When It's Lamplighting Time in the Valley
谷間の灯火

作詞・作曲:ジョー・ライアンズ、サム・ハート
ヴァガボンズ/訳詞:三宅忠明


Warning: include(/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php): failed to open stream: No such file or directory in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/04/when_its_lamplighting_time_in.php on line 70

Warning: include(): Failed opening '/home/eigouta-com/public_html/m_leftmenu.php' for inclusion (include_path='.:/opt/php-7.4.33-2/data/pear') in /home/alko/eigouta.com/public_html/2006/04/when_its_lamplighting_time_in.php on line 70
まず、きいてみよう→
そして、よんでみよう!→

よくきいて
発音をまねしてみよう!!

うたうためにはまず聞き取ることが大事です。
なんども聞いて英語のリズムを覚えましょう!
耳でおぼえよう!

 作詞・作曲は、ジョー・ライアンズ(Joe Lyons)、サム・ハート(Sam Hart)およびヴァガボンズ(Vagabonds)というコーラスグループの合作とされています。発表されたのは1933年のことでした。私は、昭和27(1952)年、中2のとき、教科書にはなかったのですが音楽の先生から特別に教わりました。「たそがれに 我が家の灯、窓に映りしとき、わが子帰る日祈る 老いし母の姿」で始まる「谷間の灯火」)という歌でした。長い間1番だけの歌と思っていたのですが、後に3(時には4)番まであることを知りました。そして、2,3番をどうしても歌いきることが出来なかったことを覚えています。どちらも4行目で涙声になってしまい、時にはとめどもなく涙が流れました。それほど悲しい歌詞なのです。先に歌詞の大意を見ていただきましょう。


谷間の灯火が灯る頃(訳:三宅忠明)


  小屋の明かりが赤々と、
  窓に輝きぼくを呼んでいる。
  母が祈っているのが分かる、
  わが子に会えるように。


    繰り返し
    谷間に灯火が灯る頃
    夢でぼくは、家に帰る。
    窓に映るあの明かりが、
    さまようぼくの行くてを導く。


  灯火の明かりで母が見える、
  椅子に掛けてくつろいでいるのが。
  おお、ぼくの帰りを祈っている。
  だけどぼくは帰れない。


  灯火を灯してぼくの帰りを待っている、
  ぼくのしたことを知らないで。
  行いを改めてあの母に会いに行こう、
  この生を終えてから、天国に。


 And I know that I never can go. を日本語に直すと「ぼくは決して(母に会いに)行けないことを知っている」となるのですが、本当の意味はこれよりはるかに強いのです。それを知っていただくためには、次のジョークを理解していただく必要があります。
The French think that they are above the English or the Germans, and the Germans believe that they are above the English or the French, and the English know that they are above the French or the Germans.(フランス人は自分たちがイギリス人やドイツ人より優れていると思っている。そしてドイツ人は自分たちがイギリス人やフランス人より優れていると信じている。そしてイギリス人は自分たちがフランス人やドイツ人より優れていることを知っている=分かり切ったことだと思っている)。イギリス人の気位の高さを皮肉ったものですが、think, believe, know のそれぞれの意味の強さの比率は、2対3対10位になるのです。ここでもし、thinkbelieve なら、(そうでない)可能性が30パーセントか20パーセントは残るのですが、know が使われると、それは完全に消滅します。まちがっても、I know I know everything. などと言ってはいけませんよ。
 問答無用、何も言わずオレの言うことを聞け、のような意味になってしまうのです。
 She knows not the deeds I have done(母はぼくのしたことを知らない)のdeeds(行為)がヴァージョンによってははっきりとcrime(罪)になっています。この主人公が何かの罪を犯し、しかもそれが終身刑か死刑といった重罪で二度と母親に会えない境遇なのに、母親はそれを知らない。Up in Heaven when life' race is run.(この世の生を終えてから天国で)しか会えない、とは何と悲しい歌詞でしょう。これも後で知ったのですが、欧米では「囚人もの」といって広く知られた歌のジャンルがあるそうです。日本では、多分「教育的配慮」からでしょうが、歌に限らずこの種のものは余り青少年の目に触れさせなかったようですね。
 罪を犯したくて犯す者などいないわけですが、何かのはずみで罪人になってしまったひと、あるいはされてしまったひと、は世の中にはいっぱいいます。欧米などはそれこそ冤罪(えんざい)の歴史といってもいいくらいなのですから。犯罪に関係するからといっていたずらに目をそむけるのではなく、こういった歌を通じて、犯罪とは何か、人はなぜ罪を犯すのか、そして「囚人の心境」などを若い世代、幼い世代に考えさせるのも意味はあると思うのですが、いかがでしょうか。