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2008年05月01日

Twinkle Twinkle Little Star
きらきら星

メロディーは前に覚えたABC の歌と同じですからすぐにでも歌えますね。全世界で親しまれてきた、あまりにも有名な童謡です。おなじみの『マザーグースの唄』にも載っています。ところが、この歌の起源がフランスであることは余り知られていません。歌詞は以下のとおりです。


Ah! vous dirai-je,maman


Ah! vous dirai-je, maman,
Ce qui cause mon tourment!
Depuis que j’ai vu Silvandre,
Me regarder d’un oeil tender,
Mon coeur dit a chaque instant:
Peut-on vivre sans amant?


L’autre jour dans un bosquet,
De fleurs il fit un bouquet:
Il en para ma houlette.
Me disant belle brunette,
Flore est moins belle que toi:
Lamour moins tendre que moi.


ああ、母さん、聞いてほしいの


ああ、母さん、聞いてほしいの、
わたしの悩みの原因を。
わたしがシルヴァンドレに会い、
あの優しい瞳で見つめられたときから、
ずっとわたしは思うの、
恋人なしで生きて行けるだろうかって。


あの日森の中で、
彼は花束を作り、
わたしの頭にかけながら、
きれいなブルネットだねって言ったのよ。
花の女神フローラよりきれいだねって。
そしてだれよりも君が好きだよって。


 このような恋歌の歌詞を替えることによって、関心を天空に向けたという点が、この歌のすごいところだと思います。単純そうに見える歌詞の内容もじつに深いものを含んでいるのです。夜空の星を眺めながら、あの正体はいったい何だろう、と不思議に思う気持ちこそ学問研究の第一歩ではありませんか。前にも言いましたが、アインシュタインの相対性理論も、そこから発見されました。彼は、幼児の頃抱いた天空への驚き夢を成人するまで持ち続けたことが、この世紀の大発見につながったと言っています。西暦1905年のことですから、もう100年以上も前のことです。
 また、英語のリズムには、アイアンビック(Iambic)と呼ばれる弱強調と、トロケイック(trochaic)という強弱調のふたつがあります。この歌は、その強弱調のリズムを備えた典型的なものですから、英語学習の第一歩として朗読し、歌うのに最適でしょう。かつての中学英語教科書には低学年のものに必ず載っていました。
How I wonder what you are!「あなたが何物か、私はどんなに不思議に思うことでしょう!」が、この歌のキーワードですが、これは感嘆文といって、意味を強めるときに用いる表現です。How I like English! 「どんなに英語が好きなことでしょう!⇒英語が大、大、大好きです」How pretty this flower is! 「この花はなんてきれいなのでしょう!」のように使います。感嘆文はこれから何度もでてきますから、そのうちに自分のものになるようにしましょうね。

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2008年04月25日

ABC Song
ABCの歌

ある人とこんな話をしました 。

「近所にイギリス人の宣教師が越してきたので、英語を教えてくれと頼んだら、いいよというので出かけて行ったのですよ。
ところがですね、いきなりABCからやろうというじゃあありませんか 。冗談じゃないでしょ、ABCからなんて 。
じゃあ、いいですといって帰ってきましたよ」

「あなた、ABCの歌、歌えますか」

「歌えますとも 。中学のときよく歌いました 。今でもちゃんと覚えてますよ」

「じゃあ、歌ってみてください 。英語でですよ」

エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、エッチ、アイ、ゼー、ケー、エル、エム、エン、オー、ピー、キュー、アール、エス、ティー、ユー、ブイ、ダブリュー、エックス、ワイ、ジー、 ・ ・ ・

「あなたね、その牧師さんは最高の先生だったかも知れませんよ 。惜しいことをしましたね」

そのひとは、とてもけげんそうな顔をしています 。みなさんは、私の言ったことばの意味が分かりますね 。


英語音を日本語のカタカナで正確に表すことは出来ませんが、このひとの発音は、
GZも「ジー」なのです。


それより前に最初のAを「エー」と発音するのを聞いたとたんに、このひとが発音に無頓着なことが分かりました。
英語ではe〕の音が、音引き(長音)になることは、絶対にないのです。
だから、KJも「ケー」や「ゼー」ではありません。
これらは、二重母音といって、「エィ」「ケィ」「ジェィ」を一音として発音するのです。
同様に、「メール」「エース」「テーブル」なども、英語音としてはとても変に聞こえます。
どちらかといえば「メィル」「エィス」「ティブル」に近いですね 。ではシェークスピアはどうなりますか? そう、シェイクスピアですね。
Cは「シー」ではなく「スィー」です。
それが濁ったのがZですから、「ズイー」くらいになります。Gとはずいぶん違いますね。
もっともこれはアメリカ音でイギリスでは「ズエッド」に近い発音をします。
これ以外にも、J,L,R,V,などは日本語にない音ですから、注意を要しますよ 。

では、まず発音練習してから、元気よくみんなで歌ってみましょう!

A-Zまでの歌い方はふたつありますが、日本では(1)(3)が、英米では(2)が一般的のようです。
みなさんはどちらが好きですか。
Zまで歌ったら、(1)、(2)、(3)の後半のどれかを付け加えて終わりにしましょう 。
(3)の happy shall we be は、we shall be happy の語順が入れ換わったものです 。
意味を強めるための倒置法といって高等学校レベルの表現ですが、みなさんは覚えられますね 。

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2008年03月03日

Aloha Oe
アロハ・オエ

訳詞:徳山たまき


優しく 奏ずるは
ゆかし ウクレレよ
ハワイの波静か
夢を乗せて揺るる


アロハ・オエ アロハ・オエ
こだまする あの調べよ
アロハ・オエ アロハ・オエ
さらば ハワイよ


おとめの 掻き鳴らす
うれし ギターレよ
果てなき海越えて
遠く遠く響け


アロハ・オエ アロハ・オエ
こだまする あの調べよ
アロハ・オエ アロハ・オエ
さらば ハワイよ


ハワイ王朝最後の女王リリウォカラニ(1838−1917)の作詞・作曲と伝えられていますが、この英訳者(一部原作者)は不詳です。リリウォカラニはその高い教養と博識のために多くの住民の信望を集め、1898年にハワイがアメリカ合衆国に併合されたあとも、生涯女王として慕われ続けました。そして、その死後もこの歌は多くの人に歌い継がれ、今日では広くハワイを代表する民謡と考えられています。「アロハ・オエ」とは、現地語で「さようなら」を意味しますが、反乱者として捕らえられた200名の命と引き換えにイオラニ宮殿を明け渡した女王の、前王であった亡き兄、国民、そして国に対する、万感の思いが込められているように思えます。もっとも、女王が霊感を受けたのは1870年代のある日、別れを惜しんで接吻を交わす恋人同士の姿を見て、とされていますから、上の解釈はその後のハワイの歴史を反映したものです。
日本語の歌詞はたくさんありますが、上の訳詞は戦時中から藤山一郎たちと並んで人気を博した徳山たまき(1903−1942)によるものです。これ以外では堀内敬三、伊庭孝のものがよく歌われるようです。

liko「リコ」、ハワイ特有の山花、数枚の肉厚の緑の葉の中に小さな白い花をつける。ahihilehua「アヒヒレフア」、ハワイの渓谷に見られる潅木。Aloha Oe、英訳ではFarewell to thee「さらば、きみ」となっていますが、ここではあえて馴染みの深い「アロハ・オエ」と歌ってみました。bowers「木陰」、One fond embrace「心を込めた抱擁をもう一度」、embrace、恋人同士の接吻を伴う抱擁。肉親や友人との抱擁は、hug。hug and kissとはよく言いますが、embrace and kissとは言いません。thou art mine own=you are mine(my) own。I have seen and watched your loveliness, The sweet rose of Maunawili「マウナウィリのバラ」と「きみ」をかけました。'tis there=it is there that…(強調構文です)。

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2008年02月21日

School Days
小学校時代

 1950年代、平川唯一先生のあとを継いだ松本亨先生担当のNHKラジオ英語会話番組のテーマソングでした。最初のころしばらくの間、合唱の曲が流れたあと、松本先生が歌詞を何度か朗読し、解説されたのを、高校生になったばかりだった私は、今でもはっきりと覚えています。‘Golden Rule'とは「黄金律」といい、このサイトでも以前に紹介していますが、同名のスクール・ソング(または賛美歌)があります。日本では「旅泊」ないし「灯台守」として知られています。参考にしてみてください。「自分にしてほしいことを他人に対してしなさい」との教えで、人間が平和で幸せな生活を送る上でもっとも崇高な掟なのです。次の行の「読み、書き、算術」は、洋の東西を問わず、勉学の基本ですね。先生がヒッコリーの鞭を振りながら楽しそうに授業をされている様子が目に浮かびます。もっとも、いたずらっ子や怠慢な生徒にとっては、一転して体罰の道具にかわるヒッコリーの鞭は恐怖の対象でもあったようですが。
 さて歌のほうは、「はだしのはにかみやだったぼくにとって、キャラコの服を着た女王様」だったきみがぼくの石版に「大好きよ」と書いてくれた、幼いカップルだった頃のなつかしい思い出で締めくくられます。まだノートもエンピツもない時代、こどもたちは各自石版を持って学校に通い、その上に蝋石で文字や絵を書いていました。そんな時代から、こどもどうしが “I love you”などと言い合う、アメリカってすごい国だなあ、と思ったものです。
 お断りしておきますが、実はこの歌には、

Nothing to do, Nellie Darling,
Nothing to do you say,
Let's take a trip on memory's ship,
Back to the bygone days.
Sail to the old village school house,
Anchor outside the school door,
Look in and see,
There's you and there's me,
A couple of kids once more.
【大意】することがないなら、ネリーちゃん、思い出の舟(タイムマシン)に乗って、あの村の小学校時代に帰ってみようよ。校舎の入り口の外に錨をおろし、教室をのぞいてみるんだ。ほら、きみがいる、ぼくもいる。もう一度こどものカップルに戻れたね。

 という余り歌われない本体があるのですが、ここでは多くの人に特に人気のあった繰り返し(または、コーラス)部分のみを紹介しました。
to the tune of「…の調子を合わせて」、前置詞to「…に合わせて」に注意。a hickory stick「ヒッコリー(北米産のクルミ材の一種)の鞭」、昔の先生は鞭を振って調子を取りながら授業をしました。「スズメの学校」の先生も、鞭を振り振りチーパッパ、と授業していましたね。in calico「キャラコ(アメリカでは、きれいな花や鳥の模様のついた綿布、イギリスでは白い無地の服)を着た」、ここではアメリカの歌ですから無論前者です。前置詞in「…を着た、…を身につけた」に注意。beau「ダテ男、(男の)恋人」、発音に注意。slate「石版」、かつては、この上に蝋石で文字や絵をかいていました。“I love you so.”は初版では、“I love you Joe.”となっていました。

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2008年02月08日

Mollie Darling
冬の星座

 「木枯らし途絶えて、冴ゆる空より、地上に降りしく、奇(くす)しき光りよ、ものみないこえるしじまの中に、きらめき揺れつつ、星座は巡る」(堀内敬三)と歌われる「冬の星座」(『中等音楽』(一)、1947)の元歌です。原曲は、「故郷の廃家」(My Dear Old Sunny Home)と同じへイズ(William Shakespeare Hays, 1837-1907)が1872年に作詞・作曲しました。そして、印刷した楽譜が発売されるや、空前の売れ行きを示し、その総数はなんと300万部にも達したそうです。現代ならさしずめシングルのCDが何千万枚も売れたことに匹敵する大ヒットとなったのです。詩人であったヘイズはフォスター(Stephen C. Foster, 1826-1864)より9歳年下でしたが、早世したフォスターと入れ替わるように、1860年代から作曲を始め、生涯で300曲余りを世に出しました。その中でもっとも人気のあったこのMollie Darlingは代表作中の代表作と言えるでしょう。日本にも明治期から導入されていましたが、最初に歌われたのは、次のような歌詞でだったそうです。


他郷の月  ヘイズ 1872  作詞:中村秋香 1911


よくと悦ぶ父母の君
あれ姉上と駈け来る妹
恋しき我家に嬉しや今
帰ると見しは夢なりけり


宵の時雨は跡なく晴れて
傾く月に雁鳴き渡る
あはれあの雁もまたわがごと
別れや来つるその故郷
(金田一春彦・安西愛子・編『日本の唱歌』(中)、講談社、1977、320)


 さて、原詞ですが、内容は上のいずれとも関係ありません。愛する喜びだけを歌った、とても単純な恋歌です。「ぼく以外は誰も愛さないで」とか「君はこの世のすべて」だとか、「きみの小さな手を握らせてくれ」などと、出だしでは特別な思いはそれほど語られません。2番に入って、星や花や月が登場し、やっと少し詩的な雰囲気が出てきます。3番の最初に、「心は痛むけど、きみと別れなければならない」(I must leave you…Tho' the parting gives me pain;)という言葉が出てきますから、あるいは失恋の歌かと思ったら、次に続く文句で近いうちにまた会える状態にあることがわかります。昔、「今夜はこれでさようなら…明日の晩も会えるじゃないか」と歌う演歌があったのを思い出しました。それにしても、このような恋歌に、オリオンやスバル、北斗の針、を登場させる堀内敬三さんの感性、想像力はすごいと思いませんか?もっとも、私には、このサイトでもすでに紹介した杉谷代水の「星の界(よ)」(What a Friend We Have in Jesus)にヒントないし刺激を受けているように思えてなりません。なお、原曲には少し節の変わるコーラス部分が繰り返されますが、上の日本語歌詞ではいずれもこの部分は省かれています。原曲どおりに歌われるのは、ことによったら、このサイトが日本で初めてかも知れませんね。
語句の解説はほとんど必要ないでしょう。none else but me=no other men except me、all the world=everything、mine=my hands、thine=your heart、Let you answer be a kiss.以前に、英語が平易だからというので中学の教材にしょうとしたら、kissという単語があるから、教育的でないとのチェックが入ったことがあるそうです。Thro' the mystic vail of night=Through the mystic veil of night、Luna= the moon、Happy may you ever be=May you ever be happy「君がいつも幸せでいますように」(祈りの表現)

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2008年01月28日

My Dear Old Sunny Home
故郷の廃家

故郷の廃家  作詞・作曲 ヘイズ 1871 訳詞:犬童球渓 1907


幾年ふるさと、来てみれば、
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変わらねど、
荒れたる我が家に、
住む人絶えてなく。


昔を語るか、そよぐ風、
昔をうつすか、澄める水、
朝夕かたみに、手をとりて、
遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
さびしき故郷や、
さびしき我が家や。
(『中等教育唱歌集』、1907)


原曲を作詞・作曲したウィリアム・シェイクスピア・ヘイズ(William Shakespeare Hays, 1837-1907)は、本名を名乗るのが気恥ずかしかったのか、いつも「ヘイズ」の方を名乗っていたそうです。なお、日本では「ヘイス」と呼ばれることが多いようですが、正確には「ヘイズ」と最後のは濁ります。日本語の作詞者は、「旅愁」(Dreaming of Home and Mother)と同じ犬童球渓(1879−1943)です。「旅愁」の解説のところでも述べました生徒たちによる反乱という犬童の体験がこの曲にも反映されているような気がします。当時、新潟の女学校にあって、遠く離れた故郷熊本の我家を想像したものでしょう。以下は語句の解説です。
mocking bird「モノマネドリ」、歌詞に登場する鳥のなかでは恐らくベスト3に入るでしょう。magnolia「マグノリア、木蓮」、Mississippi州のことをthe Magnolia Stateと呼ぶことがあります。E'er=Ever、to以下を強調します。cottage「田舎の家、農家」、Sing, alas, no more.「ああ、悲しい、もう二度と歌わない」、Since I cross'd the foam「大洋を渡って以来」、the foam=the ocean、Other forms=Other persons、Brings to mem'ry thoughts of loved ones「懐かしい人々を思い出させる」。

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2007年12月20日

Aura Lee
オーラ・リー

半世紀ほど前にエルビス・プレスリーが、'Love me tender, love me sweet, never let me go'と歌う「ラブ・ミー・テンダー」が世界的に大ヒットしましたね。まだテレビはそれほど普及していませんでしたから、私たちの記憶では、ラジオから流れてくる彼の歌声だけでしたが、それこそラジオをつけさえすれば聞こえてくるといった感じでした。最近になってこれには元歌があったことを知りました。19世紀半ばにやはりアメリカでヒットしたこの「オーラ・リー」です。南北戦争の頃、兵士たちのあいだで盛んに歌われていたそうです。オーラ・リーは19世紀はじめに実在した女性で、学校の教師だったという説がありますが、兵士たちは故郷に残してきた恋人を彼女に重ね合わせたのかも知れませんね。
以下は語句の解説です。blackbird「ムクドリモドキ」(米)、'neath=beneath、willow tree「ヤナギの木」(失恋の象徴とされることがあります)、pip'd=piped、pipe「(鳥が)甲高い声でさえずる」、Aura Lee「オーラ・リー」女性の名前、の音の練習に都合がいいですね。along with…「…とともに」、thee=you(目的格)、'twas=it was、spake=spoke、with sudden splendor break「ぱっと明るく輝いた」。

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2007年12月14日

Rocked in the Cradle of the Deep
たゆとう小舟

たゆとう小舟 1909


訳詞:近藤朔風


たゆとう小舟に 霊能(みちから)たよりて
波の上(え)うらうら 入らばや眠りに
み恵みあまねし まもらせ給(たま)わめ
安らかに眠らな たゆとう小舟に
安らかに眠らな たゆとう小舟に


夜嵐吹くとも 知らずよ愁いは
荒波逆巻き この身は沈むも
久遠(とわ)なる生命は 神こそ給わね
安らかに眠らな たゆとう小舟に
安らかに眠らな たゆとう小舟に


近藤朔風の「たゆとう小舟」は、明治42(1909)年に『名曲新集』に載りました。私は中学の音楽で習いましたが、難しい歌だなという印象でした。原詞を書いたのはアメリカ人の教師で学校経営者のエマ・ハート・ウィラード(Emma Hart Willard、1787−1870)という女性ですが、1831年、ヨーロッパからアメリカに帰国の途中、大西洋上で書いたといわれています。当時のことですから、木造の帆船ですね。台風やハリケーン(大西洋)の発生状況も進路も分らぬ時代ですから、船客にとって暴風に出会うということは、大変な衝撃と不安にさいなまれる出来事でした。当然死を覚悟しなければならなかったでしょう。すがるものといえば、神のみです。以前に紹介した「アメージング・グレース」(Amazing Grace)を作詞したジョン・ニュートンも奴隷船の船長をしていたとき、難船し神に祈りました。祈りが通じて救われたと思った彼は、回心して聖職者になりましたね。この主人公もきっと神に祈りながら、この詩を書いたことでしょう。
朔風の訳詞は大分雰囲気こそ違いますが、作者の思いは十分伝わってきます。語学の天才であった朔風の面目躍如といったところです。曲をつけたのはイギリス人のジョセフ・P. ナイト(Joseph P. Knight,1812-1887)ですが、歌詞が書かれた数年後のことです。これが機縁となって、ナイトはしばらくウィラード女史の経営する学校で音楽教師を勤めたそうです。以下は語句の解説です。
Rocked in the cradle of the deep「海原に浮かぶ揺りかごに揺られて」、神にとっては大きな船も小さな揺りかごも同じ、というわけです。I lay me down=I lie down、lie(自動詞)とlay(他動詞)それぞれの用法と活用に注意。なお、I lay me down in peace to sleepは聖書(旧約)からの引用です。Secure「安心して」、slight「軽んじる、ないがしろにする」、call「(救いを求めて)呼ぶ声」、mark「気に留める」、in the dead of night「真夜中に」、trackless「境目のない」、The star-bespangled heavenly scroll「星を散りばめた天の絵巻き物」、I feel thy wondrous power to save From perils of the stormy wave「嵐の海の危険から救う驚くべき神の力を感じる」とは、航海中に嵐に遭っても、神を信じてこの身を委ねようと言っているわけです。such the trust that still is mine「私はなおも固く信じている」、the tempest's fie'ry breath「嵐の猛威」、 Rouse me from sleep to wreck and death「眠りから覚まし、難船と死に導く」、In ocean cave「大洋の祠(ほこら)、片隅」、The germ of immortality「不滅の兆し」。

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2007年10月25日

Her Bright Smile Haunts Me Still
暗路、ホトトギス

暗路(やみじ)、または、ホトトギス  1909


作詞:近藤朔風(1880−1915)


おぐらき夜半(よわ)を ひとり行けば
雲よりしばし 月はもれて


ひと声いずこ 鳴くホトトギス
見かえるひまに 姿は消えぬ


夢かとばかり なおも行けば
またも行く手に 暗(やみ)はおりぬ


秋夜懐友  1914


作詞:犬童球渓(1879−1943)


たなれのおごと ともにかきなで
すみゆく月を めでしも今は
夢とすぎつつ 友また遠く
われのみひとり 淋しき窓に
変わらぬ月を 眺めぞあかす
とわたるカリよ 思いを運べ


はしいの夕べ 手をとりかわし
行く末までも 今宵のままと
誓いしものを その友今は
海山遠き かなたの里に
なきゆくカリを いかにか聞ける
み空の月よ 俤(おもかげ)うつせ


 「暗路(やみじ)、または、ホトトギス」という題で小6(1950)の音楽で習いました。「おぐらきよわを」って何のことだろう、などとは思いもしないで歌っていましたね。大柄で赤ら顔のテングというあだ名の先生がまず歌ってきかせました。そのときの先生の表情、仕草、大声、を60年近くたった今でも覚えています。それだけではありません。級友たちの席順、動作、ざわめきなども目に浮かぶのです。音楽には確かにこのような効果がありますね。愛唱歌に出会ったときの記憶、印象は生涯消えません。それを取り巻く環境も覚えていますから、大げさではなく、日記にも勝る人生の記録といえるでしょう。
 原曲は、イギリス人のライトン(W. T. Wrighton,1816−1880)作曲、カーペンター(S. E. Carpenter)作詞の恋歌というか、亡くなった恋人の姿が、その明るい笑顔が、どこにいても、四六時中ぼくに取り付いて離れないと歌う失恋の歌です。1857年頃の作と伝えられていますが、わが国では近藤朔風(1880−1915)の「暗路(やみじ)または、ホトトギス」が1909年に『女声唱歌』に、犬童球渓(1879−1943)の「秋夜懐友(しゅうやかいゆう)」が1914年に『尋常小学唱歌(6)』に載りました。先に述べましたように朔風の「暗路」は少なくとも20世紀後半までは日本中の学校で歌われていました。朔風は語学に堪能で、原詞の意味を出来るだけ伝えようとした、いわゆる翻訳歌詞の草分けと考えられていますが、ここではいずれの歌詞ももとの恋歌とは関係ありません。では少し原詞の解説をしておきましょう。
  'Tis years since last we met=It is (many) years since we met last「最後に会ってから何年も過ぎた」、may not=can not、struggled to…「…しょうと苦労する、もがく」、was in vain「無駄だった」、spirit「面影、姿」、もとの意味は「亡霊」ですが、恋歌には余りなじみませんね。at will「思いのままに」、haunts「離れない」、もとの意味は「つきまとう」で前のspirit「亡霊」に対応しています。first sweet dawn of light「夜明けの淡い薄明かり」、the deep「大海原」、Her form still greets my sight「彼女の姿が私の視界に出会う」とは、「彼女の姿が見える=目に浮かぶ」、the stars their vigils keep=the stars keep their vigils「星たちが寝ずの番をしている」とは、「…まだ消えないで空に残っている」こと。aching eyes「痛む目」、Sweet dreams my senses fill=Sweet dreams fill my senses「甘い夢がぼくの五感を満たす」、‘neath alien skies=beneath foreign skies「外国の空の下を」、trod、tread「歩む」の過去および過去分詞。the desert path「砂漠の細い道」、I’ve seen the storm arise「嵐が起こるのを見た」、ariseは原型(toのつかない)不定詞です。Like a giant in his wrath「怒り狂った巨人のように」、ヴァージョンによってはa giantan oceanになっています。a reckless life「捨て鉢な、無鉄砲な人生」、her presence is not flown「彼女の姿は消えない」、presenceは前述のspiritとほぼ同義。flownfly「吹き飛ばす」の過去分詞です。ヴァージョンによってはflownknownになっています。

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2007年10月05日

Home! Sweet Home!
埴生の宿

埴生の宿(作詞:里見義) 1889

埴生の宿も わが宿 
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春の空 
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ 
たのしとも たのもしや

文読む窓も わが窓 
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半 
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ 
たのしとも たのもしや

 里見義(1824−1886)作詞の「埴生の宿」は、里見の死後『中等唱歌集』(1889)に載りました。以後わが国で1世紀以上にわたって愛唱されてきた外国曲のひとつです。当時の日本では、外国曲に原詞から離れた日本語独自の歌詞をつけるのが通例でしたから、上の歌詞は原詞の意味も相当伝えているという点では例外的な少数派でした。原曲は、アメリカの劇作家J. H. ペイン(1792−1852)が書いたオペラの脚本「ミラノの乙女、クラリ」(Clari: or, The Maid of Milan)の中でヒロインのクラリが歌う望郷の歌に、イギリス人のH. R. ビショップ(1786−1855)が曲をつけました。もとのオペラはほとんど忘れ去られましたが、この歌だけが独り歩きし、現在では広くイギリス民謡と考えられています。
昔見た「ビルマの竪琴」という映画の中にこんなシーンがありましたね。第二次世界大戦の最大の激戦地のひとつであったビルマ(現ミヤンマー)で日本兵たちがイギリス軍に包囲されていました。隊長は兵士たちの士気を鼓舞するためみんなで合唱することを命令します。ひとりの兵士が奏でる竪琴の音にあわせて彼らが歌い始めたのが、この「埴生の宿」でした。するとどうでしょう。周りから同じ曲が聞こえてくるではありませんか。イギリス兵たちが英語で歌っていたのです。実は、これにはヒントになった出来事が第一次世界大戦中にありました。詳しくは、本サイトにアップしているO Christmas Treeの解説をご覧ください。
'Mid=Amid「…の中を」、pleasures and palaces「快楽と宮殿」、roam「さまよう、ぶらつく」、Be it ever so humble=Even if it is ever so humble「たとえどんなに貧しくとも」、譲歩表現です。there's no place like home「我が家にまさる場所はない」、likeの用法に注意してください。余談ですが、余りにも有名な文句であるため、時にはふざけて、「我が家ほどひどいところはない」の意で使われることもあるそうです。hallow「神聖なものとして清める」、seek thro' the world「世界中探しても」、elsewhere「他の場所では」、複合語です。cf: anyone elseのときは離します。exile「追放(された)者」、from home「故郷から」、splendour dazzles「輝きがまぶしく光る」とは、人生で成功し贅沢な暮らしをすること。in vain「無駄に、虚しく」、lowly「みすぼらしい」、thatch'd cottage「(粗末な)藁葺きの小屋」、at my call「私の呼び声に答えて」、themは小鳥の歌声。with the peace of mind「心を和ませて」。

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2007年09月21日

Turkey in the Straw(Oklahoma Mixer)
藁の中の七面鳥、オクラホマ・ミクサー

「藁の中の七面鳥」ないし「オクラホマ・ミクサー」として、メロディーを聞いたことのない人はいないでしょう。あるいは、中学高校時代にもっとも人気のあったフォークダンスの曲と言った方が、分かりやすいかも知れませんね。しかし、歌詞つきで歌われることはあまりないようです。さらに、不思議なのは、アメリカ曲であることに間違いはないようですが、フォークダンスの曲として用いられることはまったくないこと、題名になっているオクラホマ州でさえも誰も知らないということです。従がって、ダンス曲として定着したのはどうも日本だけのようです。外国のものだけど、本家本元にはないものといえば、「ラーメン」みたいなものでしょうか。起源に関する説や歌詞にはさまざまなヴァリアントがあるようです。詳しくは、櫻井雅人「藁の中の七面鳥の系譜」(その1)(その2)『一橋論叢』Vol.126. No.3, 224-241, 2001. Vol.127. No.3, 263-276. 2002. を参照してください。ここに取り上げた歌詞は、数多いヴァージョンの中のひとつですが、他のものと同様、内容は意味があるようでない、いわばナンセンスものです。
では、少しだけ語句の解説をしておきます。a-goin'=going、team「(馬車を引く)一組の馬」、leader「先頭の馬」says=say、day-day「ドウドウ(馬に対する掛け声)」、tongue「舌=前に突き出たもの=馬車の長柄(ここでは馬の一団)」、’em=them、Roll「転がす」、twist「捻じる」、A high tuck a-haw「元気のよい掛け声」、hit 'em up a tune called Turkey in the Straw「藁の中の七面鳥の音楽で元気づけてやれ」、Instead of「…の代わりに」、mother-in-law「義理の母、姑、奥さんのお母さん」。

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藁の中の七面鳥、オクラホマ・ミクサー" »

2007年08月31日

Nobody knows the trouble I've Seen

有名な黒人霊歌のひとつです。「わが悩み知り給う、主こそわが神」で始まる津川主一の訳詞はよく知られていますね。黒人たちにとって、過酷な重労働があるだけの奴隷制度の時代から歌われていた、と考えられていますが、記録が現れるのは1865年、現在よく知られている版は、1874年、Hampton and Its Studentsに収録されたもののようですから、南北戦争以後です。生きている意義も見出せない彼らにとっての救いはまさに聖書だけなのだ、という教えは主に北部の反奴隷制運動家(白人)によって広められたという説もあります。いずれにせよ、この教えに忠実に従がったアフリカ系アメリカ人は、ある意味でもっとも敬虔なクリスチャンかも知れませんね。
Nobody knows the trouble I've seen「私が味わってきた悩みをだれも知らない」、バージョンによってはI've seenがI seeになっています。現在完了を使うと「今までずっと見てきた」と、継続の意味が加わりますから、意味もずっと強くなりますね。but=except「・・・を除いて」、ですから「イエスだけが知っている」の意味です。Glory hallelujah!「万歳!」「栄えあれ!」、祈りのことばです。Sometimes I'm up, sometimes I'm down「時には嬉しく、時には悲しい」、upは「高い」「嬉しい」「強い」、downは「低い」「悲しい」「弱い」、のように、ある種精神的な対照をなしています。Oh, yes, Lord!「そうです、主よ!」、Sometimes I'm almost to the ground「時にはどん底近くに落ちます」、天から見れば地面はどん底です。2行前のI'm downから続きます。

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2007年08月03日

Rock-a-bye, Baby
ロッカバイ・ベイビー

イギリス伝承童謡・マザーグースの唄のひとつということになってはいますが、実はアメリカ生まれなのす。唄の歴史はずいぶん古く、1620年のメイフラワー号(The Mayflower)による清教徒の移住時までさかのぼれるそうです。アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の若い母親が赤ん坊を手製の揺りかごに入れて木の枝にぶらさげているのを見た若い清教徒が、この歌詞を地面に書いたのが始まりだといわれています。2番の歌詞からは、本国のイギリスの雰囲気もうかがえますので、移住したとはいえ作者がイギリス人ですから、イギリス伝承童謡に数えられるのかも知れませんね。もちろん、子守唄としても歌われます。私の身近にも、初孫に歌ってやりたいからと、この唄をいっしょうけんめい練習している新米のおばあちゃんがいますよ。
Rock-a-bye「ゆらりゆらり」、以前はHush-a-byeと歌われていた時期がありました。rock「揺れる」、動詞です。bough「大枝」、これに比べて小さな枝はbranchです。down will come baby=baby will come down=fall、倒置表現です。nobleman「貴族」、lady「貴族の夫人」、cf: ‘Ladies and gentlemen'という呼びかけをよく聞きますが、Ladiesは女性だから先にくるのではなく、同じ貴族でもgentlemenよりランクが上だからなのです。Ladiesの男性形はLordsです。wears a gold ring「金の指輪をはめる」、wearは「身につける」の意味ですから、wear a ribbon、wear shoes、おもしろのは、He wears a mustache.「彼は口ヒゲをはやしている」、のように用いられます。drums「ドラム(太鼓)を打つ」、これも動詞です。

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2007年07月20日

I've Been Working on the Railroad
線路は続くよどこまでも

「線路は続くよどこまでも」(線路工夫の歌)はもう100年以上歌い継がれてきたアメリカの労働歌(民謡の一種)です。19世紀半ばのアメリカは、南北戦争などあり動乱の時代でしたが、西部への開拓がもっとも進んだ時代でもありました。それを象徴する大きな出来事のひとつが、大西洋岸から太平洋岸に達する大陸横断鉄道の建設です。南北戦争後まもない1869年に開通しましたが、この労働に携わったのは主としてアイルランド系の移民であったといわれています。彼らは自国の大飢饉(1845−48)のため大挙して新大陸に移住してきたのですが、情熱的なところと陽気なところを持ち合わせていました。そのせいか、歌詞にもメロディーにもそれがうかがえますね。最近英語教育が導入されたある小学校の低学年でこの歌を歌わせたら生徒たちにとても人気があったそうです。
語句で気をつけたいのは以下のような表現です。I've been working「… 働き続けてきた」、現在完了進行形で、動作の継続を表わします。on、「〜の一員として、〜に従事して」、前置詞にはじつにさまざまな意味があります。この他にも、to、for、of、in、atなど一度辞書で丹念に調べてみたいものです。All the livelong day「一日中」、livelong「うんざりするほど退屈で長い」、Just to pass the time away「ただ時間を過すために」、whistle「汽笛」、captain「親方」、Dinah「ダイナ」、汽車の名前、仲間、親方、はては女友達の名前などと、いろいろな解釈があるようです。下の訳詞は、久し振りに歌えるように訳してみました。英語、日本語、交互に歌ってみてください。

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2007年07月13日

Shenandoah
シェナンドー

初出は1882年(W. L, Alden.”Sailor Song”)ですが、曲そのものは船乗りの歌として19世紀初頭から歌われていたようです。西部劇映画「ブラボー砦の脱出」(1959)の挿入歌として歌われ一躍有名になりました。「シェナンドー」とは、河の名前、渓谷の名前、など数種の解釈がありますが、アメリカインディアンの酋長とするものが一般的のようです。その娘に恋した開拓者(商人、船乗り、などとするものもあります)の白人男性の気持ちを歌ったものだと言われています。多くの西部劇を見ると、当時の原住民とヨーロッパ移民はとても仲が悪く、殺伐な殺し合いばかりしていた印象を受けますが、同じ人間ですから、この歌のような恋があっても何の不思議もありません。そういえば、このサイトで紹介した「レッド(赤い)河の谷間」(The Red River Valley)も白人男性に恋したインディアン娘の歌でしたね。なお、ミズーリ河とはミシシッピー河最大の支流で、セントルイスから分かれてロッキー山地に達する大河です。地図で確かめながら、開拓時代のアメリカに思いを馳せてみてください。
語句の解説です。long to「・・・することを切望する」、Away you rolling river「なんじ、とどろく河の向こうで」、we're bound away「我々は別れねばならない」、'Cross the wide Missouri=Across the wide Missouri「広いミズーリ河を渡って」、Farewell my love「さらば、恋人よ」、I'm bound to leave you「お前をおいて行かねばならない、お前と別れなければならない」。

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2007年06月29日

When the Saints Go Marching in
聖者の行進

「聖者の行進」ないし「聖者が町にやってくる」などとしてとてもよく知られた曲ですから、メロディーを聞いたことのないひとはいないでしょう。20世紀最高のジャズの王様と呼ばれた通称サッチモ(Satchmo)こと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901-1971)のトランペット演奏と歌唱で有名になりました。もとは19世紀末に、ニューオーリーンズ(New Orleans)の黒人たちが仲間の葬式のとき歌い始めたらしいと言われますから、アメリカ民謡としましたが、黒人霊歌(Black Spiritual)、ないし賛美歌(Hymn)に数えてもよいかも知れませんね。ただ、教会で歌われることはほとんどないようです。先のサッチモのジャズによる演奏と歌唱は、第2次世界大戦の始まる前の1938年に世に出ました。当初、神聖な宗教歌をジャズにするとは何事か、冒とくするのもはなはだしい、などという批判の声もあったそうですが、そんな声は市民の圧倒的な支持のもとにかき消されてしまいました。もともと黒人の伝統的な葬列では、墓地に向かうときはゆったりしたテンポの、例えばFlee as a Bird(このサイトでも紹介しています)のような曲を、帰りにはこの「聖者の行進」のように軽快な早い曲をブラスバンドが演奏します。「聖者が町にやってくる」という邦題の方もよく知られていますが、原詞には「町、街」は出てきません。わたしが始めてこの歌が英語で歌われるのを聞いたのは、小学生のときだったか中学生になってからだったかよく覚えていませんが、やたらに「マーチーニー(町にー)」が出てくるなと思ったのを覚えています。これを聞いて作詞者も思わず「町に」としてしまったのかなあ、などと想像しています。これは余談でした。
語句・表現については次のようなものに気をつけてください。Saints「聖者、聖人」の他に「死者」の意味があります。go marching in「行進して行く」、cf: go shopping, go fishing、Oh, Lord「おお、神よ」、I wanna be=I want to be、in that number「あの大勢の中に」、number「数、番号、大勢」、cf: a number of=a lot of=many、Up where the streets are paved with gold「上の通りが黄金で舗装されたところ」とは「天国」のこと。crown「王冠を被せる」動詞です。Him Lord of all「神の中の神」、HimLordは同格。

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2007年06月15日

Dreaming of Home and Mother
旅愁

旅愁 作詞:犬童球渓


更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ


窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
はるけき彼方に こころ迷う


 かつて中学音楽の定番であった「旅愁」は、年配の方にはとても懐かしい曲でしょう。日本では、明治40(1907)年に『中等教育唱歌集』に載って以来1世紀にわたって愛唱されてきました。原曲はアメリカの医師オードウェイ(John P. Ordway, 1824-1880)の作詞・作曲になる Dreaming of Home and Mother「故郷と母を夢みて」(1868)です。日本語版は当時新潟の女学校で音楽教師をしていた犬童球渓(いんどう・きゅうけい、1879−1943)が書きました。心情的には共通する部分もありますが、原詩の翻訳ではありません。それどころか、原詩をはるかに超える出来ばえといってよいでしょう。どうしてこの歌詞がこれほどひとの心を打つのか、その理由は球渓の実体験に根ざしているからではないかと思います。新潟へ行く前、球渓は兵庫県の中学の教師をしていました。そこで彼は熱心に西洋音楽を教えようとしました。ところが、ここで思いもよらぬことが起こりました。よろこぶと思った生徒たちが、こともあろうに「軟弱」という理由で欧米の音楽を拒否し、球渓排斥の運動まで起こしたのです。「窓うつ嵐に 夢もやぶれ」はこのときの心境を歌ったものと思われます。傷心の球渓は新潟へ転勤しますが、この出来事は終生彼の心から離れず、ついには自ら命を絶つ結果につながったのかも知れません。「わびしき思いに ひとりなやむ」をはじめとして、全編にその思いが凝縮されています。「恋しやふるさと なつかし父母」は失意の人間が最後に頼るのは、やはり故郷と両親であることを示しています。球渓はもちろんペンネームで、故郷は熊本県人吉市を流れる球磨川の渓谷からとりました。3年後にコンバースの名曲What a Friend We Have in Jesus(このサイトでも紹介しています)に「星の界(よ)」(1910)の名歌詞をつけた杉谷代水がやはり故郷鳥取市を流れる千代川からペンネームを作ったのに似ていますね。
 曲の方も、「旅愁」には、原曲と微妙に異なる箇所があります。2小節ごとに終わりの部分の半拍の音符をひとつ削除しただけですが、曲の雰囲気がずいぶん違ってきます。これによって、曲の方も原曲を超えているような気がしませんか。日本でたゆまず歌い継がれた百年の間にアメリカではすっかり忘れ去られたという事実がこれを物語っています。この改変もたぶん球渓の手によるものでしょう。ここでも、「旅愁」のメロディーで歌うことを考えましたが、そのためには歌詞を幾分変えなければならないし、また聞き比べていただくことに若干の意味もあるだろうし、何よりもここでは「英語の歌」による「英語発音の習得」が目的であるのだからと考えて、あえて原曲で歌うことにしました。総じて無理なく歌え、繰り返しも多く、英語の発音練習にはもってこいの歌ではないでしょうか。
 では、少し語句の解説をしておきましょう。'tis sweet to find=it is sweet to find、itto以下を指します。oft=often、I've been dreaming of home and mother、現在完了の進行形です。「今までずっと―し続けていた」、と継続してきたことを表わします。when we did roam=when we roamed、didは強調です。balmy「(眠りなどが)さわやかな」、Keep me still thinking of mother「に・・・させ続ける」、cf: I'm sorry to have kept you waiting so long.「ながらくお待たせしてすみませんでした」、Hark!「聞け!」「おや!」、I seem to hear.「聞こえたようだ」、soothing me to rest「休むべく慰めに」、目的を表わす分詞構文です。none other「それ以外のものは感じない」、say I shall be blest「私に祝福があれと祈る」、Childhood has come, come again「幼年時代がやって来た=思い出された」、her loved form「彼女(母)のやさしい姿」、brow「ひたい」発音に注意。

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2007年06月01日

Solomon Grundy
ソロモン・グランディー

 イギリス伝承童謡、マザー・グースの唄のひとつです。まず、ソロモン・グランディというネイミングから考えてみましょう。ソロモンとは古代イスラエルの賢王の名前です。現代でも、「とても賢い」という意味で、He is as wise as (King) Solomon.と言ったりしますね。かたや、グランディはとても庶民的な響きを持っています。What will Mrs Grundy say?は、「グランディおばさんは何と言うだろう」=「世間のひとはどう言うだろう」という意味になります。この対照的な組み合わせが面白いですね。
次に内容ですが、ソロモン・グランディは、月曜日に生まれ、火曜日に洗礼を受け、水曜日に結婚し、木曜日に病気になり、金曜日にそれが悪化し、土曜日に死に、日曜日に埋葬された、といっています。そんな馬鹿な、と思われるかも知れませんが、一週間も100年も悠久の宇宙から見れば大差はありません。人生はそれほど短く、はかないのだと受け取られるようにわざと構成したものですが、実情はそれぞれの曜日の年代がみな違っていたということです。とまれ、どうせ短い命だからと厭世的になったり自暴自棄になったりするひとはありませんね。短いからこそ、一瞬一瞬を大切に、有意義に生きなければならないと考える人が大部分でしょう。
 語句では、金曜日に出てくるworseに注意してください。比較級・最上級は単語のうしろにer、estをつけたり、前にmore、mostをおいて活用するのが普通ですが、badillworse、worstと不規則に活用します。これは、goodwellbetter、bestと活用するのに対応します。
もうひとつ、この唄は幼児に曜日の名前を覚えさせ、同時に正しい発音を教えるという役割りを持っています。dayは普通に発音すると〔dei〕「デイ」ですが、曜日の名前になったときは〔di〕「ディ」、つまりGrundy〔・・・di〕「グランディ」と韻を踏んでいるのです。

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2007年05月25日

Peter, Peter, Pumpkin-Eater
ピーターピーターカボチャ食い

 イギリスの伝承童謡、マザーグースの唄ですが、内容的には恐ろしいというか、大変深刻なものを含んでいます。カボチャの好きなピーターは、おかみさんをkeepすることが出来なくて、カボチャの殻に閉じ込めて、そこでやっとkeepすることが出来た、といっています。さて、このkeepですが、辞書をひくと「保持する」「守る」「飼う」などの意味が出てきます。おおもとの意味は「自分のものとしてとっておく」ということです。30年ほど前にアメリカに滞在したとき、ある中年男性が、半分冗談にですが、「私は少なくとも日に3回は家内にキスするんだよ」I kiss my wife at least three times a day)と言うのを聞きました。続けて、to keep herと言って、片目をつむってみせたのです。ちょうどその年、アメリカで離婚率が5割を超えたというのでずいぶん話題になっていました。数年後、風の便りで、彼も奥さんと別れたと聞きました。夫婦がお互いをkeepするって大変なんだな、と実感したものです。
 次に、カボチャの殻ですが、もちろんことばどおりに取ってはいけません。何を象徴しているか、よく考えてください。ひとつヒントを申しあげますと、かつてスコットランドで気ままな奥さんを殺して壁の中に塗りこむという猟奇事件が起こりました。この唄はそれを歌ったものだという説があります。2番で突如別のおかみさんが登場するのは不自然だという意見もありますが、上に述べた意味から考えると至極当然ですね。アメリカの小説家エドガー・アラン・ポーは、やはりこの事件をヒントに「黒猫」という名作を残しています。
 Peter learned to read and spell. spell=write、次の行のwellと韻を踏むためです。ピーターは読み書きを覚えてから人を愛せるようになります。奥さんに限らず、本当に人を愛するためには教養が不可欠だといっているのです。意味深長です。同時に、人生の真理ですね。

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2007年05月18日

The Farmer in the Dell
谷間の農夫

 イギリスの伝承童謡集・マザー・グースの中にある遊び唄ですが、起源はアメリカらしいと言われています。「農夫」は、日本の鬼ごっこやかくれんぼの「鬼」にあたると考えたらよいでしょう。遊び方はいたって簡単です。まず、大きな輪を作り、真ん中に農夫が立って、みんなで1番を唄います。次に2番を唄っているとき、The farmer takes a wife.で、農夫は輪を作っているひとりを奥さんに選び中に連れてきます。今度は奥さんが、The wife takes a child.で子どもを選びます。以下、次々にひとりずつ選んで中に連れてきます。最後に残ったひとりが、次の農夫になります。リズムよく唄い方には何の問題もありません。英語の表現については、takeの意味が要注意です。「手に入れる」でもよいのですが、遊びの中の意味を考えて「連れてくる」としました。また、wife以下最初に出たときにはaが、次に出るときにはtheがついていることに注意してください。冠詞、つまり不定冠詞aと定冠詞theの使い方が、歌っているうちに自然に身につくのです。英語の歌の効用のひとつですね。あるイギリス人教師が、冠詞の用法を覚えるには最適の歌だね、と言っていました。Hi-ho, the derry-oは日本語の「サノヨイヨイ」「アラエッサッサ」「ドッコイショ」などにあたる掛け声みたいなものですから、特に意味はありません。

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2007年05月11日

The Last Rose of Summer
庭の千草

庭の千草  作詞:里見義
 
庭の千草も、虫の音も、
かれてさびしく、なりにけり。
ああ白菊、ああ白菊。
ひとりおくれて、さきにけり。
 
露にたわむや、菊の花、
霜におごるや、菊の花。
ああ、あわれあわれ、ああ、白菊。
人のみさおも、かくてこそ。


 おなじみの「庭の千草」は、明治14年から17年にかけて出た日本最初の音楽教科書(『小学唱歌集』第3編、1884)に「菊」として載りました。アイルランドの民謡ですが、日本語の作詞は当時の国文学者・里見義(ただし、1824−1886)が担当しました。うしろに日本語訳を紹介しますが、上の歌詞は原詞とはかなり異なったものになっていますね。歌い方にしても、修飾音符があったりして結構むずかしい歌です。明治の小学生たちはいったいどのように歌ったのだろうか、また歌詞にしても、「人のみさおも、かくてこそ」など、どのように解釈したのだろうかと想像してしまいました。ここにあげた原詞は、このサイトにすでに紹介した'Believe Me, If All Those Endearing Young Charms'(邦題「春の日の花と輝く」)と同様、アイルランド18世紀生まれの詩人トマス・ムーア(Thomas Moore, 1779-1852)の作です。庭に一輪だけ咲き残っているバラの花を見てその心情を推し量り、人間社会とわが身になぞらえました。人間誰しも長生きしたいという願望は持っていますが、長生きすればするほど、友人や家族、特にこれ以上悲しい、辛いことはない、子や孫に先立たれる可能性も増すわけです。誰でも見過ごしてしまいそうなバラ一輪を見てここまで想像するとは、さすがは詩人ですね。以下は語句の解説です。
Left「取り残されて」、beingが省略された過去分詞で分詞構文です。companions「仲間たち」とはもちろん既に散ってしまったバラのことです。her kindred「彼女の親族」とは、これもバラのことです。nigh=near、reflect back her blushes「美しかった姿を思い起こす」、give sigh「ため息をつく」、うしろのfor sighは強調。thou lone one=you lonely onethouoneは同格です。pine on the stem「茎にくっついて嘆いている」、the lovely「美しいもの」、the+形容詞は名詞(複数扱い)。leaves「花びら」、thy=your、Lie scentless and dead「香りも失せ、死んで横たわる」、friendships=friends、decay=die、Love's shining circle「愛の光り輝く輪」とは、家族や親しい友人たちのこと。次のgemsもほぼ同義。drop away=are gone「いなくなる」、lie withered=die、are flownも同義です。Oh! Who would inhabit This bleak world alone?「おお、この寂しい世界に、どうしてひとりで生きられようか」、絶対に生きられはしない、という意味の反語です。inhabitは他動詞です。

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2007年04月27日

Flee as a Bird
追憶

 「星かげやさしくまたたくみそら、あおぎてさまよい木陰を行けば・・・」と歌われる「追憶」は明治生まれの作詞家・古関吉雄の代表作です。20世紀前半から全国の学校や家庭で愛唱されていました。甘美なメロディーとあいまって、当時は特に女学生のあいだで人気があったそうです。どの教科書・歌集をみても、スペイン民謡となっていますが、あまり根拠はないようです。それより歌詞の内容から、メアリ・シンドラー(Mary S. Shindler, 1810-1883)作詞・作曲?の賛美歌ととるのが正しいようです。
 以下は語句の解説です。Flee=Fly、またどちらにも「逃げる」の意味があります。yon「向こうの」、youと間違えないようにしてください。Thou who art weary of sin=You who are weary of sin, flowing「水が流れている」、現在分詞です。Where「そこで」、関係副詞です。th' avenger=the avenger「復讐者、あだ討ちをする人」、thee=you、目的格です。Call, and the Saviour will hear thee, andは前の命令形を受けて「そうすれば」の意。He on His bosom will bear thee=He will bear you on His bosom、falling「流れ落ちている」、現在分詞。He will forsake thee, Oh, never=Oh,He will never forsake you、Sheltered「(雨風から)身を護られて」、Haste then「だから急げ」、Cease from・・・「・・・を止す」、
The Saviour「主、救世主、(大文字で)イエス・キリスト」。

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2007年04月20日

Believe Me
春の日の花と輝く

「春の日の花と輝(かがや)く、うるわしきすがたの いつしかに褪(あ)せてうつろう・・・」と歌われる堀内敬三の名訳はよく知られていますね。曲はアイルランド民謡とされていますが、イングランド説(My Lodging Is on the Cold Ground、「我が家は冷たき土の上」)やスコットランド説(I Lo'e Na a Laddie But Ane「我ひとりのみを愛す」)もあります。また、アメリカのハーバード大学の校歌(Fair Harvard、「麗しきハーバード」)も知る人には知られていますね。ここにあげた歌詞はアイルランドの詩人トマス・ムーア(Thomas Moore, 1779-1852)の作です。高校の音楽教科書(1年生)にも扱われましたので、ご存知の方も多いでしょう。それにしても難しい歌詞ですね。若さや美しさはやがて色あせる。それどころか、老齢になると若いときの姿は見る影もなくなるだろう。それでも死ぬまで君を愛し続ける、それを信じてくれ、と言っているのです。すごい歌詞だと思いませんか。当たり前のことだけどだれも言わないようなことを、ズバリと言ってみせる、そこがムーアの詩人たるところでしょう。
以下は語句の解説です。Believe me, if・・・「信じてくれ、たとえ・・・であろうとも」、ifの意味に要注意です。うしろのwereと呼応します。all those endearing young charms「そのひとを惹きつける若き魅力」、Which I gaze on so fondly today「今いとおしく眺めている」、fleet in my arms「腕の中で消え去る」、fairy「妖精」、アイルランドの妖精はさまざまないたずらをします。日本でも狐や狸にだまされてもらった小判が実は木の葉だったというはなしを聞いたことはありませんか。あれによく似ていますね。Thou wouldst still be ador'd as this moment thou art=You would still be adored as this moment you are.「君は今と同じようになおも賞賛の的であるだろう」、Let thy loveliness fade as it will、Let=Ifと考えます。dear ruin「なつかしい廃墟」とは年取った君の姿、entwine itself verdantly still「自分の望み(愛)はなお若草のように青々と茂っていることを(信じてくれ)」と言っているのです。It is not while・・・は3行目のThat the fervor and faith of a soul・・・につながるIt・・・that・・・の強調構文です。unprofaned「汚されない」、thine=thy、ただし母音ownの前ではthineになります。fervor and faith of a soul「魂の情熱と信頼」、but make thee more dear「君へのいとしさが増すのみ」、to the close=end「(人生の)最後まで」、her god=the sun

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2007年04月13日

Tom Dooley
トム・ドゥーリー

1868年実際に起こった事件に由来します。この年、南部同盟の若い兵士Tom Dulaが恋人殺しのかどで絞首刑になりました。同情からさまざまな伝説がうまれました。その兵士は無実だったのだとか、恋敵と争っているうち誤って恋人を殺してしまったのだとか、いやいや、彼女は自分自身の恋敵に殺されたのだという説まであります。そして、1958年、キングストン・トリオ(Kingston Trio)のコーラスが世界的に大ヒットし、翌1959には映画化されました(原題:The Legend of Tom Dooley、邦題「拳銃に泣くトム・ドーリー」)。なお、Graysonとは、トムを逮捕した役人だったのが真相のようですが、上の映画では彼の恋敵として登場していました。DooleyDulaの親しみを込めた呼び名だったようです。以下は語句の解説です。
 Hang down your head「首うな垂れる」、 Poor boy「可哀想に(呼びかけ)」、you're bound to die「お前は死なねばならない」、be bound to=must「・・・しなければならない、・・・する運命にある」、また、be bound forとなると、「・・・行き」の意味があります。cf. This is the Nozomi Super Express bound for Hakata.「博多行き特急のぞみ号です」、 This time tomorrow「明日の今頃は」、Reckon where I'll be「どこにいるのだろう」、Reckon「計算する、もくろむ」=Suppose, Imagine。Hanging from・・・「吊り下げられている、絞首刑になっている」、Stabbed her with my knife「自分のナイフで彼女を刺してしまった」。
Had't na been for・・・=Had it not been for・・・=If it had not been for・・・「もし・・・がいなかったなら」、I'd have been in Tennessee=I would have been in Tennessee「テネシーに行っていたものを」、仮定法過去完了といって、過去の事実に反する仮想をする表現です。例えば、If you had not helped me, I would have failed.「もし君が助けてくれていなかったら、ぼくは失敗していただろう」のように、前半の条件節が過去完了(had+過去分詞)、後半の主節が、助動詞の過去形+have+過去分詞となります。
現在の事実に反する仮想は、仮定法過去といい、過去形を用います。
If it were not for water on the earth,=Were it not for water on the earth,=But for (Without) water on the earth, nothing could live.「もし地球上に水がなかったら、何物も生きることは出来ない」のようになります。仮定法ではよくifが省略されますが、そのときの主語と動詞の語順にはくれぐれも気をつけてください。If I were you, =Were I you, I would not do such a thing.「もしぼくが君だったら、そんなことはしないね」

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2007年04月06日

Oh, Bury Me Not on the Lone Prairie
寂しい荒野に埋めないでくれ、駅馬車

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の名作映画「駅馬車」(Stagecoach, 1939)の全編を通じて、フォスターの「金髪のジェニー」(栗毛の髪のジーニー、Jeanie with the Light Brown Hair)とともに流れ、それによって一躍有名になったカウボーイソングです。もと船乗りの歌で「深い深い海に葬らないでくれ」(O Bury Me Not in the Deep, Deep Sea)と歌われていたのが、新大陸に渡って「寂しい原野」に変わったのだという説があります。バージョンによっては、「生まれ故郷の教会墓地の、父の墓の側らに葬られたい。そして母に祈ってもらい、妹には涙を流してもらいたい」などと続くものもあります。大航海時代が始まり、新大陸への移住が増してくると、航海中や故郷を遠くはなれて命を落とす人が大勢出てきます。そういった人々の思いが伝わってきますね。これ以外にも、「メキシコへの道」(The Trail to Mexico)など多くのバージョンがあるようです。
語句の説明を少ししておきましょう。bury「埋葬する」、発音〔ベリ〕に注意してください。lone=lonely、kiyotes =coyotes「コヨーテ」、o'er me=over me、rattlesnakes「ガラガラヘビ」、hiss「ヒューヒューと音をたてる」、wind、開拓時代までは、特にカウボーイの間では、〔ワインド〕と発音されたそうです。heeded not=did not heed「無視した」、dying prayer「最後の祈り、願い」、発音〔プレア〕に注意してください。six by three「6フィート×3フィート」(お棺のサイズです)。

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2007年03月23日

Swing Low, Sweet Chariot
スゥィング・ロー

 有名な黒人霊歌のひとつです。19世紀後半、アメリカ初の黒人大学(テネシー州ナッシュビルのフィスク大学、Fisk University、1866年創立)の学生たちが、大学の資金調達のため、9名からなる「ジュビリー・シンガーズ」(Jubilee Singers)というコーラスグループを結成し、北米のみならずヨーロッパ各地を公演してまわったときの持ち歌だったのが始まりといわれています。彼らは黒人霊歌を欧米全土に広めるのに大きく貢献しました。
 この、「いとしい馬車よ、降りてこい」ですが、「我が家」(my home)とはもちろん故郷(ふるさと)つまり、天国のことです。先に行っている仲間たちに、自分も間もなく行くと伝えてくれと、天使たちに頼んでいます。歌のジャンルは異なりますが、このサイトですでにアップロードしている、フォスターの「オールド・ブラック・ジョー」やブランドの「懐かしのバージニア」などと比較してみてください。解釈によると、奴隷としての過酷な労働から解放されて、生まれ故郷のアフリカの我が家に帰りたいとの願いだとするものもありますが、これは白人たちの印象かも知れませんね。
 ともあれ、南北戦争直後のアメリカに黒人大学が出来ていたことといい、先ほどの「ジュビリー・シンガーズ」の公演のことといい、私たちが歴史の授業では学びえない事実もたくさんあるような気がしませんか。先入観でものごとを判断することの危険性を感じますね。
 Swing Low「揺れながら降りてくる」、Sweet Chariot「いとしい馬車」、chariotは映画「ベン・ハー」で一躍勇名になった馬に引かせる二輪戦車がよく知られていますが、ここでは『聖書』からの引用です。ただし、アメリカのプランテーション農場では荷車ないし普通の馬車をchariotと呼ぶこともありました。Coming for to carry me home「私を我が家に運ぶためにやって来る」、分詞構文です。1行目と3行目はソロで、2,4行目に繰り返されるこの行を、合いの手のように全員で歌う歌い方が、call and responseといって黒人霊歌でよく見られます。I looked over Jordan「ヨルダンを見下ろした、とは、ヨルダン上空で下を見た」、「ヨルダン川の向こうに」とする解釈もあります。what did I see?「何が見えたと思いますか」、A band of angels coming after me「天使の一団がついて来るのを」、If you get there before I do「あなたたちが私より先に天国に着いたら」、Tell all my friends I’m coming too「(先に行っている)友達に伝えてくれ、間もなく私も行くと」。

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スゥィング・ロー" »

2007年03月16日

Scotland the Brave
勇敢なるスコットランド

 非公式ですが、スコットランドの多くの人々は、この歌を自分たちの国歌だと考えています。事実、式典や公式行事のとき、必ずと言っていいくらい演奏・合唱されます。特に、スコットランドを代表する民族楽器バグパイプの演奏には欠かせません。スコットランドの素晴らしさを讃えつくす内容になっていますので、この歌をしっかり覚え、彼の地へ出かける機会がありましたら、どうぞ彼らの前で歌ってみてあげてください。一躍、人気者となり、彼らとの距離を縮めることは受け合いです。しかし、この曲も歌詞も作られたのはそれほど古いことではありません。19世紀末か20世紀の初頭のようです。最初、劇作家のロバート・ウィルソン(Robert Wilson)がクリフ・ハンリー(Cliff Hanley)に作詞を依 頼したとき、彼は25ポンドで版権を買うつもりでした。ところが、出来上がった詩を一読し、彼は黙ってハンリーに25ポンドを支払ったあと、「版権はずっと君が持っていたまえ。それまで私のものにしたら、君を騙したことになるから」と言ったそうです。心温まる、いいはなしですね。
 一方ユーモリストであったハンリーは、出来る限りスコットランドにまつわるcliché(決まり文句)をこの歌詞に取り入れることを試みました。以下にそれらのいくつかを抜き出しておきます。Brave「勇敢な、素晴らしい」、Hark!「聞け!いざ!」、Loudly and proudly「高らかに誇らしく」Glen.「(スコットランドの)谷、渓谷」、old highland men、oldは親しみを込めた表現、必ずしも年齢とは関係ありません。Towering in gallant fame「雄々しき名をもて聳え立て」、mountain hame「山の故郷」、Standards「軍旗」、 Gloriously wave「神々しくはためく」、misty highlands「霧深き高地」、Out by the purple islands「沖には紫の島々」、staunch「本物の」fair maiden's eyes「美しき乙女の瞳」、Yearning「熱望して」、tropic skies are beaming、一時期スコットランドからカリブ諸島に大勢の人々が移民しました。この歌詞の主人公もそのひとりかも知れませんね。Love sets the heart a-dreaming「愛が心に夢を見せる」、Longing and dreaming for the hameland again「再び帰郷出来ることを切望し夢見る」。
 しかし、この歌詞のハイライトは何と言っても、
Land of my high endeavor,
Land of the shining river,
Land of my heart forever,
Scotland the brave!
の部分でしょう。2行目はともかく、Land of my high endeavorには人間の崇高な行動と精神のすべてを含むようなendeavor「努力、行動、意志」の国、さらに続けて、Land of my heart forever「永遠にわが心のふるさ と」と歌っているのですから。

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2007年03月09日

Loch Lomond
ロッホ・ローモンド

 Loch LomondLochはスコットランド方言でLakeのことですから、「ロッホローモンド」の意味は、「ローモンド湖」になります。ローモンド湖はスコットランド最大にしてその美しさでも知られる湖です。この歌のお陰で毎年何百万人という観光客を海外からスコットランドに呼び寄せているのです。起源は、18世紀半ばにカローデンの原で敗れ捕虜となってイングランドに連行されたスコットランドの兵士たちが、故郷のローモンド湖と恋人を懐かしんで歌ったのが始まりと言われています。いつ死刑の判決が下るかも知れない不安の中で、それでも何とかして脱出し、故郷に帰りたい、という思いが切々と伝わってきます。コーラス部分の、「君は高い道を行け、ぼくは低い道を行く」が、いろんな意味でこの歌のハイライトです。旋律が変わり、急に晴れやかな響きになります。意味については、さまざまな解釈があるようですが、最近イギリス人の同僚(グラマースクールはエジンバラ、大学はアメリカ、血は半分スコットランド人)から面白い話を聞きました。低い道とは平地の道、高い道とは山岳地帯の尾根、しかも傾斜のゆるやかなペナイン山脈ではなく、ウェールズから湖水地方を経由するルートだそうです。脱走しても行動をともにしていれば、捕まる危険性が増すわけですから、別行動を取ろうといっているのかと思ったら、いやこれは仲間同士意見が割れたのだということです。「ぼくが先に着く」は、死んでしまえば不可能なわけですから、自分は何としても生きて帰るぞ、という決意のほどがうかがえます。しかし、3番の傷心の様子から想像すると、恋人はもうこの世にいないのかも知れませんね。
 以上はやや独断的な見解ですが、一般的には、死刑を宣告されたスコットランドのジャコバイト党の兵士が、収容されたカーライルを訪ねてきた恋人と最後の別れを許され、そのとき交わした会話に基づいていると考えられています。この場合、低い道とは、これから自分が向かおうとしている死者の通う道、という意味です(『スコットランド文化事典』、914、2006)。生きて高い道を帰る彼女より、霊魂となった自分の方がスコットランドへは先に着く、というわけです。先に「晴れやかな」響きと言いましたが、この意味だったら、(恋人に会えた)「よろこびの」、ないし「いさぎよい」と言い換えるべきでしょう。いずれにしても、この歌を1746年のジャコバイトの反乱と結びつける解釈が生まれたのは、19世紀に入ってからのようですから、作られたストーリーかも知れませんね
 以下は語句の説明です。Lochは先に述べましたが、bonnie「(スコットランド方言で)美しい」、braes「(同)険しい小丘」me=I、my true love「心からの恋人」、Were ever want to gae=were always accustomed to go、want=wont、ye'll tak the high road =you will take the high road、 afore ye=before you、'Twas then that we parted=It was then that we parted、thenを強める強調構文です。glen「(スコットランド方言で)渓谷」、Ben Lomond「ローモンド山」BenMt.。ローモンド湖の東北に隣接する山、海抜973メートル。Highland「Highlands はスコットランドの高地地方でグラスゴーより北西地方を指します」、view=see、in the gloaming=in the evening twilight、wee birdie=small bird、waters「湖水」、broken heart「傷心の心」、kens=knows、Nae second Spring=No second Spring「来年の春は・・・ない」、the waeful=woeful「苦しむひとたち」、cease frae・・・=cease from・・・「・・・を止める」。