランド人も多いそうです。それにしても、謎の多い歌詞ですね。そもそも、ダニー・ボーイとは何者なのか。ダニー・ボーイは恋人でこれは恋歌だという人もいますが、私は息子のことだと思っています。
 ただ、歌っているのが父親なのか、母親なのか、分かりにくいですね。歌手がほとんど男性なので、父親を思わせますが、歌詞から想像すると、わが子の安否を気遣う母親のような気もします。そのあたりの説明をしておきましょう。みなさんはどちらだと思われますか? pipes「(特にスコットランドの)バグパイプ」、戦いのための召集の合図が谷から谷、そして山腹まで響き渡っているのです。From glen to glen and down the mountain side.やはりスコットランド高地地方を思わせます。T'is =It's歌手によってはこのように歌います。bide「待ち焦がれる」、waitより意味が強くなります。an Ave「(特に告別の)祈り」、発音に注意です。このふたつの表現が母親を思わせませんか。
今回の訳も歌うためのものではありません。ご了承ください。


『ダニー・ボーイ』(三宅忠明・訳)


おお、ダニー・ボーイ、バグパイプの音が呼んでいる、
谷から谷へ、そして山際まで響き渡る。
夏が終わり、バラはみんな散ってしまった。
おまえは去って行き、私は待ち焦がれる。


でも、牧場に夏が来て、おまえが帰って来るなら、
それも、谷が静まり、白い雪に覆われたときでもよい、
陽の中でも,日陰でも私は待っている。
おお、ダニー・ボーイ、おまえがいないと淋しくてたまらない。


でも、もしおまえが帰るのが、花がみんな枯れてからだったら、
もしかしたら、いえ、きっと私は死んでいる。
おまえは私の眠っているところを見つける。
そしてひざまずき、私のため最後の祈りをしてくれる。


でも、牧場に夏が来て、おまえが帰って来るなら、
それも、谷が静まり、白い雪に覆われたときでもよい、
陽の中でも,日陰でも私は待っている。
おお、ダニー・ボーイ、おまえがいないと淋しくてたまらない。

続きを読む "Danny Boy
ダニー・ボーイ" »

2006年09月22日

Londonderry Air
ロンドンデリーの歌

 アイルランドに伝わる古い民謡ですが、そのメロディーの美しさから、世界中でさまざまな歌詞が作られてきました。一説には、公式に認められたものだけでも100種を越えるといわれています。その中で恐らくもっとも古く有名なのがこの「ロンドンデリーの歌」でしょう。それにしても、見込みのない恋とはこれほど悲しく切ないものなのか、と思わせる歌詞ですね。哀愁を帯びたメロディーにマッチするのかも知れませんが、アイルランドの人々の共感を呼ぶ部分も多いようです。
 なかなか難しい歌詞ですから少し詳しく解説しておきましょう。your silken bosom「絹のような胸、とは白く柔らかい乳房」、as that does now「今まさにきみの胸に乗っかっているその花びらのように」、doesは代動詞といって前出の動詞の重複をさけるために使われます。would I were a little burnish’d apple「(さもなければ)きれいなリンゴの実になりたい」、wouldは1行目と同じく(実現不可能な)願望を表わします。pluck「(果物などを)もぐ」、gliding by so cold「(滑空するようにさっそうと)やって来るとき」、coldは天候よりもむしろ彼女のよそよそしい様子です。griding以下のような表現を分詞構文といいます。robe of lawn「リンネルの上着」、dapple「まだら模様を作る」、appleとの韻に注意してください。spun, spin「紡ぐ」の過去分詞形です。Yea would to God I were among the roses「そうだ、バラの木の一本になりたいのだ」、wouldは前出のものと同じです。float between「間を通り抜ける」、would I were growing,A happy daisy 「うれしいヒナギクになりたい」、wouldは前出。growは補語(daisy)を従がえますから自動詞です。要注意ですよ。That so your silver foot might press me going「きみの白い足に踏まれるように」、目的を表わすthatsoが入れ替わっています。even unto death「たとえ死にいたるとも」、切なさの極めつけですね。
なお、下の訳は文字どおりの直訳ですから歌えません。お断りしておきますよ。


『ロンドンデリーの歌』 (アイルランド古謡、三宅忠明・訳)


ああ、ぼくは柔らかいリンゴの花びらになりたい、
ねじれた枝から離れ、きみの白い胸に舞い降りて、
そこに横たわり、気を失ってしまいたい。
今、きみの白い胸にあるその花びらのように。
さもなければ、小さな輝くリンゴの実になって、
よそよそしくやって来るきみにもがれたい。
日光と日陰がきみのリンネルの衣服を引き立たせ、
きみの髪を金色に織りあげるのだ。


さもなければ、あのバラの木の一本になって、
きみが通り抜けるとき、身をかがめてキスしたい。
一番下の枝についた蕾が開き、
女王様のようなきみに触れるのだ。
いや、きみがどうしても愛してくれないなら、
庭の小道に咲く小さなヒナギクとなり、
通り過ぎるきみのその白い足に踏まれたい、
そしてそのまま死んでしまってもいい。

続きを読む "Londonderry Air
ロンドンデリーの歌" »

2006年09月15日

Long, Long Ago
久しき昔

「かきに赤い花さく、いつかのあの家」で始まる「思い出」という歌を、私は昭和25(1950)年に小6の音楽の授業で習いました。「柿に赤い花咲く」とばかり思っていましたから、「かき」は柿ではなくて垣なんだということを知ったのはずい分あとになってからでした。家の庭にあった柿の木に赤い花が咲いたのを見たことがありませんでしたから、不思議でたまらず、先生に柿の花に赤いのがあるんですか、と質問したことを覚えています。先生の答えは、「秋にたくさんの柿が赤く実り、まるで花が咲いたように見えるさまだよ」でした。とても詩的な情景を思い描いていましたから、垣と知らされたときは少しショックでした。今でも詩の解釈はいくつあってもいいと思っています。さらに、この歌が日本独自のものではなく、イギリス人のベイリーというひとが19世紀の前半に作っていた、Long, Long Ago であったことを知ったのは大学生になってからでした。しかも、大正2(1913)年の時点で、すでに下のような近藤朔風の名訳が出来ていたことも分かりました。それでも当時の中学生や高校生はみんな日本語訳よりも英語の歌詞で歌っていたということですから、現代人も負けずに歌いたいものですね。

久しき昔(訳詞:近藤朔風)1913

語れめでし真心 久しき昔の、
歌えゆかし調べを 過ぎし昔の。
なれ帰りぬ ああうれし
永き別れ ああ夢か。
めずる思い変わらず 久しき今も。

いとし小道忘れじ 久しき昔の
げにも堅き誓いよ 過ぎし昔の
ながえまい 人にほめ
なが語る 愛に酔う
やさしことば残れり 久しき今も

いよよ燃ゆる心や 久しき昔の
語る面はゆかしや 過ぎし昔の
永く なれと別れて
いよよ知りぬ 真心
共にあらば楽しや 久しき今も

この部分を直訳すると、

はるかな、はるかな、昔(訳:三宅忠明)

ぼくにとってとても懐かしかったあの話をしてくれ、
むかしむかしの。
ぼくがよろこんで聞いたあの歌をうたってくれ、
むかしむかしの。
今きみが帰り、ぼくの悲しみはすべて取り除かれた。
きみがあんなに永く放浪していたことを忘れさせてくれ。
きみがむかしながらに今もぼくを愛していることを信じさせてくれ。
むかしむかしながらに。

ぼくたちが出会った小道をおぼえているかい、
むかしむかしの。
そうとも、きみはけっして忘れないと言ってくれた、
むかしむかしに。
他の誰よりも ぼくの笑顔が好きと言ってくれたね。
きみが話すとき、愛がことばひとつひとつに魅力を添えた、
今でもぼく心はきみの賞賛のことばを大切にしてるよ、
むかしむかしの。

きみの優しさで希望が湧いてきたよ、
むかしむかしに。
きみの方がずっと賞賛されていた、
むかしむかしに。
でもながく別れて、きみの真心が分かったよ、
今でもきみのことばを聞くと誇らしい、
きみのとなりに座っているだけでとても幸せだった、
むかしむかしに。

ですから、朔風の訳がいかに正確なものであったかが分かりますね。当時の外国曲がほとんど原詞から大きくかけ離れた替え歌であったことを思えば、この訳はきわめて例外的と言えるでしょう。
 最後に英語表現について少し説明しておきましょう。tales, songsはともに関係代名詞の節を従がえますが、前者にはto meが挿入され、後者からは関係代名詞(thatないしwhich)そのものが省略されています。これは歌いやすくするために音節をそろえた結果です。これに対して2番1行目のwhere以下はpathsを修飾しますが、場所を表わしますから関係副詞と呼ばれます。prefer tolike betterの意味です。I prefer coffee to tea.=I like coffee better than tea.のように使います。Love gave a charm to each word.「愛がひとことひとことに魅力を与える=愛しているからひとことひとことが魅力的に聞こえる」のlove を無生物主語といいます。treasureは「宝物」ですが、動詞では「(宝物のように)大切にする」という意味になります。raise「持ち上げる、引き起こす」、eloquent「雄弁な」be tried「試される、試練に会う」be blessed「祝福された=とても幸せな」などに注意してください。

続きを読む "Long, Long Ago
久しき昔" »

2006年09月08日

My Old Kentucky Home
ケンタッキーの我が家

 S.フォスター(Stephen Foster, 1826-1864)、1853年の作品です。この年は、日本にとっても忘れがたい年ですね。そう、明治維新の15年前、アメリカのペリー提督が4隻の軍艦(黒船)を率いて浦賀に来航した年です。これは、米国内にあっては、新進の作曲家フォスターが大人気を博していた時期と一致するのです。ペリーは、徳川幕府の要人たちとの交歓会で、軍楽隊とともに連れてきた水兵たちの演芸グループに、前年出来たばかりの「旦さんは冷てぇ土ん中」“Massa's in de Cold, Cold Ground”(7月21日、Upload)などフォスターの作品3曲を披露させていますが(笠原潔『黒船来航と音楽』吉川弘文館、2001)、本国にあっては彼はちょうどこの曲に取り組んでいたわけです。ペリーの演芸グループはミンストレルズと呼ばれ、顔や手足を黒く塗って黒人に扮した白人たちで形成されていました。南下してくるロシアを意識して、幕府の要人たちの心を掴もうとするペリーの意気込みは並々ならぬものだったと思えます。事実、数度に及ぶ交歓会は多大な成功を収めました。フォスターの曲は日本人にも馴染み深い彼の祖先の国アイルランドのメロディーを基盤にしていますから、すぐに覚えて愛唱歌にした日本人も結構いたようです。維新の10年以上も前の日本で、髷を結った侍たちがフォスターを歌っていたと想像するだけでも愉快ですね。
 フォスターの歌が奴隷制度を彷彿させるという理由で、学校の教室からすっかり締め出されていることについては前にも述べましたが、かつて州歌として親しまれたこの「ケンタッキーの我が家」もよく槍玉にあがります。darkeysはともかく、corn topscabin floorまで駄目だというのは、どう考えても行き過ぎのような気がします。せっかく公の場で歌う機会を得た歌手たちも、これらの言葉を他の単語に代えて歌っているそうですが、私は一種の邪道だと思います。darkeyspeoplebrothersに代えたところで、人権問題の何の解決にもならないし、何よりもフォスターの意図を殺してしまうのです。あの世でフォスターが、苦笑くらいならよいのですが、歯軋りしているような気がしてなりません。
 なお、2番の“possum (opossum)”は「フクロネズミ」、“coon”は「アライグマ」のことですが、どちらもあまり馴染みのない動物なので、下の訳では歌いやすさも考えて、それぞれ「タヌキ」と「クマ」としてみました。

続きを読む "My Old Kentucky Home
ケンタッキーの我が家" »

2006年09月01日

Carry Me Back to Old Virginny
懐かしのヴァージニア

 フォスターを思わせるこの美しい旋律と歌詞はアフリカ系米国(黒)人のJ.ブランドというひとによって、1906年に作られました。そして1940年、ヴァージニア州の州歌に制定されます。日本でも「懐かしのヴァージニア」としてよく歌われました。高等学校の音楽教科書にも採用された時期があります。ところが、1997年になって、差別用語があるからとか、かつての奴隷制度を思い起こさせるからとかの異論が湧き起こり、新しい州歌が作られることになりました。しかし、10年近くたった今日までこれに代わる州歌はまだ出来ていないようです。
 少し語句の説明をしておきましょう。Virginny=Virginia, tatoes=potatoes、darkey=darky「アフリカ系アメリカ人(黒人)」(がかつて自分たちのことをよくこう呼びました)、long(動詞として)「熱望する」、massa,(黒人奴隷から見た白人の)「主人、旦那」(女性形は missis
 day after day「来る日も来る日も」(yellow) corn「トウモロコシ(がアメリカでは普通だけど、小麦の場合も考えられます)」、No place on earth do I love more sincerely 「――この世でより心から愛する土地はない」(名詞を否定する構文が面白いですね)、the state where I was born.「私が生まれた州」(whereは関係副詞)、wither and decay.「年取り死ぬ」(人間を植物に例えました)、pass away.「みまかる(死ぬ、の詩的な表現です)」bright and golden shore.「明るく金色に輝く岸辺(とは天国のことです)」、free from 「――から解放された、――がない」、we’ll never part no more.「けっして二度と別れることはない」(二重否定には、否定のみを強める用法があります)

続きを読む "Carry Me Back to Old Virginny
懐かしのヴァージニア" »

2006年08月25日

The Red River Valley
赤い河の谷間

 「赤い河の谷間」の赤い河(The Red River)とはミシシッピー河の支流で、テキサス州とオクラホマ州の境を西から東に流れる実在する河ですが、この歌は19世紀後半からアメリカ全土に広まり現在では知らぬもののないほどの民謡となりました。去り行く恋人を慕う恋歌だということはすぐ分かりますが、意外なことに去って行くのは白人の男性で、歌っているのはインディアンの女性だったそうです。したがって2番のboyはもとはgirlでした。いつのころからかboyの方が自然だろうということになったらしいのですが、下の訳ではわざと女性ことばにしてみました。比較的歌いやすく、英語も平易で意味は簡単にとれると思いますが、二三注釈を付けておきましょう。2番のadieuの意味は「さようなら」ですが、good byが日常の別れであるのに対して、二度と会うことのないような別れのときに使われます。3番のbreakは(恋心を)「壊す」という意味ですから失恋につながります。causing (cause)も「引き起こす、原因となる」という意味ですが、面白いいいまわしだと思いませんか。


赤い川の谷間(訳:三宅忠明)


赤い川の谷間からあなたが去って行くとひとが言う、
あなたの輝く瞳、優しい笑顔が見えなくなるんですか!
あなたは、わたしたちの小道をしばし照らしてくれた
太陽の光を持っていってしまうのよ!


わたしをまだ愛してくれているなら、ここにきて
座ってちょうだい。急いで別れを告げないで。
赤い川の谷間と、あなたを本気で愛した
わたしのことを忘れないで!


あなたが去ってゆく谷間のことを考えてよ。
それにわたしがどんなに淋しく悲しい思いをするかを。
あなたが破り裂こうとしているこの胸と
わたしの悲しみのことを、考えてちょうだい!

続きを読む "The Red River Valley
赤い河の谷間" »

2006年08月18日

Humpty Dumpty
ハンプティー・ダンプティー

 マザー・グースの唄の中でも特に有名なもののひとつです。ハンプティー・ダンプティーとは何者なのか、とよく尋ねられますが、Hump, Dump, には「(こぶのような)丸いもの」「ずんぐりしたもの」というイメージがあり、そこから「タマゴ(おじさん)(にんげん)」という概念が定着してきたようです。さらに多くの絵本作家、挿絵画家たちが、タマゴそのものといった絵を描いてきました。タマゴということになれば、一度壊れたらけっしてもとには戻らない、というイメージにつながります。最高の権力者である王様が、すべての馬すべての兵士を使っても、もとに戻せない、つまり、何か取り返しのつかないことをしてしまった、あるいは、そうなってしまったたとえに使われます。現物は見ていませんが、かつてイギリスの経済状態が破綻寸前になったとき、All the king’s horses and all the king’s men, Cannot put it together again. という見出しが新聞で使われたそうです。おおいにありそうなことですね。イギリスの人たちにとっては、この見出しを見ただけでことの深刻さが瞬時に分かるのですが、同時にこの記者のユーモアのセンスによって救われてもいるのです。
 英語については、2行目のhad が面白いですね。have=「持つ」だけではありませんよ。「大きな落下を持った」となどという日本語はありませんね。ここでは、「ドサッと落ちた」くらいな意味です。他にもさまざまな用法がありますから、これを機に一度辞書でまとめてみられたらいかがでしょうか。

続きを読む "Humpty Dumpty
ハンプティー・ダンプティー" »

2006年08月04日

Annie Laurie
アニー・ローリー

「才女」(作詞:稲垣千頴・スコットランド民謡)


書き流せる 筆のあやに
染めし紫 世々あせず
ゆかりの色 ことばの花
類もあらじ そのいさお


巻きあげたる 小簾(おす)の隙(ひま)に
君の心も しら雪や
廬山(ろざん)の峯 遺愛(いあい)の鐘
目に見るごとき その風情


 「蛍の光」(Auld Lang Syne)「うつくしき」(The Bluebells of Scotland) と並んで日本に初めて入ってきたスコットランド民謡です。明治14年(1881)にわが国で最初の音楽教科書『小学唱歌集』第1編に載りました。この唱歌集全3巻の計91曲中、賛美歌やアメリカのスクールソングが多い中で、一割近い9曲もがスコットランドの歌なのです。その理由のひとつは、「ヨナ抜き」といって4番目と7番目の音階、つまり半音の「ファ」と「シ」が抜けていることが、日本人に歌いやすかったことかも知れませんね。しかし、いずれも歌詞の内容はすっかり別のものになっています。上の歌詞は、日本の世界に誇る平安時代のふたりの才女、紫式部と清少納言(『枕草子』第280段)を歌ったものです。
 元歌の意味を次に紹介しておきますが、もちろんこちらは恋歌ですね。Maxweltonはイングランド国境に近い南部にある地名ですが、braes 「丘」 bonnie「美しい」doon、dee「死ぬ」はいずれもスコットランド独特のことばです。


「アニー・ローリー」(訳:三宅忠明)


マクスウェルトンの美しい丘、
早朝の露が降りるところ、
そこで、アニー・ローリーは、
真実の約束をしてくれた。
あの真実の約束を、
ぼくは決して忘れない。
あの美しいアニー・ローリーのためなら、
ぼくはいつ死んでもよい。


彼女の眉は雪ひらのようで、
そのうなじは白鳥のようだった。
彼女の顔の美しさは、
太陽が照らしたものの中で、
最高だった。
濃く青い眼、
あの美しいアニー・ローリーのためなら、
ぼくはいつ死んでもよい。

続きを読む "Annie Laurie
アニー・ローリー" »

2006年07月28日

The Bluebells of Scotland
スコットランドの釣鐘草

「うつくしき」 (作詞:稲垣千頴・スコットランド民謡)


うつくしき わが子やいずこ 
うつくしき わが長の子は
弓とりて 君のみさきに
勇みたちて 別れゆきにけり


うつくしき わが子やいずこ
うつくしき わが中の子は
太刀帯(は)きて 君のみもとに
勇みたちて 別れゆきにけり


うつくしき わが子やいずこ
うつくしき わが末の子は
ほこ執りて 君のみあとに
勇みたちて 別れゆきにけり


「蛍の光」(Auld Lang Syne)「才女」(Annie Laurie) と並んで日本に初めて入ってきたスコットランド民謡です。明治14年(1881)にわが国で最初の音楽教科書『小学唱歌集』第1編に載りました。この唱歌集全3巻の計91曲中、賛美歌やアメリカのスクールソングが多い中で、一割近い9曲もがスコットランドの歌なのです。その理由のひとつは、「ヨナ抜き」といって4番目と7番目の音階、つまり半音の「ファ」と「シ」が抜けていることが、日本人に歌いやすかったことかも知れませんね。しかし、いずれも歌詞の内容はすっかり別のものになっています。これも元の歌詞は、戦地に赴いた恋人の安否を気遣いその無事を願う少女の心情を歌ったものですが、日本では3人のわが子を防人として戦地に送った母親の思いを歌ったものになりました。「うつくしき」とは、「可愛い」ないし「大切な」という意味ですから現在とはかなり違いますね。原詩は次のような意味です。
 

「スコットランドの釣鐘草」 (訳:三宅忠明)


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が行った先を、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が行った先を。
彼は、軍旗たなびかせ、気高き戦さの行われるところに行きました、
おお、私は彼の無事な帰りを心より祈るのみです。
彼は、軍旗たなびかせ、気高き戦さの行われるところに行きました。
おお、私は彼の無事な帰りを心より祈るのみです。


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が住んでいたところを、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が住んでいたところを。
彼は、綺麗な釣鐘草の咲く、麗しきスコットランドに住んでいました、
おお、私は彼を心から愛しているのです。
彼は、綺麗な釣鐘草の咲く、麗しきスコットランドに住んでいました、
おお、私は彼を心から愛しているのです。


おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が身につけていたものを、
おお、教えてくれ、お前の恋人、ハイランドの若者が身につけていたものを。
鳥の羽根そびえるボンネット帽かぶり、胸には長い肩掛けを、
おお、私は心からあのハイランドの若者を愛しているのです。
鳥の羽根そびえるボンネット帽かぶり、胸には長い肩掛けを、
おお、私は心からあのハイランドの若者を愛しているのです。


 スコットランド・アクセントについてひとこと説明しておきます。Highland, heart, home の発音はそれぞれHeeland(ヒーランド), haret(へァルト), hame(ヘイム)のようになります。スコットランドの雰囲気を出すためにこのアクセントで歌ってみました。また、laddie, bonny, bonnet, plaid, はスコットランド独自の語彙で、それぞれ「若者」「美しい」「(スコットランドの兵士の冠る)ボンネット帽」「(スコットランド独特の長い)肩掛け」という意味です。

続きを読む "The Bluebells of Scotland
スコットランドの釣鐘草" »

2006年07月20日

Massa's in de Cold, Cold Ground
主人は冷たい土の中

夕べの鐘 作詞・吉丸一昌 作曲・S.フォスター


昔の人、今やいずこ、
訪れ来て、たたずめば、
黄昏(たそがれ)ゆく、空をたどり、
通いて来る、鐘の声。


  コーラス
  家鳩の羽ばたきに、
  乱れて消ゆ、軒の妻。


みどりの風、岸をそよぐ
川のほとり、さまよえば、
黄昏ゆく、路地を越えて、
おとない来る、鐘の声。


  コーラス
  牧の童(こ)が、笛の音に、
  消えては行く、村はずれ。


この歌を私は、昭和25(1950)年、小学6年の音楽の授業で教わりました。軒の妻、おとない来る、牧の童(こ)が、などということばの意味もよく分からないまま、声を張り上げて歌ったものです。やがて、元歌はアメリカの生んだ大人気作曲家スティーヴン・フォスター(Stephen C. Foster,1826-1864)の“Massa's in de Cold, Cold Ground”『主人は冷たい土の中』であったことを知りました。フォスターは、37年余の生涯で205の歌曲を作詞・作曲しました。その多くは、南部の大農園に働くアフリカ系労働者の心になりきって、彼らの生活、心情を歌ったものです。この曲が作られた1852年といえば、奴隷制度がまだ強固な頃でしたが、それを批判する声もそろそろ出始めていました。これから10数年後、リンカーン大統領の時、南北戦争を経て奴隷解放が行われるのですが、その運動にフォスターの歌が一役買ったことも考えられます。代表的なものは、このサイトでも順次紹介していますが、この「主人は冷たき土の中」に関しては、実に特記すべき史実があるのです。それは、アメリカ曲の中で日本で公演・演奏された最初のひとつであったということです。ご存知のように、ペリーの艦隊が浦賀に来航したのは、明治維新の15年も前、つまり1853年のことです。このとき日本がもっとも衝撃を受けたのは、彼が連れてきた二組の軍楽隊による西洋音楽の演奏でした。そして翌1854年3月27日、かれらに同行した水兵たちの演芸グループが、江戸幕府の要人たちの前で、出来たばかりのこの曲を披露したのです(笠原潔『黒船来航と音楽』吉川弘文館、2001)。やがて、維新を経て明治5(1872)年に学制が公布されますが、そこで14番目の教科目として「唱歌」(後に「音楽」)が採用されます。もっとも、この時点では教師も教材もまだ整っていませんでしたから、「当分之を欠く」との但し書きがついていたそうです。そして、これらが整い、実際の音楽教育がスタートするまでには、約10年待たねばなりませんでした。とまれ、ペリーの来航が、人格形成と人間の幸せ、さらには「富国強兵」政策を進める上からも、Music(音楽)がいかに有効であるかを日本に知らしめるきっかけとなったことには変わりありません。
フォスターのメロディーには、「果てしない悲しみ」(infinite sadness)と「ぞくぞくするような美しさ」(haunting beauty)があります。これは奴隷として無理矢理アメリカに連れてこられたアフリカ系の人々の民衆音楽と、音楽一家であったフォスターの祖先がアイルランドから持ち込んだものがミックスされた結果です。そしてどの歌詞からも、フォスターのアフリカ系の人々に対する限りない愛情が伝わってきます。ところが、20世紀半ばになって、用語が適切でない、奴隷制度を髣髴させるという批判の声があがり、フォスターは学校の教室から追放されてしまいます。いい機会ですから、ここでひとつ提案しておきたいことがあります。これまで、やや皮肉を込めて「アフリカ系云々」などということばを使ってきましたが、このよ
うに表現を変えてうわべだけを取り繕ってみても、奴隷制度という人類史上の汚点を消すことも出来なければ、真の人権問題解決にもなりません。何よりもアメリカのみならず人類の宝ともいえるフォスターの歌が制限されたり追放されることによって失われるものの大きさはそれこそ計り知れないでしょう。確かに彼は「黒○○」(black, darkey)などの言葉を多用します。さらに、cabin(奴隷小屋)、cotton or corn field(奴隷の主たる仕事場であった綿花又は玉蜀黍畑)もだめだと言われますが、いずれも前述したように、フォスターは暖かい愛情を込めているのです。
フォスターの気持ちになり代わって、実際歌えるように試訳してみました。いかがでしょうか?


旦さんは冷てぇ土ん中 (三宅忠明・訳詞)


牧場にゃ、悲しい、
黒○○の歌。
物まね鳥の、
楽しい調べ。
蔦が這い回る、
草むす塚に、
旦さんは眠る、
冷てぇ土ん中。


  繰り返し
  もんろこし畑に
  聞こえるは、
  黒○○どもの、
  嘆き歌。


落ちん葉が散りだして、
寒うなり、
旦さんの声が、
か細ぅなったよ。
浜辺のオんレンジに、
花が咲き、
夏ん日が来ても、
旦さんは帰らんねえ。


黒○○たちゃあみな、優しい
旦さんを好いてたよ。
今はみな泣いとる、
あとん残されて。
仕事も手んつかねえ、
涙あふれて。
悲しみ忘れるため、
おら、バンジョー弾くだ。


いまひとつ、フォスターの歌詞は黒人の擬似方言を使ったものと、そうでないもののふたつに大別できます。この歌はもちろん前者です。いちいち解説するよりも、 
一括して普通の英語に直した歌詞を載せておく方が分かりやすいでしょう。なお、英語として面白い表現がふたつあります。まず、一番の“Happy as the day is long”ですが、これは“Happy”を強めた熟語で、「とてもとても楽しげに」くらいな意味です。また、二番の Master never calls no moreにはnever とno more と否定の表現がふたつあり二重否定と呼ばれますが、否定を否定するわけですから転じて強い肯定になる場合と、ここにあるように否定の意味をさらに強調する場合とあります。むかしのある歌の文句に「雪に変わりがないじゃなし」というのがありましたが、これと同じと考えたらいいでしょう。


Master's in the Cold, Cold Ground


Round the meadows is ringing,
The darkey's mournful sound,
While the mocking bird is singing,
Happy as the day is long.
Where the ivy is creeping,
O'er the grassy mound,
Dear old master is sleeping,
Sleeping in the cold, cold ground.


  Refrain
  Down in the corn field,
  Hear that mournful sound,
  All the darkeys are weeping,
  Master's in the cold, cold ground.


When the autumn leaves were falling,
When the days were cold,
'Twas hard to hear old master calling,
Because he was so weak and old.
Now the orange trees are blooming
On the sandy shore.
Now the summer days are coming,
Master never calls no more.


Master made the darkeys love him,
Because he was so kind,
Now they sadly weep above him,
Mourning because he left them behind.
I cannot work before tomorrow,
Because the tear drops flow,
I try to drive away my sorrow
Playin' on the old banjo.

続きを読む "Massa's in de Cold, Cold Ground
主人は冷たい土の中" »

2006年07月14日

Under the Spreading Chestnut Tree
大きな栗の木の下で

 「大きな栗の木の下で」という題名でよく歌われますから、どなたもご存知でしょう。英語発音についてですが、短い歌でテンポもゆったりしていますから、特に次のふたつの音の習得を目的にしてください。まず th 音、 そして r の音です。 the there はよく出てきますが、単語の後ろにつく both が面白いですね。有声音になる(濁る)with のときと違って無声音(濁らない)ですから、ごく弱く、しかしきちんと舌先は噛んでください。うまく出来たらとても英語らしく聞こえますよ。母音の部分は二重母音といって、「オ」でも「オー」でもなく「オウ」と聞こえます。音では、単語の先頭ではなく、途中(spreading, tree)や終わり(under, there)に来たときどう聞こえるかに気をつけましょう。

続きを読む "Under the Spreading Chestnut Tree
大きな栗の木の下で" »

2006年07月07日

Old Folks at Home
故郷の人々

 アメリカの生んだ大人気作曲家フォスター(S.C. Foster, 1826-1864)の1851年、初期の代表作です。日本では「おー、スザンナ」「オールド・ブラック・ジョー」と並んで、かつての音楽教科書の定番でした。「はるかなるスワニー川、岸辺に…」で始まる「スワニー川の歌」は小学5年の教科書に必ず登場したものです。そして中3では、原詞つきのものが出てきました。「スワニー川」という名前を決定するにあたっては面白い逸話があります。歌い(発音し)やすくて3音節からなる適当な川がないものかとフォスターは広いアメリカの地図を広げ、くまなく探します。そこで見つけたのがフロリダ州にあるこの小さな川でした。フォスターは3年前に発表していた『おー、スザンナ』によってすでに有名人気作曲家になっていましたから、この曲とともにこの川の名前もたちまち全米に知られることになりました。フロリダ州では今日までこれを州歌としているほどですが、不思議なことにフォスター自身は生涯で一度もこの川を見ることはありませんでした。今日ならさしずめ「名誉州民」といったところですけどね。
 この歌については私自身も強烈な思い出を持っています。学校のどこかで、音楽室だったか、先生の宿直室だったか、たまたまレコードプレーヤー(当時は蓄音機といっていました)とSP版(LP版の出る前の床に落とすと割れるようなものでした)のレコードを見かけたのです。それが英語版のこの曲でした。何気なく掛けてみると、前奏とともに、次の英語解説が耳に飛び込んできました。
 
 Stephen Foster can be called one of America's best known composers. His many songs were inspired by the plantation life of the South. Among these “The Old Folks at Home” is one of his most widely known and best loved. The words and melody which accompany it have the infinite sadness and haunting beauty, characteristic of Negro folk music. As you will hear you will be strongly reminiscent of Moore's Irish songs.
(スティーヴン・フォスターはアメリカのもっともよく知られた作曲家のひとりでしょう。彼の歌の多くは南部の大農場生活よりインスピレーションを受けています。中でもこの『故郷の人々』はもっとも広く知られ、もっとも愛されたもののひとつです。この歌の歌詞も曲も果てしない悲しみと、ぞくぞくするような美しさを持っていますが、いずれも黒人のフォーク音楽の特徴です。聴いてごらんになったら、フォスターの先祖の国アイルランドの詩人トーマス・ムーアの歌を連想されるでしょう)

  現在 Negro などということばを使ったら大変なことになりますが、美しい女性の声の響きで、これに続く歌唱以上に魅せられましたのを覚えています。特に、 called, songs, Home, known, it, characteristic, hear, reminiscent など、それぞれ息をつくところで抑揚がハネ上がる(女性発音の特長)んですね。英語の音って何て素晴らしいのだろう、というわけです。詳しい意味が分かったのは大学生になってからでしたが、暗唱はひまさえあれば、中学生のときからやっていました。思えばこれも私が英語を本気で学ぶきっかけを与えてくれた出来事のひとつですね。原詩は次のような意味です。
 なお、櫻井雅人・一橋大学教授にうかがったのですが、この歌の主人公は懐かしい故郷に帰りたくても帰れない、多分逃亡奴隷だろうとのことでした。


なつかしい故郷の人々(訳:三宅忠明)

スワニー川のはるかしも、遠い遠いかなた、
ぼくの心はいつもなつかしい人々のいるそこを向いている。
広い世界を悲しくぼくはさまよう。
故郷の人々を遠く離れ、なつかしい農場に恋焦がれる。

コーラス
どこをさまよっても、この世界は悲しくつらい。
おお、黒○○よ、この心のつらいことよ、
故郷の人々から遠く離れていると。

若い頃、小さな農場のまわりをさまよった。
幸せな多くの日々を費やし、多くの歌を歌った。
巣の周りでミツバチが飛び交っているのが見られるのはいつだろう。
バンジョーの弦の音が聞けるのはいつだろう、故郷の人々から遠く離れて。

藪の中の小さな家、ぼくが心から愛した。
今でも思い出がこみ上げて悲しくなる、どこをさまよっていても。
兄弟と遊んでいたときは、本当に楽しかった。
おおぼくを老いた母のもとへ戻してくれ、生きるも死ぬもそこでしたい。

続きを読む "Old Folks at Home
故郷の人々" »

2006年06月30日

Oh, Susanna
おースザンナ

 アメリカの生んだ大人気作曲家フォスター(S.C. Foster, 1826-1864)の歌をお届けしましょう。彼は作曲だけでなく、作詞も基本的には自分でしました。ここにあげた「おー、スザンナ」は1848年、フォスター21歳のときの作品で、発表後1年もたたないうちに全米を席巻(せっけん)する大ヒット曲になりました。まず、歌詞の本当の意味を見ていただきましょう。
 
おー、スザンナ(訳:三宅忠明)
 
ぼくはアラバマからやって来た、
バンジョー膝に乗せて。
ぼくはルイジアナに行く、
本当の恋人に会うために。
出発した日は一晩中雨だったから、
天候はからからに干上がっていた。
お日様がとても暑くて、凍え死にそうだったよ。
スザンナ、泣かないでくれ。
 
 繰り返し
 おー、スザンナ、泣かないでくれ。
 ぼくはアラバマからやって来た、
 バンジョー膝に乗せて。
 
この前の晩夢を見た。
なにもかも静まりかえっていた。
するとスザンナの姿が見えた、
丘を駆け下りて来るのが。
口にソバ粉のパンを頬張り、
目には涙をためて。
ぼくは言う、南部からやって来たのだと。
スザンナ、泣かないでくれ。
 
 繰り返し

もうすぐ着くよ、ニューオーリーンズへ。
そしてあちこち探すんだ。
もしもスザンナの姿が見えたら、
ぼくは地面に倒れ伏す。
そしてもしその姿が見えなかったら、
間違いなくこの黒いぼくは死ぬ。
もしぼくが死んで埋葬されても、
スザンナ、泣かないでくれ。
 
 繰り返し


 「出発した日は一晩中雨だったから、天候はからからに干上がっていた」だとか、「お日様がとても暑くて、凍え死ぬところだった」などというと、ずいぶん理屈に合わないと思うひとも多いでしょう。しかし、これが英語圏のユーモアの一部であるナンセンスの面白さなのです。このように考えながらこの歌詞を味わってください。3番のthis darkey を「黒いぼく」と訳しましたが、フォスターはアフリカ系住民(黒人)になりきって多くの歌を書きました。しかし、彼自身は生粋のアイルランド系移民の子孫で、アメリカでの生活の基盤も北部でした。南部にも一度しか足を踏み入れたことがないそうすし、まして、スワニー川(「故郷の人々」に出てきます)が実在するフロリダ州には一度も行ったことがありませんでした。

続きを読む "Oh, Susanna
おースザンナ" »

2006年06月23日

Head, Shoulders, Knees and Toes
頭 肩 ひざ つま先

 「頭、肩、ひざ、つま先」は身体の各部分に触りながらだんだんテンポを早めて行く一種の遊戯歌です。いうまでもないことですが、頭、口、鼻はひとつだけ、肩、膝、つま先(足の指)は対(つい)になっていますから、それぞれ複数のがついていますね。英語圏の子どもたちはこういった遊戯を通じても、無意識のうちに文法の知識を身につけて行くのです。
 よく日本人は文法を気にするから英語が話せないんだ、文法は必要ないなどというひとがいますが、とんでもないことですね。単数複数の区別は、動詞の三人称単数現在のと並んで基本中の基本ですよ。これがでたらめだと、本物の信頼はまず得られません。
 遊びや日常生活、物見遊山などで乗り物に乗ったり買い物をしたりしているあいだはカタコト英語でもいいでしょうが、交渉、取り引き、外交の場ではそうは行きません。将来、仕事で英語を生かそうと思う人は、しっかりした文法の知識を身につけることを心がけねばならないでしょう。
 それも、ここはどうなるのだろうかなどと頭で考えるようではいけません。自然に口をついて出てくるようにするには、自然に身につけておくことが必要です。その意味でも、理屈で考えるより、このような歌を絶えず口ずさむようにしておく方がはるかに効果的なのです。

続きを読む "Head, Shoulders, Knees and Toes
頭 肩 ひざ つま先" »

2006年06月16日

Old Black Joe
オールド・ブラック・ジョー

 アメリカの生んだ大人気作曲家S.フォスター(S.C. Foster, 1826-1864)は、37年余りの生涯で200曲以上を作詞・作曲しましたが、そのほとんどがアメリカ南部の大農場に働くアフリカ系住民の生活、心情を歌ったものでした。どの歌からもフォスターの彼らに対する深い愛情と同情が伝わってきます。
 「オールド・ブラック・ジョー」は櫻井雅人・一橋大学教授にうかがったのですが、当初は顔を黒く塗ってアフリカ系住民に扮した白人のコーラス・グループなどによってよく公演され人気を博したそうです。ところが20世紀半ばになって、かつての奴隷制度を思い起こさせるからという理由で、公の場では急に歌われなくなりました。奴隷制度は確かに人類史上の恥部ですが、それを包み隠すために、非常によいものまで否定するのは考えものですね。むしろ、人類として反省するためにも、フォスターの歌などはどんどん奨励すべきだと、私は思います。
 わが国へは明治時代以来、その多くが紹介されましたが、この「オールド・ブラック・ジョー」はかつて音楽教科書の定番でした。私は、昭和27(1952)年、中2の音楽の授業で習いました。当時は物のない時代でしたから、楽器といってもせいぜいハーモニカ程度で、それも持っているのはクラスで数名でした。そんな時代ですから、音楽の授業で器楽演奏などは思いもよらず、することといったら先生のピアノに合わせてただひたすら斉唱することでした。そして、試験ではひとりひとりがピアノの横に立って先生の伴奏で歌うのです。その試験独唱曲にこの歌が選ばれたとき、先生が私だけに「原語で歌えるか」と言われました。幸いしっかり練習していましたから、即座に「はい、歌えます」と答え、よどみなく?歌いました。この一件でクラスの尊敬を勝ち得たような気分になったのを覚えています。

続きを読む "Old Black Joe
オールド・ブラック・ジョー" »

2006年06月09日

Are You Sleeping?
まだ眠ってるの?

 『アー・ユー・スリーピング』。単純なメロディーですから、友だちとふたり以上になったら、一行ずつずらして歌ってみてください。この歌い方を輪唱といいますが、各行の終わりに、sleeping, ringing, ding と同じ音が並びますから、楽しいですよ。
 今回も少し文法(ことばのきまり)の勉強もしておきましょうね。Be動詞という、ものやひとの状態を表すことばがあります。だれが、何が、を表す主語によって変化します。I am, You are, He(She, It) is, They are,などといったぐあいです。amis の過去形は was、are の過去形は were です。さて、この Be動詞-ing の形が加われば、何かの動作が進行している状態を表します。これを、文字どおり、進行形といいます。今回はこの進行形を覚えましょう。Brother is sleeping.「兄ちゃんは眠っている」Is Brother sleeping?「兄ちゃんは眠っていますか」(疑問文)のように使います。従がって、Are you sleeping, Brother John? は、「あなたは眠っているのですか、ジョン兄ちゃん」が正しい意味ですが、ここでは歌いやすいようにただ「おきなよ」としました。Morning bells are ringing.は文字どおり「朝の鐘が鳴っている」ですね。Ding, dong, ding は「カーン、カーン」と鐘が鳴る音を表します。
 なお、Brother John をここではジョン兄ちゃんとしていますが、Father の「神父」に対して、Brother には「若い修道士」の意味があります。寝坊の神父見習いさんをゆり起こしているのかも知れませんね。

続きを読む "Are You Sleeping?
まだ眠ってるの?" »

2006年06月02日

My Darling Clementine
いとしのクレメンタイン

 日本でも「雪山賛歌」としてよく歌われました。南極越冬隊長であった西堀栄三郎氏の作詞です。もと歌はアメリカ民謡ですが、一躍有名になったきっかけは、1947年、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ、ヴィクター・マチュア主演の西部劇映画『荒野の決闘』の題名兼テーマソングになったことです。アリゾナ州にTombstone という町が今でもあります。『墓石』という意味ですが、こういったのが平気で地名になる。一種のアメリカ式ユーモアでしょうか。それはさておき、この町でかつて有名な出来事がありました。1881年のことです。名保安官ワイアット・アープとクラントンというならず者一家が「OK牧場」というところで決闘をしたのです。映画は上の歌の内容とは大違いで、アープはけな気なクレメンインの住む町を少しでもよくするため、ならずもの父子を倒したあと、彼女に別れを告げて去って行きます。
「クレメンタイン、いい名前だ」(Mam, I sure like that name; Clementine)が最後の台詞です。
 原詩の方は、アヒルの子に水を飲ませに行ったクレメンタインが、川に転落し溺れているのを見殺しにした自分が、その妹にキスして彼女を忘れた、というとんでもない内容になっています。少し語句の注釈を記しておきましょう。
 Cavern「洞窟」canyon「(大きな)峡谷」Excavating for a mine「鉱山を掘りながら」Dwelt「住んでいた」miner「鉱夫」forty-niner「49歳のひと」という意味と「1849年に金鉱が発見され、それを目指して西部に行ったひと」という意味もあります。number nine.の靴といえば超特大で、店には売ってないから、ふたのないHerringニシンの箱をSandalsにして足につっかけていた、といっています。Ducklings「アヒルの子」を毎朝川に連れてゆくのか日課だったクレメンタインは」Stabbed her toe upon a splinter,「木の切り株につま先を引っ掛けて」foaming brine.「泡立つ深み」に転落してしまいます。Ruby lips「赤い唇」が細かいbubbles「あぶく」を吹き出しているのに、泳げない私はクレメンタインを見殺しにしてしまいます。丘の中腹のchurch yard「墓地」でクレメンタインはpossies=poppies「ケシ」に囲まれたバラの, Fertilized「肥料となって」いるのです。
 これで、歌詞の意味がよくお分かりになったと思いますが、一見とてもふざけた内容になっています。悲しみも苦しみも極限に達すると、笑いでしかそれに耐えることは出来ないのです。欧米のユーモア感覚(sense of humour) はそんなところから生まれました。一種の悲しみ表現ですね。日本のものとはずいぶん違います。こういった背景文化の相違に気を配ることも、英語習得のコツですよ。
 では、最後に日本語訳をつけておきます。

 
     いとしのクレメンタイン (訳:三宅忠明)

     
     渓谷の洞窟に、鉱脈を掘りながら、
     49歳の鉱夫とその娘クレメンタインが住んでいた。

      
        繰り返し
        ぼくのいとしい、いとしいクレメンタイン、
        お前は、永遠に逝ってしまったんだね!

     
     妖精のように身軽なのに、靴は特大、ナンバーナイン、
     ふたのないニシンの箱が、サンダル代わり。

     
     毎朝9時にアヒルを連れて、水を飲ませに近くの川に、
     木の切り株に、つま先引っ掛けて、渦巻く淵に真っ逆さま。

     
     赤い唇が水面に浮かび、細かい泡を吹き上げるのを見ても、
     ぼくは泳げないから、クレメンタインを見殺した。

     
     丘の中腹にある教会墓地に花が咲き、
     ケシに混じるバラの肥料になったクレメンタイン!

     
     悲しいよ、悲しいよ、ぼくのクレメンタイン、
     でもその妹にキスして、クレメンタインを忘れたよ!

続きを読む "My Darling Clementine
いとしのクレメンタイン" »

2006年05月26日

John Brown's body
ジョン・ブラウンの歌

 「オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいな」とか「ブンブン空飛ぶ飛行機は、トンボの兄貴じゃないわいな」などといった替え歌を、子どもの頃近所のお兄さんたちがよく歌っていましたね。これが外国の歌、しかも南北戦争の頃から伝わるアメリカ民謡であったとは、大学生になるまで知りませんでした。ジョン・ブラウンとは、リンカーン大統領と並んで強烈な奴隷制度廃止論者でした。何をしたひとであったかは、下の歌詞のとおりです。
 ハーパーズ・フェリーとは、ヴァージニア州(現ウエスト・ヴァージニア)にあった兵器廠のことです。彼が19人の仲間たちとこれを襲撃、占拠したのは、1859年10月16日のことでした。
 この歌の替え歌はほかにもいっぱいありますが、特に「ジョン・ブラウンの赤ちゃんが風邪引いた」は有名ですね。その日本語版が「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪引いた」です。最近では、ヨドバシ・カメラのCMソングとしてこのメロディーを耳にされた方も多いでしょう。


ジョン・ブラウンの遺体 (訳:三宅忠明)


ジョン・ブラウンの遺体は朽ちて墓の中、
ジョン・ブラウンの遺体は朽ちて墓の中、
ジョン・ブラウンの遺体は朽ちて墓の中、
でも彼の魂は歩き続けている。


    コーラス(繰り返し)
    栄えあれ、栄えあれ、ハレルヤ
    栄えあれ、栄えあれ、ハレルヤ
    栄えあれ、栄えあれ、ハレルヤ
    彼の魂は歩き続けている。


わずか19人の部下とともにハーパーズ・フェリーを分捕り、
ヴァージニア州全体をは震え上がらせた。
反逆者として彼を処刑したものこそ、
本当の反逆者だろう。
その魂は歩き続けている。


彼は神の軍隊の兵士となった、
彼は神の軍隊の兵士となった、
彼は神の軍隊の兵士となった、
その魂は歩き続けている。


神がやって来る栄光がこの目に見えた、
「怒りの葡萄」の貯蔵庫を踏みにじり、
光の剛剣を抜き放つのが見えた。
その魂は歩き続けている。


空の星はやさしく見おろしている、
空の星はやさしく見おろしている、
空の星はやさしく見おろしている、
あのジョン・ブラウンの墓を。

続きを読む "John Brown's body
ジョン・ブラウンの歌" »

2006年05月19日

Row Row Row Your Boat
こげこげ お舟

 「ロー、ロー、ローユア・ボート」は、とても輪唱に適した歌です。楽しく歌いたいですね。
 日本人にとって苦手な発音に、l 音と r 音の区別があります。自分で発音して区別出来なければ、聞いて区別することも出来ません。当然ですね。その練習にもってこいの歌のひとつなのです。日本語のら行(らりるれろ)はこの2音のどちらでもありません。強いていえば、中間といったところでしょうか。
 では、この2音の違いを分かりやすく説明しましょう。l は側音(そくおん)といって、英語の中でも特殊な音です。何の「側」(がわ)かといいますと、舌なのです。空気を舌の両側に送り込みながら出す音です。そのためには、口の中を舌で遮断しなければなりません。そうです、舌先を思いっきり口の天井(口蓋といいます)にくっつけるのです。そのままの状態で、発音してみてください。like, life, live, glass, play, そして、milk, gently, wall, call のように後ろのほうに来ても同じですよ。一方、r の音は「わたり音」といって3種類あるなかのひとつです。何からわたるのかというと、弱いゥの音からと考えたらいいでしょう。舌先は当然口の中(口腔といいます)に浮かんだ状態になっています。では、発音してみましょう。row, ring, rice, dream, stream, grass, pray(祈る)、merrily は両方の音を含んでいますから練習には好都合ですね。ついでに、わたり音のあとふたつですが、それはw(ウから)と(弱いィから)です。当然、ear(耳)とyear(年)は違う音ですよ。
 もうひとつ、row, boat の発音ですが、「ロー」「ボート」じゃあないですよ。どちらかといえば、「ロウ」「ボウト」に近い音です。「ロー」「ボート」は、それぞれ、raw(生の), bought(buy=買う、の過去形)の方が近いですね。かつて高校の教師をしていた頃の記憶ですが、発音を区別する試験問題によく出ていました。しかし、ペーパーで正解することと、実際に発音できることは、まったく関係ありませんでしたね。みなさんはどちらが大切だと思いますか。両方出来るに越したことはありませんがね。

続きを読む "Row Row Row Your Boat
こげこげ お舟" »

2006年05月12日

The Golden Rule
灯台守、旅泊、助け舟

 「凍れる月影空に冴えて、真冬の荒波寄する小島…」で始まる「灯台守」の歌を私は小学校5年生の音楽の授業でならいました。昭和24(1949)年のことです。イギリス民謡となっていましたから、「激しき雨風北の海に、山なす荒波たけり狂う」と歌われる歌詞の内容から、てっきり北部のスコットランドの歌だとばかり思っていました。思えば、これを契機にスコットランドに関心を持ち、英語と英文学を勉強をすることになったのですから、人生のきっかけなんて本当にちょっとしたことなんですね。
 その後調べて分かったのですが、元歌は1881年、ニューヨークで出版されたスクールソング・賛美歌集に出ている“The Golden Rule”だったのです。日本で始めて紹介されたのは、1888年に出た『明治唱歌集』における「旅泊」でした。


  旅泊(作詞:大和田建樹)、1888


  磯の火細りて更くる夜半に、岩打つ波音ひとり高し、
  かかれる友舟ひとは寝たり、たれにか語らん旅の心。


  月影かくれてからす啼きぬ、年なす長夜も明けに近し、
  起きよや舟人遠方(おち)の山に、横雲なびきて今日ものどか。


そして、1906年には、佐佐木信綱の「助け舟」が出ます。


  助け舟(すくいぶね)(佐佐木信綱・作詞)、1906


  激しき雨風天地暗く、山なす荒波たけり狂う、
  見よ見よかしこにあわれ小舟、生死(しょうし)の境と救い求む。


  救いを求むる声はすれど、この風この波誰も行かず、
  見よ見よ漕ぎ出(ず)る救い小舟(おぶね)、健気な男子ら守れ神よ。


 この歌詞を見ると、男女の違いこそありますが、イギリス東海岸に近いファーン諸島の灯台守の娘で、嵐の中、難破船の乗組員を救ったグレイス・ダーリングのことを想像してしまいます。佐佐木信綱がこの歌詞を書いたときも、勝承夫が「灯台守」という題にしたときも、きっとグレイス・ダーリングのことが頭にあったに違いありません。これが、多分この曲をイギリス曲とした理由でしょう。それにしても、最初の「灯台守」にありました、激しき雨風、とか、山なす荒波たけり狂う、などのフレーズは佐佐木信綱がすでに使っていたのですね。
 では、元歌の歌詞はどんな意味だったのでしょうか?


  黄金律(訳:三宅忠明)


  黄金律、黄金律、これこそ我が掟、
  世界の人が守るなら、皆幸せ。


  繰り返し
  黄金律、黄金律、これこそ我が掟、
  自らになされんことを、他人にもなせ。


  この掟が守られたら、人は皆幸せ、
  苦しみ、貧困、裏切りもなし。


 聖書マタイ伝の山上の垂訓のひとつ、「自らになされんと欲することを、他人になせ」(Do to others as you would be done by)は、人類のもっとも崇高な掟で「黄金律」と呼ばれます。欧米のスクールソングや讃美歌集にしばしば登場していたようです。それが日本に入ったとき、まるで別の歌のようになってしまったことには、じつは深いわけがあったのです。
 明治時代のはじめ、詳しくは明治5年に学校令という法律が発令されました。長い鎖国から目覚めた日本がヨーロッパの先進国に追いつくためには国民の教育が一番だというわけで、国中に学校が作られました。次に何を教えるかが検討され、読み方、書き方、習字、算術、算盤(そろばん)、体操、地理、歴史、修身などと並んで「唱歌」が加えられることになりました。ところが、どのような歌を全国の児童に歌わすかについてはなかなか意見がまとまりません。そこで、初代の文部大臣であった森有礼は、アメリカからLuther Whiting Mason (1828-1896)という音楽教師を招聘し、選曲を一任します。宣教師でもあったメーソンは、ここぞとばかり多くの賛美歌を候補曲に加え、歌詞も原詩に近いものにしたかったようです。これには当時の文部省内に大きな抵抗がありました。クリスチャンであった森有礼は、このせいでかどうかは不明ですが、暗殺されてしまいます。連日連夜の大激論の末、メロディーは欧米のものを借用するが、歌詞については日本独自のものにするとの大方針が打ち立てられました。この歌より数年前に導入された「蛍(の光)」(Auld Lang Syne)、「美しき」(Bluebells of Scotland)、「才女」(Annie Laurie)などはいずれもこのようにして生まれました。このような初期の学校唱歌もこのサイトでも出来るだけ紹介して行く予定です。

続きを読む "The Golden Rule
灯台守、旅泊、助け舟" »

2006年04月28日

London Bridge
ロンドン橋が落っこちる

 「ロンドン橋落ちた」。マザーグースの唄のひとつですが、これも世界中で愛唱されてきました。“London Bridge is falling down,” と歌いだすものもありますし、ヴァージョンによってはこの他の歌詞も多少変化します。先のメアリさんのヒツジと同じく、一種のストーリーになっているところが人気の秘密でしょう。
 しかし、この唄の持ち味は、意味もさることながら、やはり発音だと思います。英語には強形と弱形があること、特に弱形の方が大事なことは、前にも話しましたね。一語一語はっきりと、は英語にはあてはまりません。弱い音は聞こえないこともあります。だからといって、発音していないのかというと、そんなこともありません。では、発音しているのに耳には聞こえない音とはどんな音なのでしょうか。一番はそんなにむずかしくありませんが、二番以降で詰まるひともあるでしょう。“Build it up with wood and clay,” を、タンタタンタン タンタンタン、の中に歌いこむためには、with までを前半にいれなくてはなりません。it withand が弱形になっているのです。三番から九番までの歌い方で鍵を握るのはやはり、弱形の and です。Bread and butter (バターを塗ったパン)、watch and chain(鎖のついた時計)などの and は、軽く「ン」と発音するだけですが、これらと同じだと考えてください。以下、 brick and mortar, iron and steel, silver and gold, なども同じ注意が必要です。特に、 silver and gold できちんと発音すべき音と弱形で発音される音には気をつけましょう。
 今ひとつ、11番の Suppose ですが、これは命令形で、「次のことを想像してみなさい」ですから、Ifと同じ意味になります。この節のなかに should が入りますと、起こりえないこと、あるいは可能性が非常に低いことを仮定しますから、「万が一」の意味が加わります。 Suppose (If) the sun should rise in the west, 「万が一太陽が西から昇るようなことがあれば(あっても)」のように使います。なお各番の最後についている My fair lady は「わたしの綺麗なご婦人」という意味ですが、はやしことばみたいなもので、歌の内容とはあまり関係ありません。

続きを読む "London Bridge
ロンドン橋が落っこちる" »

2006年04月21日

When It's Lamplighting Time in the Valley
谷間の灯火

 作詞・作曲は、ジョー・ライアンズ(Joe Lyons)、サム・ハート(Sam Hart)およびヴァガボンズ(Vagabonds)というコーラスグループの合作とされています。発表されたのは1933年のことでした。私は、昭和27(1952)年、中2のとき、教科書にはなかったのですが音楽の先生から特別に教わりました。「たそがれに 我が家の灯、窓に映りしとき、わが子帰る日祈る 老いし母の姿」で始まる「谷間の灯火」)という歌でした。長い間1番だけの歌と思っていたのですが、後に3(時には4)番まであることを知りました。そして、2,3番をどうしても歌いきることが出来なかったことを覚えています。どちらも4行目で涙声になってしまい、時にはとめどもなく涙が流れました。それほど悲しい歌詞なのです。先に歌詞の大意を見ていただきましょう。


谷間の灯火が灯る頃(訳:三宅忠明)


  小屋の明かりが赤々と、
  窓に輝きぼくを呼んでいる。
  母が祈っているのが分かる、
  わが子に会えるように。


    繰り返し
    谷間に灯火が灯る頃
    夢でぼくは、家に帰る。
    窓に映るあの明かりが、
    さまようぼくの行くてを導く。


  灯火の明かりで母が見える、
  椅子に掛けてくつろいでいるのが。
  おお、ぼくの帰りを祈っている。
  だけどぼくは帰れない。


  灯火を灯してぼくの帰りを待っている、
  ぼくのしたことを知らないで。
  行いを改めてあの母に会いに行こう、
  この生を終えてから、天国に。


 And I know that I never can go. を日本語に直すと「ぼくは決して(母に会いに)行けないことを知っている」となるのですが、本当の意味はこれよりはるかに強いのです。それを知っていただくためには、次のジョークを理解していただく必要があります。
The French think that they are above the English or the Germans, and the Germans believe that they are above the English or the French, and the English know that they are above the French or the Germans.(フランス人は自分たちがイギリス人やドイツ人より優れていると思っている。そしてドイツ人は自分たちがイギリス人やフランス人より優れていると信じている。そしてイギリス人は自分たちがフランス人やドイツ人より優れていることを知っている=分かり切ったことだと思っている)。イギリス人の気位の高さを皮肉ったものですが、think, believe, know のそれぞれの意味の強さの比率は、2対3対10位になるのです。ここでもし、thinkbelieve なら、(そうでない)可能性が30パーセントか20パーセントは残るのですが、know が使われると、それは完全に消滅します。まちがっても、I know I know everything. などと言ってはいけませんよ。
 問答無用、何も言わずオレの言うことを聞け、のような意味になってしまうのです。
 She knows not the deeds I have done(母はぼくのしたことを知らない)のdeeds(行為)がヴァージョンによってははっきりとcrime(罪)になっています。この主人公が何かの罪を犯し、しかもそれが終身刑か死刑といった重罪で二度と母親に会えない境遇なのに、母親はそれを知らない。Up in Heaven when life' race is run.(この世の生を終えてから天国で)しか会えない、とは何と悲しい歌詞でしょう。これも後で知ったのですが、欧米では「囚人もの」といって広く知られた歌のジャンルがあるそうです。日本では、多分「教育的配慮」からでしょうが、歌に限らずこの種のものは余り青少年の目に触れさせなかったようですね。
 罪を犯したくて犯す者などいないわけですが、何かのはずみで罪人になってしまったひと、あるいはされてしまったひと、は世の中にはいっぱいいます。欧米などはそれこそ冤罪(えんざい)の歴史といってもいいくらいなのですから。犯罪に関係するからといっていたずらに目をそむけるのではなく、こういった歌を通じて、犯罪とは何か、人はなぜ罪を犯すのか、そして「囚人の心境」などを若い世代、幼い世代に考えさせるのも意味はあると思うのですが、いかがでしょうか。

続きを読む "When It's Lamplighting Time in the Valley
谷間の灯火" »

2006年04月14日

What a Friend We Have in Jesus
星の界

 「慈しみ深き友なるイエスは…」と歌われる賛美歌312番は余りにも有名ですね。この曲もかつては、小学5年の音楽教科書に必ず登場したものです。もっともよく知られたのは、次にあげる「星の界(よ)」でしょう。


星の界(よ)(作曲:コンヴァース、作詞:杉本代水)、1910


       月なきみ空に きらめく光
       ああ、その星影、希望の姿
       人知は果てなし 無窮(むきゅう)の遠(おち)に
       いざその星影 きわめも行かん


       雲なきみ空に 横とう光
       ああ、洋々たる 銀河の流れ
       仰ぎて眺むる 万里のあなた
       いざ棹させよや 窮理(きゅうり)の船に
 

アメリカ人のコンヴァースの作曲になり、上の歌詞は杉本代水というひとが作りました。アインシュタインの相対性理論発表の5年後、1910年のことです。それにしても、難しい歌詞ですね。人間の知恵はとどまるところを知らない、光の速さで何億年もかかるような、無限の彼方といってもよい星の正体を確かめに、さあ出発しましょう、とは、学問の何たるかを言い当てているような気がします。窮理とは究理とも書きますが、今で言う宇宙物理学のことですよ。
私的なことですが、私はこの曲を「訪ずる秋」という歌詞で習いました。記憶が間違っていなければ、次のような歌い出しだったように思います。


       輝くみ空に 落ち行く夕日
       紅燃え立つ 雲間に高く
       ねぐらをさし行く 名知らぬ鳥の
       その鳴もあわれや 訪ずる秋か


昭和24(1949)年、(岡山県瀬戸内市立、当時は邑久郡牛窓町立)牛窓小学校5年に間違いはないのですが、インターネットや教科書研究センターなどでこの年に使用された音楽の教科書10数点に当たってみましたが、いまだに確認できません。どなたかご存知ですか?
本来の歌詞は次のような意味なのです。


イエスこそわれらが友(訳:三宅忠明)


イエスこそわれらが友、罪も悲しみも引き受けて、
祈りによって、すべてを神に届ける特典、
ひとはしばしば平和を放棄し、不必要な痛みに耐える、
祈りによって、すべてを神に届けないから。


試練や誘惑があるだろうか、苦しみもありえない。
祈りによって、すべてを神に届ければ、落胆することもありえない。
イエスほどの友がどこにいよう、すべての悲しみを分かち合う、
人の弱さを知り尽くし、祈りによって、すべてを神に届けてくれる。

続きを読む "What a Friend We Have in Jesus
星の界" »

2006年03月31日

Hush Little Baby
お眠り赤ちゃん

 「ハッシュ・リトル・ベイビー」は子守唄です。1962年、「奇跡の人」という映画が世界的に大ヒットしました。三重苦を克服して偉業をなしたヘレン・ケラーこそ「奇跡の人」そのひとなのですが、映画の原題は、The Miracle Worker, 奇跡を起こした人、つまりどちらかというと、ヘレンよりもアン・バンクロフト(Anne Bancroft) 演ずるアニー・サリヴァン先生の方が主役であり題名になっているのです。バンクロフトはこの1作で女優としての地位を不動にしたと言われました。
 さて、癇癪を起こして大暴れするヘレンを何とかなだめ、やっとベッドに横たえたサリヴァン先生が心を込めて、優しく歌って聞かせる(もちろんヘレンには聞こえませんが)のがこの子守唄でした。40年以上前に見た映画のこの場面だけはなぜか鮮明に覚えています。サリヴァン先生はとてもゆっくり歌っていましたが、私は少し早いテンポで歌ってみました。長い歌のようですが、これくらいなら実はあっという間に覚えられる方法があるのです。それをお教えしましょうね。
 まず、赤ちゃんにおとなしく眠るんだよ、何かを買ってあげるからね、と語りかけていますね。最初が word と同じ音を持つ bird です。鳥が歌わなかったら、sing と同じ音を含む ring です。ダイアモンドといったのがもしシンチュウだったら、brass と同じ音を持つのは glassですね。望遠鏡が壊れたら、brokegoat は共通の母音を持っています。ヤギが引っ張らなかったら、pullbull です。bull だけでは短すぎるのでcart を加えました。荷車がひっくり返ったら、overRover の音を揃えます。Rover は犬の名前として代表的なものです。日本語なら「ポチ」ですね。最後が downtown です。このように、行末に同じ音をそろえることを「韻を踏む」といいます。
各行にしたり、一行おきにしたり、方法はいくつかありますが、これによってとても耳に心地よいリズムをつくり出すのです。英語の詩や歌の大きな特徴です。実は、今日はじめて詳しくお話ししましたが、今まで歌ってきたものも、ほとんど韻を踏んでいるのです。これを機会に復習の兼ねて今までのものをおさらいしてみましょう。

続きを読む "Hush Little Baby
お眠り赤ちゃん" »

2006年03月24日

Comin' Thro' the Rye
故郷の空

まず、明治21(1888)年に唱歌(昭和16(1941)年から音楽と呼ばれるようになりました)の教科書に載った大和田建樹の歌詞から見ていただきましょう。

故郷の空(作詞:大和田建樹)1888

夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠し 故郷の空
ああ、わが父母いかにおわす。

澄みゆく水に 秋萩垂れ
玉なす露は すすきに満つ
思えば似たり 故郷の野辺
ああ、わが兄弟誰と遊ぶ。

私は、昭和24(1949)年、小学5年の音楽の授業で歌いました。スコットランド民謡となっていましたから、しばらくの間、鈴虫も秋萩もスコットランドの風物だとばかり思っていました。実は、スコットランドの国民詩人といわれるロバート・バーンズの有名な詩にかの地で古くから伝わるメロディーをつけたものでした。内容は、「故郷の空」とは何の関わりもありません。「誰かさんと誰かさんが麦畑」が近いです。ライ麦畑で、若い男女が入り乱れて、さしづめ今でいう合コンをやっている、ずいぶん変わったというか、なんとも愉快な歌ですね。スコットランド方言がいくつかありますので、少し説明しておきましょう。はじめから、gin=given=if, lassie=girl, laddie=boy, nane=none, ha’e=have, a’=all, frae=from, swain=shepherd boy, hame=home, na=not, などと直して歌うこともありますが、ここではあえて原文のままにしました。発音についても、town は「タウン」より「トゥーン」、これと韻を踏む frown も「フラウン」より「フルゥーン」に近い音になります。
最後に、原詩に近い訳を載せておきましょう。

ライ麦畑をやって来て(訳:三宅忠明)

だれかがだれかに、ライ麦畑で、
キスをしている、いいじゃないの。

    繰り返し
    私にゃお相手いないけれど、
    そのうち出来るよ、
    ライ麦畑で。

町からいい男やって来て、
ナンパしている、いいじゃないの。

とうとう見つけた、ヒツジカイ、
名前や住まいはどこなんだろう。

続きを読む "Comin' Thro' the Rye
故郷の空" »

2006年03月17日

Auld Lang Syne
蛍の光

「蛍」作詞:稲垣千穎(ちかい) (明治唱歌集、1881)

蛍の光 窓の雪
書を(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も 杉の戸を
明けてぞ今朝は 別れ行く

止まるも行くも 限りとて
かたみに思う 千万(ちよろず)の
心のはしを ひとことに
さきくとばかり うたうなり

筑紫のきわみ みちの奥
海山遠く 隔つとも
その真心は 隔てなく
ひとつに尽くせ 国のため

千島の奥も 沖縄も
八島のうちの 守りなり
至らぬ国に 勲(いさお)しく
つとめよわが背 つつがなく

 初めて日本に入ってきたスコットランド民謡のひとつです。「朝日は昇りて世を照らせり」で始まる賛美歌の歌詞もあり、宣教師がもたらしたという説もありますが、「蛍の光」として正式に教科書に載ったのは明治14(1881)年のことです。学校の卒業式で歌われだしたのはいつのころからかはっきりしませんが、この歌詞を見る限り、1、2番はともかく、けっして卒業生を送り出す歌ではありませんね。大意は次のとおりです。書を読み努力を重ねてきて、平和な時代であれば心行くまで好きな学問に打ち込めたはずの若い夫が徴兵され、突如別れて行くことになりました。思いは尽きないけど、ただただご無事でと願うばかりです。任地は九州になるか東北になるか、はたまた、もっと遠い千島になるか沖縄になるか分かりませんが、国のために一心に働いてくださいませ。わが背とは、もちろん夫のことです。当時の国際情勢、日本のおかれていた立場などがうかがえる内容になっています。
 ロバート・バーンズが書いたといわれるもとの歌詞は、久しぶりに再会した友とその喜びを分かち合い、昔を懐かしみながら、祝杯をあげようというものですから、まったく別の意味ですね。
 話しは少し変わりますが、スコットランドには世界一がたくさんあります。世界一の都はエディンバラ、世界一のお城はエディンバラ城、世界一の山はベン・ネヴィス、世界一の風景はエティーヴ湖、世界一の国はスコットランド、世界一の民族はスコットランド人、さらに世界一の水、これで造るスコッチ・ウィスキーは当然世界一のお酒です。さらに、世界一の愛国心、世界一の帰属意識、このように数え上げて行くと際限がありません。しかし、こういった意識が持てるスコットランドの人たちはある意味でとても幸せだと思いますね。当然、世界一の詩人はロバート・バーンズですが、世界一愛され、世界一多くの人に歌われた歌は、このAuld Lang Syneだと聞かされた時には、妙に納得したものです。文字どおり世界中の言葉で歌われ、韓国では愛国歌に、モルディヴ共和国ではかつて国歌になっていたほどですから。
 では最後に原詩の意味を書いておきましょう。

  なつかしい昔(訳:三宅忠明)

  昔なじみは忘れられ、
  心に戻っては来ないのか。
  昔なじみは忘れられ、
  昔の日々とおんなじに。

     繰り返し
     なつかしい昔の日々のため
     友情の杯を交わそうよ。

  ふたりで丘を駆け回り、
  綺麗なヒナギク摘んだよね。
  どこまでもどこまでも彷徨って、
  脚が棒みたいになったよね。

  日が昇ってから、昼過ぎまで、
  小川でバシャバシャやったよね。
  近くで海がごうごうと、
  大きな波音立ててたね。

  さあ、握手だ、君の手も
  しっかりと握らせておくれ。
  そしてよろこびの一杯を、
  たがいに酌み交わそうじゃないか。

続きを読む "Auld Lang Syne
蛍の光" »

2006年03月10日

Mary Had a Little Lamb
メアリさんのヒツジ

 「メリーさんのヒツジ」として有名ですが、正しい発音は「メアリさんのヒツジ」ですね。
マザーグースの唄の中でも特に人気のあるもののひとつです。ストーリーになっているのが人気の秘密のようにも思えますね。メアリさんの子ヒツジが学校についてきて、子どもたちは大喜び。だけど、校則違反だから先生が追い出します。子ヒツジは辛抱強くメアリさんが出てくるのを待っています。不思議に思った子どもたちが尋ねます。「どうして子ヒツジは、こんなにメアリさんを好きなの」先生は「それはね、メアリさんも子ヒツジを好きなからよ」と答えます。何気ないやりとりのようですが、実は大切な人間生活の真理を含んでいるのです。だれかを好きになれば、相手も好きなるのが普通です。こちらが嫌えば、相手も嫌います。幼い頃からこの唄に親しんできたイギリスの子どもたちが、どれほどいじめから救われたか、考えさせられたものです。
次に、歌い方の注意点を申しあげておきましょう。

Mary had a little lamb, little lamb, little lamb,
Mary had a little lamb,
Its fleece was white as snow.

の音が立て続けに出てきますので、Mary との対比に気をつけて、音をマスターしましょう。比較的歌いやすいと思いますよ。
And everywhere that Mary went, Mary went, Mary went,
And everywhere that Mary went,
The lamb was sure to go.

 最初の And、および that, The, was, to をごく弱く発音することがコツです。しかし、that, Theでは、軽く舌を噛むことをお忘れなく。当然他の音は強く、かなりはっきりと発音します。最後の行などは、t lamb w sure t go. と聞こえるくらいです。
It followed her to school one day, school one day, school one day,
It followed her to school one day,
That was against the rule.

 問題は、followed の発音です。最初の音節にアクセントがあることは初めから決まっていますから、歌だからといって移動させてはいけません。必然的に、It, -lowed, to は弱くなります。i followda t sch won day (ィ、フォロダ、タ スクー、ゥワン ディ) のように聞こえます。
It made the children laugh and play, laugh and play, laugh and play,
It made the children laugh and play,
To see a lamb at school.

 先頭の ItTo をいかに弱く発音するか、がコツです。間違っても、トゥー、シー、ア、ラム、アト、スクールなどと同じ強さで発音してはいけませんよ。See, lamb, school、以外はほとんど聞こえないくらいになるのです。
And so the teacher turned it out, turned it out, turned it out,
And so the teacher turned it out,
But still it lingered near.

 最初の2行で繰り返される、turned を利用してしっかりと、あいまい母音の練習をしましょう。聞こえないくらい弱いのは、And But です。
And waited patiently about, patiently about, patiently about,
And waited patiently about,
Till Mary did appear.

 先頭の And Till をごく短く弱く発音します。もうひとつは、patiently about を一気に歌うことです。
Why does the lamb love Mary so, love Mary so, love Mary so?
Why does the lamb love Mary so?
The eager children cry.

 最初のタンタタンで、Why does the lamb まで歌ってしまいます。あとはスムーズに歌えますね。
Why, Mary loves the lamb, you know, lamb, you know, lamb, you know,
Why, Mary loves the lamb, you know,
The teacher did reply.

 同じ Why でも前のものとは、品詞も意味も違いますよ。この Why は、疑問詞ではありませんね。「そうね」くらいの意味で、間投詞といいます。従がって、前のものとはずっと弱く、ほとんど聞き取れないような音になります。

続きを読む "Mary Had a Little Lamb
メアリさんのヒツジ" »

Ten Little Indian Boys
十人のちっちゃなインディアンの子

おなじみの「10人のインディアン」です。
まず、 1から10までの数え方を練習しましょう。
One, Two, Three, Four, Five, Six, Seven, Eight, Nine, Ten!
今度は逆に数えてください。
Ten, Nine, Eight, Seven, Six, Five, Four, Three, Two, One!
発音で気をつけるのは、Four, Five, Seven F V の音、それにThree Th の音ですね。3はけっして「スリー」じゃあありませんよ。Th の音は上下の歯で舌先を噛みながら発します。日本語にはない音ですから特に気をつけてください。Think, Thing, Thank,なども同じです。これが濁ったのが、This, That, They,などです。
もうひとつ、最後の boy にだけ s がついていませんね。なぜだか分かりますか?インディアンがひとりだけだからなのです。二人以上になりますと s がつきます。これ(2以上の数)を複数形といいます。one (a) boy, one (an) apple, one (a) book, two (three・・・) boys, two (three・・・) apples, two (three・・・) books のように使います。
なお、インディアンというのはもともとインド人という意味です。インド人でもないのに、アメリカ先住民がインディアンと呼ばれたのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、ここをインドだと思ったのがはじまりだと言われていますが、実のところは分かりません。最近では、なぜかこの呼び方にクレームがつくことがあり、kitties, chickens, monkeys などに代えて歌うこともあるようです。でも、何に代えようと、Indiansにまさる面白さはないでしょう。では元気に歌ってみましょう!

続きを読む "Ten Little Indian Boys
十人のちっちゃなインディアンの子" »

2006年02月20日

英語習得の4つのステップとみやけ理論

flow

これを何度も繰り返していくうちに正しくきれいな英語が身についていきます。 耳から音として入った記憶は簡単に消えません。 日本語は高低の違い、英語は強弱の差で単語を聞き分けます。 日本語と違って、英語は、朗読と歌で発音が変わることはあり得ません。 歌で覚えた英語はリズム、イントネーションともに正確ですから大きな満足感、達成感、自信につながります。さぁ、ご一緒に勉強しましょう。
ポッドキャストはこちらから!