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「夢に見し我がジェニーは、ブロンドの髪ふさふさと・・・」と歌われる「金髪のジェニー」(津川主一・訳詞)は余りにも有名ですね。アメリカの生んだ大人気作曲家Stephen Foster(1826-1864) の数ある名曲の中で、この歌が日本の教科書・歌集に載るのは意外に遅く、昭和31(1956)年のことでした。彼の曲はこのサイトでも順次紹介してきましたが、これは彼にしては後期のとはいっても、1854年、27歳の時の作品です。すでにこのサイトで紹介しました“Beautiful Dreamer”(2006年11月2日アップロード)と同じく、妻のジェニー(厳密には「ジニー」)を歌ったものです。フォスターの奥さんの本名はJaneで、その愛称がJeanieでした。もうひとつ、せっかく「金髪の」に日本中が慣れ親しんでいるところに水をさすようで悪いのですが、これも正しくありません。Light Brown HairのLightに「薄い、淡い」という意味があるとしても、「金髪」にはなりません。Brownだからといって「茶髪」では味気ないですから、下の訳では「栗毛」としてみました。
これ以外の語句の説明を少ししておきましょう。Borne, bear「生む、運ぶ」の過去分詞、like a vaporがありますから「湧き出た」「たなびく」、 trip「身軽に動く、(小)旅行する」、daisies「ヒナギク、(アメリカでは)フランスギク」、Many were the wild notes her merry voice would pour, Many were the blithe birds that warbled them o'er:最後のo'er=over「…のまにまに聞こえる」、つまりジニーの大きな歌声と小鳥たちの元気なさえずりが、見事な二重唱を奏でているのです。long for「…を恋焦がれる」、daydawn smile「夜明けの微笑」、Radiant in gladness「喜びに輝いて」、winning guile「得意そうないたずらっぽさ」。
これ以後、like joys gone by, fond hopes that die,Sighing like the night wind and sobbing like the rain,Wailing for the lost one that comes not again: my heart bows low, Never more to find her where the bright waters flow. などの表現から、まるでジニーがもう亡くなっているのではないかとの印象を与えますが、フォスターの方が妻より先に亡くなっていまるわけですから、そのような事実はありません。彼女がどこか遠くへ行った時期があったのか、もしもこの最愛の妻が亡くなるようなことがあったらとの、想像が作り出した歌詞かもしれませんね。事実、フォスターは1850年にJaneと結婚し翌年娘のMarionが生まれますが、なぜか彼はしばらく妻子と別居しています。3番にもそれを思わすような表現がいくつかありますね。native glade「故郷の木立、(アメリカ南部では)沼地」、nodding wild flowers may wither on the shore「岸辺の首うな垂れた野の花がやがて萎れて行く」、cull「(花などを)摘む」。
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