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まず、きいてみよう→
そして、よんでみよう!→
よくきいて
発音をまねしてみよう!!
うたうためにはまず聞き取ることが大事です。
なんども聞いて英語のリズムを覚えましょう!
耳でおぼえよう!
「凍れる月影空に冴えて、真冬の荒波寄する小島…」で始まる「灯台守」の歌を私は小学校5年生の音楽の授業でならいました。昭和24(1949)年のことです。イギリス民謡となっていましたから、「激しき雨風北の海に、山なす荒波たけり狂う」と歌われる歌詞の内容から、てっきり北部のスコットランドの歌だとばかり思っていました。思えば、これを契機にスコットランドに関心を持ち、英語と英文学を勉強をすることになったのですから、人生のきっかけなんて本当にちょっとしたことなんですね。
その後調べて分かったのですが、元歌は1881年、ニューヨークで出版されたスクールソング・賛美歌集に出ている“The Golden Rule”だったのです。日本で始めて紹介されたのは、1888年に出た『明治唱歌集』における「旅泊」でした。
聖書マタイ伝の山上の垂訓のひとつ、「自らになされんと欲することを、他人になせ」(Do to others as you would be done by)は、人類のもっとも崇高な掟で「黄金律」と呼ばれます。欧米のスクールソングや讃美歌集にしばしば登場していたようです。それが日本に入ったとき、まるで別の歌のようになってしまったことには、じつは深いわけがあったのです。
明治時代のはじめ、詳しくは明治5年に学校令という法律が発令されました。長い鎖国から目覚めた日本がヨーロッパの先進国に追いつくためには国民の教育が一番だというわけで、国中に学校が作られました。次に何を教えるかが検討され、読み方、書き方、習字、算術、算盤(そろばん)、体操、地理、歴史、修身などと並んで「唱歌」が加えられることになりました。ところが、どのような歌を全国の児童に歌わすかについてはなかなか意見がまとまりません。そこで、初代の文部大臣であった森有礼は、アメリカからLuther Whiting Mason (1828-1896)という音楽教師を招聘し、選曲を一任します。宣教師でもあったメーソンは、ここぞとばかり多くの賛美歌を候補曲に加え、歌詞も原詩に近いものにしたかったようです。これには当時の文部省内に大きな抵抗がありました。クリスチャンであった森有礼は、このせいでかどうかは不明ですが、暗殺されてしまいます。連日連夜の大激論の末、メロディーは欧米のものを借用するが、歌詞については日本独自のものにするとの大方針が打ち立てられました。この歌より数年前に導入された「蛍(の光)」(Auld Lang Syne)、「美しき」(Bluebells of Scotland)、「才女」(Annie Laurie)などはいずれもこのようにして生まれました。このような初期の学校唱歌もこのサイトでも出来るだけ紹介して行く予定です。