Massa's in de Cold, Cold Ground
主人は冷たい土の中

作詞・作曲:S.フォスター/訳詞:三宅忠明


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まず、きいてみよう→
そして、よんでみよう!→

よくきいて
発音をまねしてみよう!!

うたうためにはまず聞き取ることが大事です。
なんども聞いて英語のリズムを覚えましょう!
耳でおぼえよう!

夕べの鐘 作詞・吉丸一昌 作曲・S.フォスター


昔の人、今やいずこ、
訪れ来て、たたずめば、
黄昏(たそがれ)ゆく、空をたどり、
通いて来る、鐘の声。


  コーラス
  家鳩の羽ばたきに、
  乱れて消ゆ、軒の妻。


みどりの風、岸をそよぐ
川のほとり、さまよえば、
黄昏ゆく、路地を越えて、
おとない来る、鐘の声。


  コーラス
  牧の童(こ)が、笛の音に、
  消えては行く、村はずれ。


この歌を私は、昭和25(1950)年、小学6年の音楽の授業で教わりました。軒の妻、おとない来る、牧の童(こ)が、などということばの意味もよく分からないまま、声を張り上げて歌ったものです。やがて、元歌はアメリカの生んだ大人気作曲家スティーヴン・フォスター(Stephen C. Foster,1826-1864)の“Massa's in de Cold, Cold Ground”『主人は冷たい土の中』であったことを知りました。フォスターは、37年余の生涯で205の歌曲を作詞・作曲しました。その多くは、南部の大農園に働くアフリカ系労働者の心になりきって、彼らの生活、心情を歌ったものです。この曲が作られた1852年といえば、奴隷制度がまだ強固な頃でしたが、それを批判する声もそろそろ出始めていました。これから10数年後、リンカーン大統領の時、南北戦争を経て奴隷解放が行われるのですが、その運動にフォスターの歌が一役買ったことも考えられます。代表的なものは、このサイトでも順次紹介していますが、この「主人は冷たき土の中」に関しては、実に特記すべき史実があるのです。それは、アメリカ曲の中で日本で公演・演奏された最初のひとつであったということです。ご存知のように、ペリーの艦隊が浦賀に来航したのは、明治維新の15年も前、つまり1853年のことです。このとき日本がもっとも衝撃を受けたのは、彼が連れてきた二組の軍楽隊による西洋音楽の演奏でした。そして翌1854年3月27日、かれらに同行した水兵たちの演芸グループが、江戸幕府の要人たちの前で、出来たばかりのこの曲を披露したのです(笠原潔『黒船来航と音楽』吉川弘文館、2001)。やがて、維新を経て明治5(1872)年に学制が公布されますが、そこで14番目の教科目として「唱歌」(後に「音楽」)が採用されます。もっとも、この時点では教師も教材もまだ整っていませんでしたから、「当分之を欠く」との但し書きがついていたそうです。そして、これらが整い、実際の音楽教育がスタートするまでには、約10年待たねばなりませんでした。とまれ、ペリーの来航が、人格形成と人間の幸せ、さらには「富国強兵」政策を進める上からも、Music(音楽)がいかに有効であるかを日本に知らしめるきっかけとなったことには変わりありません。
フォスターのメロディーには、「果てしない悲しみ」(infinite sadness)と「ぞくぞくするような美しさ」(haunting beauty)があります。これは奴隷として無理矢理アメリカに連れてこられたアフリカ系の人々の民衆音楽と、音楽一家であったフォスターの祖先がアイルランドから持ち込んだものがミックスされた結果です。そしてどの歌詞からも、フォスターのアフリカ系の人々に対する限りない愛情が伝わってきます。ところが、20世紀半ばになって、用語が適切でない、奴隷制度を髣髴させるという批判の声があがり、フォスターは学校の教室から追放されてしまいます。いい機会ですから、ここでひとつ提案しておきたいことがあります。これまで、やや皮肉を込めて「アフリカ系云々」などということばを使ってきましたが、このよ
うに表現を変えてうわべだけを取り繕ってみても、奴隷制度という人類史上の汚点を消すことも出来なければ、真の人権問題解決にもなりません。何よりもアメリカのみならず人類の宝ともいえるフォスターの歌が制限されたり追放されることによって失われるものの大きさはそれこそ計り知れないでしょう。確かに彼は「黒○○」(black, darkey)などの言葉を多用します。さらに、cabin(奴隷小屋)、cotton or corn field(奴隷の主たる仕事場であった綿花又は玉蜀黍畑)もだめだと言われますが、いずれも前述したように、フォスターは暖かい愛情を込めているのです。
フォスターの気持ちになり代わって、実際歌えるように試訳してみました。いかがでしょうか?


旦さんは冷てぇ土ん中 (三宅忠明・訳詞)


牧場にゃ、悲しい、
黒○○の歌。
物まね鳥の、
楽しい調べ。
蔦が這い回る、
草むす塚に、
旦さんは眠る、
冷てぇ土ん中。


  繰り返し
  もんろこし畑に
  聞こえるは、
  黒○○どもの、
  嘆き歌。


落ちん葉が散りだして、
寒うなり、
旦さんの声が、
か細ぅなったよ。
浜辺のオんレンジに、
花が咲き、
夏ん日が来ても、
旦さんは帰らんねえ。


黒○○たちゃあみな、優しい
旦さんを好いてたよ。
今はみな泣いとる、
あとん残されて。
仕事も手んつかねえ、
涙あふれて。
悲しみ忘れるため、
おら、バンジョー弾くだ。


いまひとつ、フォスターの歌詞は黒人の擬似方言を使ったものと、そうでないもののふたつに大別できます。この歌はもちろん前者です。いちいち解説するよりも、 
一括して普通の英語に直した歌詞を載せておく方が分かりやすいでしょう。なお、英語として面白い表現がふたつあります。まず、一番の“Happy as the day is long”ですが、これは“Happy”を強めた熟語で、「とてもとても楽しげに」くらいな意味です。また、二番の Master never calls no moreにはnever とno more と否定の表現がふたつあり二重否定と呼ばれますが、否定を否定するわけですから転じて強い肯定になる場合と、ここにあるように否定の意味をさらに強調する場合とあります。むかしのある歌の文句に「雪に変わりがないじゃなし」というのがありましたが、これと同じと考えたらいいでしょう。


Master's in the Cold, Cold Ground


Round the meadows is ringing,
The darkey's mournful sound,
While the mocking bird is singing,
Happy as the day is long.
Where the ivy is creeping,
O'er the grassy mound,
Dear old master is sleeping,
Sleeping in the cold, cold ground.


  Refrain
  Down in the corn field,
  Hear that mournful sound,
  All the darkeys are weeping,
  Master's in the cold, cold ground.


When the autumn leaves were falling,
When the days were cold,
'Twas hard to hear old master calling,
Because he was so weak and old.
Now the orange trees are blooming
On the sandy shore.
Now the summer days are coming,
Master never calls no more.


Master made the darkeys love him,
Because he was so kind,
Now they sadly weep above him,
Mourning because he left them behind.
I cannot work before tomorrow,
Because the tear drops flow,
I try to drive away my sorrow
Playin' on the old banjo.