The Golden Rule
灯台守、旅泊、助け舟

原曲:不明/訳詞:三宅忠明


Warning: include(/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php): failed to open stream: No such file or directory in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/05/the_golden_rule.php on line 70

Warning: include(): Failed opening '/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php' for inclusion (include_path='.:/opt/php-7.4.33-2/data/pear') in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/05/the_golden_rule.php on line 70
まず、きいてみよう→
そして、よんでみよう!→

よくきいて
発音をまねしてみよう!!

うたうためにはまず聞き取ることが大事です。
なんども聞いて英語のリズムを覚えましょう!
耳でおぼえよう!

 「凍れる月影空に冴えて、真冬の荒波寄する小島…」で始まる「灯台守」の歌を私は小学校5年生の音楽の授業でならいました。昭和24(1949)年のことです。イギリス民謡となっていましたから、「激しき雨風北の海に、山なす荒波たけり狂う」と歌われる歌詞の内容から、てっきり北部のスコットランドの歌だとばかり思っていました。思えば、これを契機にスコットランドに関心を持ち、英語と英文学を勉強をすることになったのですから、人生のきっかけなんて本当にちょっとしたことなんですね。
 その後調べて分かったのですが、元歌は1881年、ニューヨークで出版されたスクールソング・賛美歌集に出ている“The Golden Rule”だったのです。日本で始めて紹介されたのは、1888年に出た『明治唱歌集』における「旅泊」でした。


  旅泊(作詞:大和田建樹)、1888


  磯の火細りて更くる夜半に、岩打つ波音ひとり高し、
  かかれる友舟ひとは寝たり、たれにか語らん旅の心。


  月影かくれてからす啼きぬ、年なす長夜も明けに近し、
  起きよや舟人遠方(おち)の山に、横雲なびきて今日ものどか。


そして、1906年には、佐佐木信綱の「助け舟」が出ます。


  助け舟(すくいぶね)(佐佐木信綱・作詞)、1906


  激しき雨風天地暗く、山なす荒波たけり狂う、
  見よ見よかしこにあわれ小舟、生死(しょうし)の境と救い求む。


  救いを求むる声はすれど、この風この波誰も行かず、
  見よ見よ漕ぎ出(ず)る救い小舟(おぶね)、健気な男子ら守れ神よ。


 この歌詞を見ると、男女の違いこそありますが、イギリス東海岸に近いファーン諸島の灯台守の娘で、嵐の中、難破船の乗組員を救ったグレイス・ダーリングのことを想像してしまいます。佐佐木信綱がこの歌詞を書いたときも、勝承夫が「灯台守」という題にしたときも、きっとグレイス・ダーリングのことが頭にあったに違いありません。これが、多分この曲をイギリス曲とした理由でしょう。それにしても、最初の「灯台守」にありました、激しき雨風、とか、山なす荒波たけり狂う、などのフレーズは佐佐木信綱がすでに使っていたのですね。
 では、元歌の歌詞はどんな意味だったのでしょうか?


  黄金律(訳:三宅忠明)


  黄金律、黄金律、これこそ我が掟、
  世界の人が守るなら、皆幸せ。


  繰り返し
  黄金律、黄金律、これこそ我が掟、
  自らになされんことを、他人にもなせ。


  この掟が守られたら、人は皆幸せ、
  苦しみ、貧困、裏切りもなし。


 聖書マタイ伝の山上の垂訓のひとつ、「自らになされんと欲することを、他人になせ」(Do to others as you would be done by)は、人類のもっとも崇高な掟で「黄金律」と呼ばれます。欧米のスクールソングや讃美歌集にしばしば登場していたようです。それが日本に入ったとき、まるで別の歌のようになってしまったことには、じつは深いわけがあったのです。
 明治時代のはじめ、詳しくは明治5年に学校令という法律が発令されました。長い鎖国から目覚めた日本がヨーロッパの先進国に追いつくためには国民の教育が一番だというわけで、国中に学校が作られました。次に何を教えるかが検討され、読み方、書き方、習字、算術、算盤(そろばん)、体操、地理、歴史、修身などと並んで「唱歌」が加えられることになりました。ところが、どのような歌を全国の児童に歌わすかについてはなかなか意見がまとまりません。そこで、初代の文部大臣であった森有礼は、アメリカからLuther Whiting Mason (1828-1896)という音楽教師を招聘し、選曲を一任します。宣教師でもあったメーソンは、ここぞとばかり多くの賛美歌を候補曲に加え、歌詞も原詩に近いものにしたかったようです。これには当時の文部省内に大きな抵抗がありました。クリスチャンであった森有礼は、このせいでかどうかは不明ですが、暗殺されてしまいます。連日連夜の大激論の末、メロディーは欧米のものを借用するが、歌詞については日本独自のものにするとの大方針が打ち立てられました。この歌より数年前に導入された「蛍(の光)」(Auld Lang Syne)、「美しき」(Bluebells of Scotland)、「才女」(Annie Laurie)などはいずれもこのようにして生まれました。このような初期の学校唱歌もこのサイトでも出来るだけ紹介して行く予定です。