Danny Boy
ダニー・ボーイ

作詞:フレデリック・エドワード・ウェザリ
アイルランド古謡/訳詞:三宅忠明


Warning: include(/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php): failed to open stream: No such file or directory in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/09/danny_boy_1.php on line 71

Warning: include(): Failed opening '/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php' for inclusion (include_path='.:/opt/php-7.4.33-2/data/pear') in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/09/danny_boy_1.php on line 71
まず、きいてみよう→
そして、よんでみよう!→

よくきいて
発音をまねしてみよう!!

うたうためにはまず聞き取ることが大事です。
なんども聞いて英語のリズムを覚えましょう!
耳でおぼえよう!

  「ロンドンデリーの歌」のメロディーに付けられた歌詞は全世界で100を超えるといいましたが、知名度、愛唱される頻度でこの「ダニー・ボーイ」の右にでるものはないでしょう。イギリスの法律家によって作詞されたのは1913年、それ以後ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte, 1927−)をはじめおびただしい数の歌手たちによって歌われてきました。歌詞も歌い手によって相当変化します。例えば、前述のベラフォンテなどは、2番のye(you)Iをすっかり置き換えて歌っています。上の詞では自分が待ち焦がれて死ぬわけですが、逆さまにするとダニー・ボーイの方が戦死することになります。このように解釈が多岐にわたるということは、人々の関心の高さ、つまり人気の証しにもなるのです。しかし、不思議にもというか、当然ながらというか、この中にアイルランドの歌手はほとんどいないそうです。それどころか、元歌の「ロンドンデリーの歌」をしのぐほどになったこの現象を苦々しく思っているアイルランド人も多いそうです。それにしても、謎の多い歌詞ですね。そもそも、ダニー・ボーイとは何者なのか。ダニー・ボーイは恋人でこれは恋歌だという人もいますが、私は息子のことだと思っています。
 ただ、歌っているのが父親なのか、母親なのか、分かりにくいですね。歌手がほとんど男性なので、父親を思わせますが、歌詞から想像すると、わが子の安否を気遣う母親のような気もします。そのあたりの説明をしておきましょう。みなさんはどちらだと思われますか? pipes「(特にスコットランドの)バグパイプ」、戦いのための召集の合図が谷から谷、そして山腹まで響き渡っているのです。From glen to glen and down the mountain side.やはりスコットランド高地地方を思わせます。T'is =It's歌手によってはこのように歌います。bide「待ち焦がれる」、waitより意味が強くなります。an Ave「(特に告別の)祈り」、発音に注意です。このふたつの表現が母親を思わせませんか。
今回の訳も歌うためのものではありません。ご了承ください。


『ダニー・ボーイ』(三宅忠明・訳)


おお、ダニー・ボーイ、バグパイプの音が呼んでいる、
谷から谷へ、そして山際まで響き渡る。
夏が終わり、バラはみんな散ってしまった。
おまえは去って行き、私は待ち焦がれる。


でも、牧場に夏が来て、おまえが帰って来るなら、
それも、谷が静まり、白い雪に覆われたときでもよい、
陽の中でも,日陰でも私は待っている。
おお、ダニー・ボーイ、おまえがいないと淋しくてたまらない。


でも、もしおまえが帰るのが、花がみんな枯れてからだったら、
もしかしたら、いえ、きっと私は死んでいる。
おまえは私の眠っているところを見つける。
そしてひざまずき、私のため最後の祈りをしてくれる。


でも、牧場に夏が来て、おまえが帰って来るなら、
それも、谷が静まり、白い雪に覆われたときでもよい、
陽の中でも,日陰でも私は待っている。
おお、ダニー・ボーイ、おまえがいないと淋しくてたまらない。